コラム・エッセイ
№38 人物考1・張本勲はがむしゃにバット振ってきた…『ナニクソ、負けるもんか』と
独善・独言50年前、まだ学生の頃、新大阪駅のホームで背広姿の「張本勲」に遭遇した。体も周囲を圧倒したが何よりそのサングラスである。これ以上黒くできないほどのまっ黒であった。周囲を威圧するような…衝撃的であった。見惚れた。
次にすれ違ったのは真夏の神宮球場。大学の準硬式野球の全国大会の試合を終えた我々の前に、ナイター出場のために高級車で現れた張本。バットを2本もって、前方だけを見据えて、周囲の雑魚には興味がないといった風情で我々の前を通りすぎた。やはり見惚れた。
先日の東京ドーム…「王貞治記念ゲーム」に張本がセレモニーに登場した。いかにも年老いたという杖をついて歩く姿…これにも衝撃を受けた。あの張本がと思うと涙がわいてきて止まらなかった。
張本はプロ野球史上、王、イチローに次ぐバッターであろう。ただ、彼は爽やかさとは対極にある選手であった。優等生でもなかった。選手時代は興味の対象ではなかった。注目したのは引退後、解説は一人よがりながらも的確、また、コラムやテレビでの発言は乱暴ではあっても日本愛、野球愛があふれ新鮮であった。
私は「週刊ベースボール」「張本勲もうひとつの人生」等のコラムを読み、その発言を注視してきた。そして、ここ数年は『あなたが尊敬する人物は』との問いかけには『興味がある人物なら張本勲』と答えるまでになった。
彼のハンディ(A表㋑~㋭)を跳ね返す強い意志…自身の講演で私はそれを“ナニクソ魂”と表現した。本物のアスリートのなかに努力していない人はいない。天性だけで上昇できるレベルは限られている。彼も若い頃からがむしゃらにバットを振り続けてきた。それも「ナニクソ、負けるもんか」の思いを込めてである…B表語録㋬。
㋑の指のやけどは妻子にも見せたことがない。後年求められて見せた川上監督からは「よくぞこんな手で」と絶句されたと言う。
㋺…自らの被爆話しを思い出したくないと避けてきたが、一人の少女のアドバイスで改心し、今は核廃絶運動に積極参加している。
㋩㋥兄はタクシーの稼ぎの半分を浪商での生活費として送金してくれた。プロ入団の契約金で兄と母のために新居をプレゼントした。
㋭心の折れるほどの差別を受けてきたがB表㋣のとおり今では朝鮮人差別を過去のものとして日韓親善の橋渡しをしたいとしている。
㋷彼の思考のベースには精神に優れた日本、他の国から尊敬される大和民族という信念がある。それは“在日”だからこそ気づく研ぎすまされた観点であるかもしれない。㋠の現代女性に“大和なでしこ”を求める…私としては大目に見て欲しかったとの思いがある。
㋦野球のレベルは日本がアメリカより上という主張はWBCがそれを証明した。「選手よ日本野球を見捨てるな」と訴え続けた。
結局、張本は“ナニクソ魂”でバットを振り続けることで、技も磨いたが精神も磨いたのであろう。
後日『王ちゃんの記念の会なら這ってでも出たい』と言ったと聞いた。私はまた涙した。
在日の多くの人が苦労してきた。しかし、張本一人だけでも日本人をリードする人間が存在したことに強い共感を覚えるのである。
…がどうでしょうか。