一言進言

グラマシー閉鎖で同窓会もできない

コンベンションホール建設に力結集を
2017年のしょっぱなに周南市の旧徳山市中心部に激震が走る。老舗ホテル、ザ・グラマシーが1月末で宴会部門を止める。どれくらいの影響が出るか想像できない。中心部で同窓会1つできなくなる。まとまったパーティーや会議もできない。昭和通初め、中心部の飲食店への打撃はいかほどになるのだろうか。他地区からの参加する集まりもなくなる。都市としての機能が消滅する。
もちろん、コンベンションホールの役割は、ホテル・サンルート徳山や遠石会館があるが、立地的にも、規模的にも今までの集まりをこなせまい。ザ・グラマシーでは過去平均して、300人以上の集まりを年間20回から25回こなしていた。それ以上に100人、200人規模は数知れない。県大会、中国大会など多くの会議もこなせなくなる。
百貨店がなくなり、映画館が姿を消し、揚げ句に周南地区最大の宴会場も姿を消す。最も気になるのは旧徳山市、ひいては周南市の将来に夢を持てない雰囲気が広がることだ。都市としての重要な機能が失われていくことに、市民が喪失感を抱くことだ。
新庁舎が、新駅ビルが、それを打ち消す役割を持てるとは思えない。この5年間、行政が関わった大型の箱物は、わくわくするような経済活動に影響を与えるようなものはなかった。道の駅も駅長の逃亡で暗転した。駅ビルにTSUTAYAのカルチュア・コンビニエンスクラブ運営の図書館ができても、駅ビル内で帰結する様相だ。ゆめタウン徳山は街中から相当のお客を奪った。
□のぞみが停まる徳山駅を背景に、近隣から人を集めて、1円でもお金を落としてもらう仕組みを考えないと、徳山駅はあるばかりで、近隣に周南市民が流出するだけの街になる。地方都市のホテルの誘致合戦もし烈を極めている。中には市有地を無償で提供して都市型ホテル進出を進める都市もある。コンベンションホールのあるなしでは、経済的効果のある活動は相当の影響を受ける。
□民間のことだからと、この間、市は一切関わりを持たないようにしてきた。かたや駅ビルは図書館と言う公共性を持ってきて、TSUTAYAとスターバックスの誘致に、何10億円もの大金を注ぐ。このままでは市民の怒りは爆発しそうだ。北九州や岡山市などは行政が必死で経済活動を高める施策を打ち出している。
同窓会1つ街中で開けない都市を、故郷を出た仲間たちはどう思うのだろうか。何としても各団体、商工会議所、企業、とりわけ行政がコンベンションホール建設に向けて素早い取り組みをしなければ若者たちも帰ってはこない。逆に近隣からあそこで集まりたい、会議をしたいと言わせるぐらいの、コンベンションホール建設も可能だ。気持ちがあればできる。きっと。(中島 進)

新庁舎建設機会に、職員意識改革宣言を

周南市新庁舎建設機会に、職員意識改革宣言を~地域活動に参加しない職員~

数年前まで周南市の周南冬のツリーまつりで年1回顔を合わせる知人がいた。市職員で、北部地区の住人だ。若いころから仕事熱心で、青少年対策室に勤務していた時には、腕章をつけて頻繁に夜の町で子どもたちに声を掛けていた。あまりの熱心さに、たまにはつき合わさせると上司が嫌い、早々と転属を命じられ、悔しがっていた。支所勤務になり、地域の住民たちのブースを手伝うようになった。先頭になって焼きそばを作る姿に、いつも感心していた。
30数年、周南市で夏祭りなどの大きなイベントにはほとんど関わってきたが、ボランティア的に地域の行事に参加する市職員は少ない。ほかにも北部の神社のお祭りをいつも世話をしている職員もいたが、まれな例だ。職員は補助金を出すために精査することには熱心で、住民を管理するのには優秀だ。
先日〝超豪華〟な市庁舎建設のくわ入れ式があった。木村市長は市民活動の拠点にと胸を張った。しかし市民の中に新庁舎建設で高揚感などほとんど感じない。建て替えがいけないわけではない。何か欠けていることに気付いていないことを危惧するのだ。市民活動の拠点になるとは誰も思っていない。職員がきれいで、働きやすい環境ができると思っているだけだ。
市長から、どんな市職員になってほしいか、明確な方針を聞いたことがないからだ。市民に寄り添い、市民の間に入り込み、市民と共に行動する職員を作ろうと、意識改革を前面に出した言動を市民は望んでいるのだ。市民のためなら難題も解決に導く指導力を求めているのだ。
「共に。」とスローガンだけは流れる。市の公用車にも書き込まれている。実態はどうなのか。ほとんどの施策は職員が考え、民間の知恵を最大限生かした施策は今のところ見当たらない。地元にブレーンがいない。審議会など作るが、大学教授を座長に、行政案を承認するだけの委員会になっていないか。
110億円もの大金をかけて、職員にとって最高の職場環境が作られる。市民は住民票を取りに行くのに、入り口ができるだけ近い方が良いのだ。便利な窓口がほしいだけだ。それより相談ごとに真しに立ち向かってくれる職員がほしいのだ。市民がわくわくするような施策がほしいのだ。
せっかく競艇場から毎年1億円をはるかに超えるお金が入ってくる。地域が少しでも元気になるような企画なら、どんどん市民団体に補助金を出せばよい。新庁舎の柱代に使われたくはない。豪華庁舎建設を、職員の意識改革の大きなきっかけにします、と宣言することがまずは一番だ。違うかな?(中島 進)

もし三島由紀夫が生きていたら

もし三島由紀夫が生きていたら~憲法改正に何という?~

昭和43年(1968)、44年(69)ごろ、全国で学生運動が沸き起こり、国際反戦デーなどでは、東京・新宿などで相当な騒乱になり、破防法が適用されるなど、1,500人を超える学生が逮捕された。一方、民族派と呼ばれる勢力も増えて、天皇を中心にした憲法改正を訴えた。東大全共闘と作家、三島由紀夫の討論会が開かれたのもそのころだ。三島の「天皇と一言言ってくれれば君たちと共闘する」とかみ合うか合わないかわからない議論は注目された。
民兵組織「盾の会」を結成し、狂信的な若者を従えた三島は、市ケ谷の自衛隊駐屯地で、眼前の自衛官たちに「立ち上がれ」と声を張り上げ、ざわつき、嘲笑する自衛官たちに失望、腹を切って自決した。日本の伝統と武士道を守れと45歳の人生を駆け抜けた三島の生きざまは衝撃的だった。
浅間山荘事件を映画にした若松孝二監督が、三島をテーマに映画にしていた。どこか憂国を論じる三島に共感するところがあったのだろう。官僚主義で、物質主義の世の中に危機感を覚えたことが共通点だったかもしれない。何よりも武士道を重んじたことが、左翼的な人たちにも受け入れられたのかもしれない。潔さを行動の要にしたことだ。
今国会で安倍首相が所信表明で自衛隊などをたたえた場面で、自民党議員が総立ちで拍手した。何か中国の議会を見ているようだった。正直、政治家の多くに、国を守るために命を投げ出す覚悟を感じない。潔い政治家を久しく見ない。責任を取らない官僚主義国家になって、国家に期待できない国民が増えたのも事実だろう。富山市議会の政務活動費の使い方、東京都の豊洲の盛り土問題、各地の不祥事に、武士道も何もあったもんじゃない。
こんな中で憲法改正を語られても、にわかには信じきれない。三島も、決して大戦中の軍隊を美化しているわけではなかった。2.26事件を起こした青年将校たちにどこか想いも寄せていた。純粋に国を憂い、国家としての品格を重んじる、そんな官僚や政治家を求めていた。都合が悪いことはすべて隠そうとし、選挙に有利かどうかが判断基準の風潮に腹をすえかねたのだろう。
三島事件から約50年。憲法改正がようやく現実味を帯びてきた。「これで憲法改正はなくなった」と自衛官の前で嘆いて見せた三島が、今の世の中を見たらどう感じるだろうか。お金をもうけたものが一番。武士道などは死語に近い。自己保身に邁進する官僚や政治家の前で何を語るだろうか。ドン・キホーテのごとき行動だったが、なぜか忘れられない。(中島 進)