ヘッドラインニュース

木造校舎群を教育遺産に

【金曜記者レポート】周南市・地域の誇り伝える施設、休・廃校10校残る
 全国的に少子化のため休廃校する小中学校が増加、その校舎や跡地利用が課題となっている。その中で周南市では今では見ることも少なくなりつつある木造校舎が10校も残っている。負の遺産として見られがちだった木造校舎群だが、市ならではの“教育遺産”として生かす道はないのかを探ってみた。
(延安弘行)

休校11校、廃校も10校
 光市でも1960年代に統合による廃校があったが、校舎が残っているのは2005年に廃校になった牛島小だけ。下松市ではこの3年ほどの間に笠戸島の小学校3校と深浦中が廃校になったが、校舎は公民館や江の浦小は郷土資料展示室「島の学び舎」として利用されている。深浦中は体育館は残っているが、校舎はすでに撤去されている。
 これに対し、周南市の休校中の学校は分校を含めて11校、廃校になった学校も長く休校だった鹿野地区の小学校を含めて2000年以後だけで10校を数える。
楽々谷(ささだに)、大田原小も
 休校中の11校のうち通学する児童、生徒がいないための自然休校は大津島中、大津島小だけで、9校は再開するめどはなく、跡地などの利用が決まらず、そのまま校舎が維持されている側面がある。
 このうち長穂小は市の公共施設再配置計画の中で新施設用地とすることが検討されている。しかしそのほかの八校は具体的な計画はない。
 そのうち木造校舎は小畑小、四熊小、中須小、須磨小峰畑分校、久米小譲羽分校の5校。大向小と須金中、中須中は鉄筋コンクリート造りになっている。
 最近、廃校になった10校では、校舎が新しかった大道理小は改修して向道支所などの大道理夢求の里交流館、翔北中は周南マンガヴィレッジに生まれ変わった。金峰小は跡地に金峰杣の里交流館が建てられ、渋川小は校舎の一部も使ってしぶかわ工房などになっている。
 大島小は借地だったため更地にして返却、長穂中跡は市有地だが、更地のまま。仁保津小も講堂が残っているだけ。木造校舎が往時のまま残っているのは向道湖ふるさと芸術村として使われている向道中、校舎の一部を地域で使っている粭島小、それに鹿野地区の大潮小の3校となっている。

大田原自然の家

大田原自然の家

旧粭島小の校舎

旧粭島小の校舎

旧楽々谷小の校舎

旧楽々谷小の校舎

旧楽々谷小の二宮金次郎像

旧楽々谷小の二宮金次郎像

中須小の校舎

中須小の校舎

向道湖ふるさと芸術村

向道湖ふるさと芸術村

四熊小の校舎

四熊小の校舎

中須小の校舎

中須小の校舎

小畑小の校舎

小畑小の校舎

 このほか廃校からかなりの年月がたっている学校では、須金地区の1970年廃校の楽々谷小の校舎が市の倉庫として使われ、校庭には二宮金次郎像や高村坂彦市長が題字を書いた「学び舎の跡」の碑も残る。
 大田原小は中須小大田原分校になったあと大田原自然の家として82年から使われているが、同施設は一部が土砂災害特別警戒区域になっているため早期の移転が計画されている。
景観、規模も多彩
 まとめると木造校舎が残っているのは小畑小、四熊小、中須小、須磨小峰畑分校、久米小譲羽分校、楽々谷小、大田原小、大潮小、粭島小、向道中の10校。校舎が造られた時代や規模、外観も違い、2階建ての校舎もある。
 海辺に立つ粭島小、錦川近くの向道中や楽々谷小、山間の大田原小、進藤兼人監督の映画「石内尋常小学校 花は散れども」の撮影にも使われた大潮小と、景観もそれぞれ特色がある。1校ずつが懐かしさを感じさせるだけでなく、校舎群として見れば近代教育のあり方や各地域の特色を伝えている。
 例えば各校ごとに、楽々谷小なら錦川の開発、粭島小はフグ漁や北洋漁業にも進出した粭島の歴史、四熊小は四熊小出身の教育者、水井文吉、大潮小は映画関係などをテーマに展示室を設ければ、地域の誇りとなるだけでなく、市外からも人を呼べるかもしれない。
 市教委では休校中の小中学校の校舎・跡地について「市長部局とも連携したい」と昨年度から庁内に検討委員会を設置し、地元との話し合いも進めていく方針。いずれも老朽化が進んでいるだけに市民ぐるみで民間の知恵も生かし、夢のある活用方法を早期に見出してほしい。