一言進言

選挙に関心薄くなるばかり

~啓もう活動をもっと!~

厚労省の統計不正は、連日マスコミを賑わしているが、庶民の関心はほとんど無いようだ。直接生活に影響しないと思っているのか。モリカケ問題で、お役人は不正をするのが当たり前になってきたのか。東大出など優秀な人が大集合している組織だが、このずさんさはやりきれない。勉強できる頭なのに、凡人と使うところが違うのだろうか。
大企業の不正もあとを絶たない。優秀な集団がどうなっているのだろうか。大人たちのモラルの劣化が著しい。自分さえ良かったら、と個人主義が横行しているのか。ちゃんと勉強してきた人たちのはずだ。公務員も、企業の人も善悪の区別がつかなくなった。一部とはいえ多すぎる。
周南市の官製談合も、市民の関心は薄い。裁判で前部長の名前まで出るぐらい、根の深さを感じさせるが、市長はじめ幹部の感覚は鈍い。個人の問題と片付けそうな雰囲気だ。研修会も外部だけに頼るありさまだ。幹部が一人一人と面談して教えていくぐらいは当たり前だ。組織としてどう対応するのか発表がない。入札日まで金額を知る人を限定するとか、チームとしての対応はどうするのだろうか。
地方選挙に関心ある市民が圧倒的に減少した。選挙管理委員会も、投票率達成目標ぐらい立てて臨んでほしいものだ。昔、明るい選挙推進協議会の一員だった。まだ多少は日常的な啓もう活動を論議していた。選挙権も18歳以上に与えられた。若者たちにどう啓もうしていくか、とくに高校生たちにどう働きかけるのか。当時もそのための予算の少なさに驚いた。
「誰がなっても変わらんけ~」が一般的な感想だ。立候補者たちも、どこをどう変えるかを訴える選挙が望ましい。金太郎あめのような公約が延々と続けば、市民にあきらめムードがまん延する。県議会議員はもっと顕著だ。県政のどこを変えていくのか、明確に訴えて欲しいものだ。議員になるのが目標ではだめだ。市民ももう少し考えてみよう。(中島進)

政策の違いはどこか?

~木村、藤井両氏へのお願い~

首長は大きな権限を持っている。市長より知事、知事より総理大臣と権限の幅は大きくなる。総理大臣の指示次第で国家存亡の危機もあり得る。市長も指示次第で、その地域の将来に大きな影響を与える。反対する職員がいたら異動させれば良い。議会は総じて現職市長に真っ向から異を唱える市議は少ない。最初「しゅうニャン市キャンペーン」は1票差で可決されるほど反対が多かったが、次年度はあっさり決まった。現職の強みはある。島津元市長の時は、百条委員会まで開かれて騒然としたから敗北の憂き目にあったが、余程のことがないと現職は強い。
さて今度はどうだろうか。このところ木村市長は陳謝の連続だ。防災無線工事はずさんな管理で、多額な出費と遅延を招いた。集中豪雨で死者まで出たが、対策本部も作らず、対応も遅れた。最後に極めつけは官製談合で逮捕者まで出した。それぞれ議会で陳謝する羽目になった。それでも多くの市議会議員は市長選で木村市長を応援するという。最初「しゅうニャン市」に反対した議員も応援に回る。
将来に向けて政策的な話し合いを議論した結果なのだろうか。何を目指すのか。どこに向かって周南市を引っ張るのか、政治家たちの役割が問われている。もちろん市長選に挑む藤井県議も一緒だ。唯我独尊だから駄目だ、では駄目だ。「政策的にここがだめで、私はこうだ」がないと駄目だ。団塊の世代が高齢者になって、地方の存亡の危機だ。若者を増やし、子どもを増やせる環境をどう作るか、明確な展望を見つけ、具体的な施策を語る時だ。もちろん千数百人いる市の職員が縦横に活躍できるにはどうするかも大切だ。新南陽駅や櫛ケ浜駅のトイレ一つ改善できない。徳山駅の豪華さの陰で、多くの学生たちがしんどい思いをしていることに思いを馳せることが大切だ。
島津元市長はやることは早かった。東川の花見用ぼんぼりの灯が中止になったが、わが社の記事を見て、すぐさま復活させて市民を喜ばせた。当然市民の要望をすべて聞けないが、姿勢の問題だ。真摯に向かい合う気持ちをどれだけ持てるか。限られた予算を有効に使う知恵の出しどころだ。木村市長、藤井県議との政策比較が楽しみだ。(中島進)