一言進言

べんけいが走るのを夢見て

~おじさんたちのロマンは止まらない~
年をとると、社会にまだまだ貢献したい人と、自分の世界だけを楽しむ人とに大きく分かれる。人それぞれだが、社会的な活動に生き生きと取り組んでいるお年寄りを見ると、勇気が湧いてくる。先日、NPO法人下松べんけい号を愛する会から声がかかり、「鉄道産業の街・くだまつ」を全国発信しようというシンポジウムに参加させてもらった。
栗田一郎事務局長はじめ、メンバーの熱心さは相当のものだ。同法人が「べんけい号」と呼んでいる蒸気機関車(SL)は明治40年(1907年)に我が国3番目のSLとして製造され、戦前は徳山海軍燃料廠で使われ、その後、下松工高で保存された。
1981年、同校の創立60周年で、生徒たちの手で見事に運転再開を果たした。愛する会の夢は再々度復元して運転を再開することだ。メンバーの中心は同校の卒業生と、日立製作所で車両製造に携わってきた人たちだ。
下松市内で同社で作っている英国向けの鉄道車両の陸送を日中にしたら、全国から数万人が訪れた。つい先日、英国でのこの車両の運行開始のニュースが流れた。我が社のホームページも、運搬前日には通常の10倍近い1万件をはるかに超えるアクセスがあった。下松が全国版になった。「鉄道の街」として世界に発信できた。
おじさんたちの夢にはロマンがある。下松工OBとしての誇りや、日立製作所で日本一の車両を作ってきたという自信。定年退職したおじさんたちの第2の人生だ。まちおこしの一翼を担うという気概にあふれている。周南地区でも元気なおじさんたちの活躍は結構ある。AYSA(県アクティブシニア協会)はこれまで培ってきた技術を生かそうと高齢者の人材バンクや、若者の婚活を進めたり、多様な活動で地域に役立っている。
いつの日か、べんけい号が全国の鉄道でその雄姿を見せ、白い煙を吐いて走る姿を想像しながら活動を続ける愛する会に、一種あこがれさえも抱く。技術的には復元は可能だそうだ。行政も含め、周囲の応援がなくては実現しない。修復には多額の経費もかかる。
しかし、山口線ではD51の運行も決まり、話題を集めている。岩徳線にべんけい号が走り、県東部の目玉になることも夢ではない。下松工卒業生たちの夢が形になるのはいつのことか。鉄道の街・くだまつが全国版になるのと一緒だ。おじさんたちのロマンは止まることはない。(中島 進)

より幅広い声を国政に

~あきらめずに投票を~

報道各社の世論調査で自公圧勝と出た。過去、そんなに番外編は出たことがない。希望の党は現有議席を減らしそうだ。何のための合流だったのだろうか。前原、小池両氏に、自公はありがたいと思っているとの記事もあった。思えば、細川護煕氏の日本新党結成から混成野党時代が始まった。政権はとったが、野合はしょせん野合だった。細川氏は熊本県知事時代、わずか数メートルバス停を動かすのに国の許可を取らなくてはならない、と、国政に打って出た。新鮮で格好良かった。
これで地方分権国家に変化するかと期待したが、相変わらずの構図で今日まで来た。今では国家権力をさらに強化、総理大臣がすべてを決め、国会も眼中になくなった。野合集団のご都合主義は離合集散を招くのは当たり前で、理想などそっちのけで国会議員なりたい病集団の様相だ。
ここ周南地区では、全国紙でも予想は自民圧勝とある。2区は仕方ないにしても、1区は、高村候補の優位は当然だろうが、希望の党の大内候補は頑張りようでは比例復活の可能性があるかもしれない。山口県から1人ぐらい野党議員がいてもいい。山口県は他県に劣らず疲弊している。総理を輩出していても、施策は地方に厳しい。政令都市と地方都市の差は開く一方だ。
政府は全国で合併を推し進め、合併特例債をばらまいた。しかし使途が限定的で、これといった起爆剤に使えなかった。地方自治体の使い方にも問題はあったが、若者流出の歯止めにも、少子化対策、高齢者対策にも有効な使い方はできなかった。豪華な建物だけが残り、維持費が今後、財政を圧迫しそうだ。
地方が元気を失うと、国全体が元気を失う。大内候補は山口県で生まれ育った野党候補だ。金太郎飴のような施策ではない、真剣に地方を元気にするポイントを押さえた施策を訴えてほしいものだ。
県内の国会議員全員が与党というのはいかにも異様だ。小選挙区制度のせいだが、より幅広い声が国政に届くことが健全な国家だ。野党のだらしなさも大きな原因だが、どうせ投票に行っても駄目だと、思い込みを強めるのが怖い。せっかくの国政選挙を自民党への信任選挙にしてはならない。投票に行くことは無駄ではない。(中島 進)

何を基準で選ぶか?

~迷う有権者はどこに行く~
解散による衆議院議員選挙が10日公示された。選挙が決まってから、日替わり定食のように毎日メニューが変わる。この混乱ぶりは何だろう。自公は思想も信条もまるで違う人たちが1つになっている。神道と創価学会は相いれない関係だが、選挙は一緒に戦う。党利党略と言えば簡単だが、常識では考えられない。一方、希望の党と民進党の関係はシビアに政策を重視するという。
思い起こせば、自民党と旧社会党が連立政権を作った時から、自民党は思想など無視した政党になった。しかし、自分たちの思想は守り切っている。それより強固に保守を言い出した。
公明党と、自民党の公約はすべて一致しているわけではない。憲法観などは最たるものだ。命令一下で動いてくれる公明票のおかげで自民党は過半数を維持している。多少、公明党の要求を聞いていれば政権は守れる。大臣になれる。
国政に参加した実績もない希望の党に、100人、200人の民進党候補者たちが揺れた。若狭何とかと言う前衆議院議員が仕切って決めている。それでも各種世論調査で、希望の党に投票すると答えた国民がやたら多い。国民の過半数は流浪の民と化した。小池百合子東京都知事はそんなに素晴らしい人だったか。
この混沌状態を喜んでいるのは自公とワイドショー関係者だけだ。森友、加計学園問題、審議なし採決など無茶苦茶な国会運営は関係なく、政権は維持されるかもしれない。この混乱の原因はどこにあるか。国民のせいなのか。選挙制度なのか。旧民主党か。立候補者たちが揺れ動いていては、国民も揺れ動く。
選択肢がなくなったと言う有権者が増えた。総じて自衛隊が憲法違反と言う人がいなくなった。自民党が賃金値上げを言う時代になった。あえて対立を探せば、社民党、共産党と他の政党かの時代になった。究極は思想ではなく、人物で選ぶ時代になったのかもしれない。
物ごとを真摯(しんし)に考えられる人。弱者を忘れない人。人柄が良い、威張らない、人間味があるかないか。党が決めたからすべて従う人ではなく、自分の感性を大切にする人。選ぶ基準を考える時代かもしれない。政党はどこでも良い時代かも。さあ、投票に行こう。(中島 進)