一言進言

市民と「共に」決めよう

~市章抹消から駅ビル名称まで~
周南市のホームページから市章が消えていたのは気付かなかった。昨年7月からだそうだ。合併して15年。もめにもめて、何とか2市2町が一緒になった。そのシンボルとして市章が制定された。ホームページからなくなっても文句を言う市民はほとんどいないだろう。日常では縁はない。しかし問題の本質は、市章をないがしろにする行政の体質だ。苦労して合併作業に従事した職員もいるはずだ。
まだまだ旧新南陽と旧徳山地区との確執は深い。合併は気持ちを一つにすることが一番困難な作業だ。商工会議所も別々のままだ。大げさに語れば、1つのシンボルマークの下で一体感を持たせることが肝要だ。アメリカでは多くの民族が一体感を持つために、国旗が存在している。
木村市長が作った「共に。」をシンボルマークのように使っている。そのため市章は追いやられた。「共に。」は市長の掛け声だ。全国に公募してできた市章とは違う。旗を降ろした集団に団結力はなくなる。団結を呼びかけることが大事だ。
「共に。」は木村市長だけのもので、次の市長は使わない。ほとんどの公用車に市章ではなく「共に。」を描いている。市長が変わる度にシンボルマークを変えるのだろうか。
議場には大きく市章が掲げられている。議長はそれを背に議事進行する。国家で言えば国旗と一緒だ。市章をホームページから抹消した重大さに、議会の反応も鈍い。多くの地方自治体職員は、市章をデザインしたバッジを付けている。今では「しゅうニャン市」バッジだ。
合併の立役者でもある河村和登元市長も驚いていた。あれだけ多くの人が汗をかき、苦労して周南市が誕生したのに、その歴史を捨てるような風潮に肩を落とす。徳山駅ビルの名称も、いつの間にか決まっていた。「周南市立駅前図書館」だそうだ。設計者とCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)だけで決めていた。「共に。」のスローガンが泣いている。市民の姿は見当たらない。よそ者にすべてを任すのも悪くはないが、決定のプロセスこそが地方行政の要だろう。
最近の周南市は、どこかで決まったことが突然発表されることが多すぎる。誰と「共に」決めているのか不可解だ。外部に知恵を借りることに異論はない。しかし、最終的には市民と「共に」決めることだ。面倒でも手間ひまかける作業が大切だ。木村市長と「共に」市民がいる。職員だけではない。(中島 進)

漂浪する国民を救え

~考え方の柱を立てよ民進党~
最近の国政ニュースはあまりにも次元が低く見る気もしない。森友学園、加計学園とどうでも良いテーマで情けない。支持率が下がって、これ以上何をしても、何も出てこない。安倍総理も今度だけは慌てたし、神妙な顔つきになっていた。先生に叱られた小学生のようだ。国会が議論の場と言うより、威張るか、相手を罵倒するかのような、論議とはとてもいえない争いが続いてきただけに、ここで仕切り直しにしてほしいものだ。
安保法案にしても、共謀罪法案にしても、国家の将来に関わる論議はまるでなかった。北朝鮮に対して、どう向き合うか、このまま放置はできまい。経済制裁が効かなかった今、残る道は本当にあめかムチしかないだろう。イランに制裁効果があったからと一緒にはならない。民主的な選挙で選ばれた国家と、独裁国家では根本が違う。
先制攻撃で粉砕するか、多額なあめで目をくらますかどっちかだろう。核を放棄させるためには相当なあめも必要になる。あめをばらまき、民衆の決起を促すことしか独裁国家を覆すのは難しい。武力による鎮圧は、アフガニスタンでも、イラクでも成功してはいない。ベトナムなんか良い例だ。まして大量のミサイルを持つ独裁国家となると、韓国だけでなく、我が国の被害は想像を絶するだろう。
国会はそうした議論をすべき場所と思っている。少子化対策も待ったなしだ。若者が少なくなることは亡国に直結する。獣医学科がいるとか、いらないではなく、我が国に必要な教育体制のあり方を、各党がしっかり考え、教育勅語うんぬんではなく、討論し合い、国民に信を問えばいい。穏健な社会福祉国家を目指すのか、強力な資本主義国家を目指すのか、どんな国になろうとしているのかわからない。
目的が景気回復にしろ、労働者の賃上げを自民党が要求する異常さに、民進党はついていけない。追及する民進党に思想というか、考えの柱がないから論争にならない。小さな政府か、大きな政府かも定かでない。国家権力をもっと強力にすべきだと、自民党ははっきりしている。共産党も柱が明確だから、わかりやすく、論争に迫力がある。
稲田前防衛大臣の件も含め、安倍政権の子どもじみた面がさらされて、支持率回復は至難の業だろう。チャンスに民進党はシャッフルして、2党に分裂してでも、柱立てに全精力を注ぐべきだろう。枝野、前原両氏では統一は無理だ。理論武装を徹底しないと、他の政治家も判断する材料がない。国民はもっと漂浪している。(中島 進)