一言進言

こよなく愛した徳山

~小川さんの思いを大切に~

巨星落ちる。小川亮元徳山市長の訃報は時代の変わりを感じさせた。小川市政時代、まだまだ地方も元気だった。旧徳山市はもっと元気だった。当時の平井山口県知事とは自治省時代先輩だった小川さんだけに、仲が良いとは言えなかった。総合スポーツセンターは、県の補助金などあてにせず、自前で建てた。小川さんの功績は何といっても全小学校区に作ったコミュニティー組織だ。疲弊気味だった地域が、一気に元気を取り戻した。
岡山県副知事に就任して4年目のころ、黒神直久元市長と高村坂彦元市長が、そろって旧徳山市の市長にと懇願した。当時2千万円の選挙費用を持って行った逸話もある。当然小川さんは使うことはなかった。知事への道が有力視されていたが、二人の熱意と、本人の故郷を思う気持ちが、それを跳ね返した。
剣道をしていたので、あまり頭を下げないという人もいたが、姿勢が良すぎてそう見えたようだ。市長公舎に住み、私も夜中に何度も話をしに行っていた。若造の私の意見も熱心に聞いてくれて、丁寧に応えてくれていたのを忘れない。厳しかったが慕う職員も多かった。秘書課長もしていた藤井聡氏は昨年末亡くなったと聞いたが、役所を辞しても、車いすに乗った小川さんのうしろに必ず藤井さんがいたのを、みんな知っている。最初の助役、林保人さんなどは体を張って小川さんを守っていた。
合併にも熱心で、ちょうど20年前の1月に新南陽、下松市と合わせた合併協議会が初めて開かれた。小川さんが会長になった。それから4年後に合併が実現することとなった。他市の市長からも人望熱く、異例の速さで合併協議会がスタートした。
退任後、徳山大学の理事長就任などの要請を断り、野に下った。記憶力は最後まで衰えることがなく、挨拶も驚くほどしっかりしていた。中学校時代、毎日一日も欠かさず児玉神社に拝礼に通ったと語っていたが、その思いも込めて児玉源太郎顕彰に精魂込めていた。
惜しむらくは、小川さんが存命の間に、中央図書館に「こだま文庫」の看板を付けてほしかった。その児玉神社のお祭りで「しゅうニャン市はやめていただきたい」と懇願していた小川さんの姿は忘れられない。合掌。(中島進)