一言進言

10年後、会社、店は消滅の危機

10年後、会社、店は消滅の危機 ~低調な周南市議選、何が問題か~(5月25日掲載)
■ 地方政治が危機的状況だ。下松市議選や市長選は無投票かどうかが焦点になり、周南市議選も前代未聞の53.35%と、2人に1人は棄権する散々な結果だった。次回は50%を割る可能性も出てきた。市民の大半が地方自治に関心がないか、期待していないか、ひどい状況だ。最も身近なはずの地方自治が市民から乖離(かいり)している。
■ まだ実績もない若手市議や、名もなき若手新人が大量得票をした。既存の地方政治に飽き飽きしている市民が大量に存在している証だろう。棄権するのは今の地方政治にノーを突きつけている。今の周南市にあきらめている市民が多い証拠と言えるだろう。
■ 地方自治、政治が地域を変えてくれる実感がないのか。それとも国民全体が快楽的になったのか。豊かになって、政治に不満がなくなったのか。地方から若者が流出し、高齢化が急速に進むが、むしろ地域は静かになり、騒音もなく、穏やかな生活を楽しめると感じているのか。駅ビルが、市庁舎がどうなろうが、公共施設の再配置と言うが、生活に影響する実感がなく、議会も執行部案をそのままスルーする。誰を選んでも変わらない。そう感じる市民が多くなったのか。
■ 18歳から選挙権が与えられ、若者の票は確実に増えるが、投票には行かないだろう。どうしたら地方自治に興味を持ってもらえるのか。難題だ。周南市だけで数百億円の合併特例債が使われたが、目に見えて環境が変わったわけではない。人様のお金の感覚が強い。きれいになった公共施設を迷惑と思う人もいない。
■ 問題は10年後、20年後に訪れる。若者がいなくなった周南市で、お年寄りを世話する人たちが激減する。今の有権者には実感がない。すでに高齢者の施設が働く人の不足で大変だ。これがもっと進むと経営が成り立たない。居酒屋をはじめサービス、小売業も人手不足は深刻だ。今若者を増やす施策を考えないと、到底地域は持たない。
■ 「1年、2年後のことではなく、10年20年後のことを考えて」と若手候補者は語っていた。老練候補は「住みよいまち」がテーマだ。高校の統廃合が発表されるなど、若者が激減することを前提に施策が考えられる。増やす施策は何か。若者を帰らせる施策、大胆な少子化対策、若者定住に大掛かりな施策を。できることはいっぱいある。宣言する。10年後、人出不足で閉める会社、店が続出する。さあどうする。(中島 進)

停電の怖さを忘れた

停電の怖さを忘れた ~サイクル早めた大地震~(5月19日掲載)
■ 地震、雷、火事、おやじと昔から言われてきた。かように地震は恐ろしい。防ぐことはできず、逃げ場に困る。この20年で大きな地震を3回経験した。いずれも想定外だった。戦後ごろからいえば、3つの大地震が起きるまでの災害は風や雨が中心で、足元から崩れるような類はなかった。多少防げるものもあった。川のはんらんもそれなりに対応できただろう。しかし、地震だけは対応のしようがない。耐震化と言っても限界がある。
■ 南海トラフがよく語られる。大地震のサイクルが縮まっている。地殻変化が急速に早まっている気がしてならない。目に見えないだけに不気味だ。静岡県に住む知り合いは、テレビやたんすなどをすべて金具で壁に固定している。周りの家も多くはそうしているそうだ。南海トラフ対策もあるが、日ごろからよく揺れているから、自然にそうしたのだ。瀬戸内地域はその点、のん気だ。
■ 1991年、台風19号が周南地区では経験上最大の天災だった。1週間以上停電し、我が社も電気が使える場所にパソコンを持って移動し、編集して、他社に印刷を頼んで新聞を発行した。強い風による塩害が大きな原因だった。電気が使えないつらさを思い知った。父がマンションの9階に住んでいたので、毎日水を抱えて階段を昇ったが、文明のぜい弱さを思い知った。
■ 思い知ったが、いつからか頭の中からスッポリ抜けてしまった。震災が起こるたびに、もう少し備えをと思うが、それもつかの間、日常に埋まってしまう。懐中電灯、電池、水など常備しておくものは多い。瀬戸内に住む人々は、天災に遭う頻度が極端に少ない。熊本も近くに阿蘇山とか雲仙など火山地帯だが、地震は起こらないだろうと思っていたようだ。
■ こんな穏やかな地域に住む人は何ができるか。ひたすら不測の事態に対応できる最低限の備えをしておくことぐらいか。行政はと言えば、震災に遭遇した地方自治体を見習い、同じ過ちを犯さない、しっかりした対策を持つことだ。周南市は今回、ハザードマップを整備したが、とにかく的確な情報と日常的な広報活動を怠らないことだ。先日のような誤報を決してしないことだ。市民から信頼される役所が何より一番だ。それにしても我が家が危ない。(中島 進)

「子どもの声が騒音」保育園断念

「子どもの声が騒音」保育園断念 ~個人の権利乱用に怒り~(5月9日掲載)

■ 暴走老人が増えたと聞くが、最近のニュースで1番の“びっくりポン”は、保育園建設が地元の反対で断念するケースが増えたことだ。驚くだけでなく怒りがこみ上げる。何という国になりつつあるのか。反対する多くがお年寄りだ。「子どもの声がうるさい」「車が増えて迷惑だ」反対の理由は一致する。都会では苦情に対応して園の周囲に高い防音壁まで設置している。
■ 自治会のボス的なお年寄りが反対すると、地区の住民はみんなだんまりを決め込む。パターンはほぼ同じだ。「子どもは宝」は死語になりつつある。少子化なんか関係ない。若者が目の前をチョロチョロするだけで目障りだ。ましてや、よその子どもの声なんか聞きたくもない。寂しいお年寄りは怒りだけが増幅する。
■ 自分が若いころ、自分の子どもが近所の鉢植えを壊して謝ったこと、近所のおじさんやおばさんから優しい言葉をかけられたこと、今では自分とは関係ない世界だ。自分の子どもは遠くに行って、めったに帰ってこない。自分はその寂しさに耐えているのに、なぜ、近所に子どもを連れてくるんだ。お年寄りの怒りは爆発する。
■ カウンター越しに大声で目の前の若者を叱責しているのは、たいがいがお年寄りだ。齢を重ねると丸くなるなど大ウソだ。コンビニエンスストアで年齢確認を求められたと暴れた年寄りがいた。暴走老人は近い将来、自分が施設に入ったり、介護される側になることなど念頭にない。若い人たちの高い保険料負担で、年金をもらっているなんて、露ほど感謝の気持ちなどない。
■ 周南市内でも、ある老人施設が建設された際、周囲の高齢者が反対の声を上げ、それに市会議員までが加わったそうだ。かくも寛容さを失ったのはなぜか。園児の笑い声が騒音に聞こえる国民になったのはいつのころからか。公民館では、お年寄りの下手な楽器の音はよくて、若者のバンドの音は騒音だと禁止になる。
■ マスコミも、客観的とばかりに保育園建設断念のニュースで反対住民の声を取り上げる。保育園の周りの刑務所の塀のような防音壁。そんな中で子どもを育てろと言うことに個人の権利とは言わせない。将来を担う子どもたちが声も出せない環境を、公正に報じられるのか。私は断固としてそうした住民の声に反論する。個人の権利を主張するのにも限界はある。子どもの声がうるさいと言うお年寄りは、震災で若いボランティアには救いを求めないのだろうか。高度成長時代のつけが今ごろやってきた。(中島 進)