一言進言

耐えられない!真夏のくみ取り式トイレ

~大人たちの感性を磨こう~
20年前、中国を旅して何が困ったかと言えば、トイレ事情だった。扉がないとか、水が出ないとか、とにかく難儀した。においは尋常ではなく、鼻をつまんでしゃがんだ思い出は消えない。旅のトイレは特に印象に残る。全国に広がった道の駅はトイレを提供することから始まった。
13日の本紙で周南地区のJRの駅のトイレをレポートした。驚くことに周南市の櫛ケ浜駅のトイレだけ、いまだにくみ取り式だった。同駅は日常も通学や通勤で利用者が多いが、とりわけ、土、日曜にはキリンビバレッジ周南総合スポーツセンターを目指して学生たちや一般も多くの人が利用する。この時代、くみ取り式のトイレは、かなりの過疎地にでも行かないと経験できない。
我が社も同じ櫛浜地区に事務所を構える。下水道網は完備された地域だ。徳山駅ビルのトイレもトイレットペーパーがないと、何度も書いてようやく実現した。JRの不親切さは今さらながらで、聞く耳などないのはわかっている。下松市はすべて市が管理して水洗、洋式にした。JRが管理している駅は、徳山駅を除いてすべて和式だ。
中高生の利用が圧倒的に多いと思われる同駅のトイレ問題は、単に管理がどうのという問題ではない。大人たちの思いやりの問題だ。愛する故郷で、いつも利用するトイレがくみ取り式のままで、子どもたちは超豪華な新庁舎をどう感じるか。おしゃれな駅ビルを見てどう思うか。感性の鈍さにがっかりする。100億、200億円かけるが、その1%でもあれば十分だ。いや、1%もいらない。せめて水洗にできる。
トイレはよそからきた子どもたちが使うことも多い。スポーツで多くの中高生を集める施設がせっかくあるのに、その入り口のトイレがくみ取り式では、イメージガタ落ちは間違いない。若者流出が激しいが、大人たちの感覚の鈍さは、歯止めをかけるどころではない。行政の本来の目的は市民が快適に暮らせる空間を作ることだ。
市長はじめ、市幹部は真夏のくみ取り式トイレを経験してみればいい。下から上がるにおいの強烈さは、昔さんざん経験したからわかる。もっとも、JRに一番の責任はある。でも、金もうけに突っ走るJRに期待はできない。大人たちよ、もう一度くみ取り式を利用している子どもたちを頭に浮かばせよう。ぽっちゃんトイレを。(中島 進)

運転手はもういらない

~IT、AIに席巻される世の中に~

以前、周南市が電子決済を進めると言うので猛反対したことがあった。役所は印鑑社会だ。1枚の書類に、係長、課長、次長、部長と印鑑を集めるのが職員の仕事だった。それをパソコンの画面上ですべてすまそうと言う。実に効率的で、合理的な方法だと言われた。確かにそうだ。早いし、無駄がなくなる。だが、私は猛反対した。
今、周南市は千数百人の大所帯。異動も頻繁にされ、部下と上司、同僚などとの関係が希薄になった。確かに印鑑書類は非合理的だが、そうでもしないと、部下の顔色を見て健康状態や、精神状態を察することもできない。書類以上のことが聞けない。パソコンの画面上のやり取りだけでことを進める怖さは、想像するに、人間性を捨てるようなものだ。
先輩経営者が最近、AI(人工知能)に関する本を十数冊読んだと話していた。これからの世の中がどう変化するのか、今までの常識を覆すような時代の到来も意外に近いかもしれないと予測する。AIでの自動運転の車が初めて人間を死亡させたと聞いた。公道での実験でだ。ある会社は、面接でAIを使っているらしい。採用かどうかの判断を人工知能にまかせるそうだ。チェスも人工知能が世界一だ。
ITで世界が急速に変わった。アメリカの大統領選挙は膨大な個人情報が勝負を左右するようになった。一体この先、どんな世界になるのか。手塚治虫が描いた未来は、はや現実になった。ホテルの受付もロボットがやる時代、どこまで人間は疎外されていくのか。自動運転の車が一般的になるのも数年後かも知れない。
科学の進化は人々を幸せにするためと信じていたら、一部企業の金もうけのためだったと気づいたのは学生時代だった。学生運動の原点はそこだった。金持ちは昔ながらの材料で食事し、貧乏人は添加物だらけの廉価な食料しか食べられなかった。これからの時代はそれがもっと激しくなりそうだ。あらゆる分野で人工知能が使われるだろう。自動運転が最たるものだ。世界中から運転手と言う職業が奪われる。対面式の販売から、ネット販売に移行したのも、わずか数年だ。10年そこそこで多くの公衆電話が消滅した。
時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、これからの若者たちが心配だ。IT、AIがらみの一部企業が世界を席巻、ほとんどの凡人は右往左往するような世界にならねばいい。今の若者たちはネット社会に翻弄され、化け物のようなものに支配されつつある。
規制せよとの声も出始めたが、金もうけの渦の中では勝てはしまい。新聞など読まなくても生活はできる。ネットで調べればすむと思っている。情報の正しさが問題でなくなった。せめてネット上でちゃんとした新聞を、本を、読んでほしいものだ。感性を磨いてほしいものだ。
面接官の感性すら信用しない時代だが、人間の見る目や、聞く耳を大切にしてほしいものだ。新聞を発行し続けることも難しい時代だが、こういう時代だからこそ、新聞は必要になる。(中島 進)

下松市議選も高齢化

~人材育成に取り組もう~
9回裏2死からの逆転ホームランのように選挙戦になった。人口5万7千人超の下松市で、直前まで市議会議員選挙の無投票が確実視されていた。地方自治への関心が薄くなってはきているが、これほど低調なのも珍しい。4年前もぎりぎりで定数を超える候補者が出現、無投票が避けられた。市民の間から定数を減らせの声が上がるのも無理はない。
なぜ議員になろうとする人が少ないのか。報酬が安く、生活するのが困難だとの声もある。市政が安定していて、論争するテーマがないともいわれるが、論点はいくらでもある。道路行政も一部に偏っていてまだ不十分だし、子育て環境も十分とは言えない。議会が行政の監視役としての役割をしっかり果たしているか。あまりにも与党的になってはいないか。
今回の候補者で一番若いのが47歳だ。せめて30歳台が1人、2人いてもおかしくない。若者がこれほど地方に関心を持てない時代なのか。青年会議所や商工会議所青年部など、地域に関わる活動をしている若者は少なくない。郷土愛もまだまだ廃れていない。ここは一度、行政と議会が一緒に、若者への政治参加をどうしたら増やすことができるか、真剣に考える時だろう。県議会議員も含めてだ。
市議会議員は団体や地域、企業を背景に持つ人が多い。しかし、世代を代表している側面もある。若い世代を背負う議員が1人もいないのは不幸だ。若者対策を年寄りたちが議論しても、良い結果が出るとは思えない。下松市だけの問題ではない。投票率の低下など、地方の危機的側面でもある。新聞など読まないとか、ネット社会になって、地域に目を向けない。足元の事柄に無関心な若者の対策は急務だ。
ひと昔前は各地に青年団があって、地域のことを勉強し、活動して若者が政治家になった。河村和登元周南市長や故藤井真県議など、地方を担った青年団出身者が多かった。選管による青年法政大学という勉強会もあった。
青年団が姿を消したのはいつだったか。コミュニティー組織はできたが、若者が少なくなって育てる環境がなくなった。官民あげて若者を育てる組織ができないものか。人材育成は地方の根幹を作る。(中島 進)