一言進言

人口減少は最大の敗因?

~安定しない周南市を憂う~

激しい戦いが終わった。激戦と思われたが、意外に票差が大きかった。そして新たな権力者が誕生した。首長は最高権力者だ。その人のやり方一つで地域は大きく変わる。周南市になって4人目の市長誕生だ。目まぐるしい変化の16年だった。一体どうしてこんなことになったか、合併後の周南市は安定しない。
周辺部と中心部の感覚がうまくいってないのか。広域になって行政の配慮が薄いのか。首長の感覚が市民と乖離していたのか。とにかく行政と市民の間に溝があったのは間違いない。合併で最も危惧していた課題が大きく出てきた16年間だった。もっと周辺部への思いやりが大切だった。
それはお金を使うことではなかった。拠点を作れば市民は納得してくれると思っている節がある。立派な箱モノを作れば良しとする感覚が間違っている。結論的には日常的に市民と向き合う姿勢が大切なのだ。各地の役場が無くなり、総合支所となって職員数が激減した。それを何とかプラザなどを建設、市民はそれで満足していると思っているのだろうか。
豪華絢爛な新庁舎ができたと胸を張るが、周辺部の市民で新庁舎を訪れる人は極わずかだ。それより市長か市の幹部を囲んで愚痴を含めて、色々な話を年に1回でも聞いてもらいたいのだ。きめ細かい声の吸い上げが、何より市民と行政の間をつなぐものだ。今回の選挙は、言葉遊び的な公約より、行政をもっと身近に感じたい叫びのように聞こえた。
現職は強い、はずだ。あらゆる行事に顔を出せて、しかもありがたいと思われる存在だ。“毎日が選挙活動”を展開できる立場だ。それでこれだけの大敗をした原因は何か。木村市長を応援した人たちも不思議でしょうがない。1年で3回も陳謝したからか。「しゅうニャン市」にこだわったからか。私なりの情報から推察するに、「市長をやっていて楽しい」と言うその姿勢だ。
若者流出が一向に止まらなく、人口減少はとどまるところを知らない周南市民は不安なのだ。そんな中「市長は楽しい」では納得してもらえまい。水素ステーションなど様々な施策をしてきた。箱モノはかってない勢いで作ってきた。胸を張るところが違ったのではないか。人口減少は諸悪の根源だ。毎年1千人以上の人口が減っている。任期中に1万人近い人口が減った。
戦いは終わった。しこりは多少残るだろう。木村陣営にはリーダー的な人が多かった。気持ちの整理を早くつけて、適度な緊張感で共同作業ができればよい。安倍首相も女性活躍相まで作った。新市長に期待しよう。(中島進)

果たして市民はどんな選択をするのか

~市民目線の市長を~

県議選はやはり投票率が大きく下がった。18歳から参政権を与えた効果(?)も大きい。有権者が増えたが、若い人たちが投票に行かないから必然投票率は下がる。昨年成人式でアンケートを取ったら、周南市長の名前を言える成人は2割程度だった。
市長選が終わりに近づいた。果たしてどれだけの人が投票に行くのだろうか。最近は半数の人しか投票に出向かない。全国的な問題だが、投票に行かない人が圧倒的に増えた。政治が庶民から遠い存在になった。周南市でも毎回投票率が下がり、都会並みになってきた。
投票に行かない理由で多いのは「誰がなっても一緒」だ。国も民主党が政権を取った時は、これで大きく変わるかと思ったが、内紛が激しく自滅した。これで一気に1強政治になり、あきらめムードが蔓延した。ここ周南でも何人かが「どっちでも一緒」だと言う。もっとひどいのは「おんなが市長じゃね」と言う男性が多い。さすが保守王国山口県だ。
官製談合事件は関心もなく、選挙にさほど影響を与える感じもない。直接自分の生活に影響がない限り、市長選などどうでも良い感覚だ。若者が減り、子供が少なくなっても、日常生活に影響がないと思っている。毎年1千人以上の人がいなくなり、この八年間で1万人近い人口減だが、気にする人は極わずかだ。
兵庫県明石市の市長が暴言を吐いたと辞職したが、出直し選挙で大勝した。マスコミから叩かれたが、彼は確実に人口を増やし、若者を増やした。暴言も、仕事をちゃんとしない部下を叱責する中で出たと後で分かって、市民は市長を選んだ。市民のために仕事をもっと必死でしようと職員を叱ったのだ。市民は市民目線の市長を望んでいる。
木村市長は果たして市民目線で仕事をしてきたか。検証の機会だ。藤井候補は本当に市民目線で仕事をしてくれるだろうか、人柄、公約から推察しなくてはならない。新幹線を在来線とつないだ高村坂彦元市長は、大挙して反対に来た市民たちに「これは市民のためにするんだ」と追い返した話は有名だ。街中に新幹線を走らせる勇気は大したものだった。
それが本当の市民目線だ。つまりインフラ整備が行政にとって最大の事業だ。下松市は道路を通すことで多くの住宅やお店が張り付き、人口を増やし、子どもが増えた。市長の仕事はそれを発想し、事業化することだ。具体的な作業は副市長が先頭に立ち。形にすることだ。事務方のトップの副市長は全身全霊をかけて親分、市長を支えることだ。そんな市役所を夢見るのは私だけか。(中島進)

平成を駆け抜けた「日刊新周南」

~市民目線を貫く~
4月1日に新元号の「令和」が発表された。4月1日は新年度の始まりでもある。そして「日刊新周南」創刊記念日でもある。34年前のこの日、「日刊新周南」第1号が世に出た。「徳山公論」が生まれ変わり、周南地区4市2町をエリアにしたローカル紙としてスタートした。昭和60年だった。それから4年足らずで平成になった。
「日刊新周南」は創刊以来、ほとんどを平成の時代を生き抜いてきた。バブルがはじけ、多くのスポンサー、読者が目の前から姿を消した。徳山の商店街も「徳山公論」時代からの読者が次々と閉店、見事に力を失って行った。何とか立ち直ったかと思えば、今度はリーマンショックで、建設業など多くの会社が姿を消した。経済的に激動の平成だった。
自然も猛威をふるった。平成3年の台風19号はここ周南地区でも大きな被害をもたらした。1週間も続く停電で、わが社も新聞発行が危機的状況になった。電気が通った親しい印刷会社にパソコンを持ち込み、印刷も依頼、一日も発刊を止めることなく乗り切った。その後は阪神大震災、そして東北大震災、日本列島で多くの災害が頻発した。まさに大災害の平成時代だった。
毎日の紙面には多くの市民が登場している。花いっぱい運動で地道にコツコツと活動している人。清掃活動に汗を流す市民。ビジネスで頑張る地元経営者の人々。スポーツで地域を支える人たち。文化で地域を明るくしている人たち。紙面に登場してもらうことで、少しでもその労に報えたらと取材を続けてきた。市の広報かと言われるぐらい行政情報も載せてきた。結果、読者や、スポンサーからの温かい支援を受けている。
行政や政治家には厳しいと言われる。当然だ。私たちは常に一生懸命働いて税金を納めている人たちの視点で考える。一円たりとも無駄に使ってほしくないからだ。どんな不祥事があっても行政を擁護するような政治家はいらない。失敗があっても責任を感じていない行政マンはいらない。権力を持った人たちは、常に謙虚であって欲しい。市民には投票する権利しかない。
1947年から73年間地方紙を発行している。何度も息切れしそうだったが、なんとか続いている。権力に媚びらず、一貫して市民目線で新聞を作ってきたつもりだ。4月1日を迎えるたびに、新たな気持ちになれる。「令和」の時代も生き抜いていけるか。時代はこんな「日刊新周南」を求めているか。(中島