一言進言

災いは逃げるが勝ち!

~なぜ避難しなかったか徹底検証を~

■「災いは忘れたころやって来る」そんな時代は終わって、「災いは何時でも、どこにでもやって来る」時代になった。阪神大震災以降、全国で地震、集中豪雨が頻発してきた。そして東日本大震災が勃発、災害の恐怖は頂点に達した。南海トラフは常に話題になり、集中豪雨は当たり前の世界になった。
■ 1年前、周南地区でも死者が出る災害に見舞われた。復旧工事は未だに続いている。そんな中、先日全員避難を求める警戒レベル4の豪雨で、周南市は鹿野、須金地区の約4,000人に避難勧告が発令された。その日のNHKのニュースで、避難した人はわずか10人だったと全国放送があった。一体どうしたのか。なぜほとんどの人が避難しなかったのか。
■ 2カ月前、周南市は全戸に、「防災ガイドブック」を配布したばかりだ。防災危機管理課に聞いた。防災無線はちゃんと機能していた。地域の消防団も出動、避難を呼びかけた。緊急メールも発信した。防災ラジオも働いた。なのに10人しか避難しなかった。中山間地域でのがけ崩れを心配しての避難勧告だった。
■ 幸い雨も昼前には収まり、大事には至らなかったが、去年の教訓はどこに行ったのか。全国の災害のニュースは知らないはずはない。NHKのニュースで全国一鈍感な市民と放送される結果をどう受け止めるか。問題は深刻だ。
■ 災害に高を括(くく)っている市民の多さに驚くばかりだが、このままでは行けまい。各地域のコミュニティーや、行政がどれだけ意思疎通をもっと強固にするか。災害の怖さを徹底的に市民の間で共有することができるか。日頃の防災訓練も大事だろう。自治会を通じたより緻密な情宣活動も求められよう。
■ 今回の現象に対して、聞き取り調査を含め、徹底的な検証作業をすべきだろう。どんな感覚で防災無線を聞いていたのか、呼びかけ方なのか、何なのか。これからの時代、集中豪雨はさらにひどくなるのは明らかだ。国も災害には自助が一番だと訴えている。多額の費用をかけた防災無線が役に立たなかった事実は、他市の防災対策にも大きな教訓になるはずだ。6月市議会では市議も徹底した議論をして欲しいものだ。
「災いは逃げるが勝ちだ」
(中島進)

周陽小が1学年20人に

~若者定住、少子化対策はフランスに学べ?~

周南市の周陽小は、1学年20人で1クラスになったと聞いた。かってはあまりにも生徒が多くなり、秋月小や桜木小までできたほどだった。広い団地を背景に、子どもの姿を見ない日は無いほどだった。なんという寂しさだ。我が家も周陽小校区だから良くわかる。
周陽小、秋月小、桜木小校区の周南団地造成の起工は、昭和37年、1962年だった。県内では他に類を見ない広大な団地が作られていった。1970年には現在の団地が完成した。50年前だ。公団住宅も建てられ、大手企業の社宅も次々と建設されていった。半世紀経た今日、当時の住民は高齢化の波にのまれ、社宅も無くなり、少子化は過疎地並みに進んできた。時代の流れと言ってしまえばたやすいが、愕然とするのは私一人ではあるまい。
先日、サマンサジャパンの小野英輔会長から1冊の本を頂いた。著者は中村功さんと言う、私も小野さんからの紹介で少しは知っている人だ。東日本ハウスを創業、東京の大江戸温泉を創った人だ。経営者としては相当のやり手で、話も上手で、厳しい人だ。本のタイトルは「自滅へ向かうアジアの星日本」副題は「少子化こそ、我が国未曽有の国難だ」。
どっちかと言うと保守的な論客だが、心から我が国の将来を憂う気持ちがひしひしと伝わってくる。大企業の利益は労働者の賃金を下げているからだとバッサリ。また税金の納め方もひどいと断言する。とりわけ少子化は国難だと嘆く。フランスを例に挙げて、やるべきことを具体的に提案している。フランスでは子ども1人生んだシングルマザーに、産前は月額10万3千円。産後は3年間月額17万1千円が保障されているという。所得制限の考え方も国民全体に無いという。2子、3子と補償額も上がり、安心して子どもを産めるそうだ。
私も地方が生き延びるには、若者定住と少子化対策が、最後の砦だとずっと書いてきた。今年になって、国と県は、首都圏から移住した家族には100万円、単身では60万円を支給すると発表した。ようやく具体的な案が出てきた。東京一極解消へのプランでもある。地方でも、少子化対策をうまくやっているところもぼちぼち出てきた。周陽小の実態を知ると、あきらめ感も出るが、いやいや施策を市民と一緒に考えれば、希望はある。藤井新市長に期待するところ大だ。あなたも頑張って3人の子どもを育てた実績があるではないか。(中島進)

新市長の新副市長に期待

~もう失政は許されない~
選挙による市長交代劇はそんなにない。下松市の河村憐次市長は、合併慎重派の井川成正前市長に敗れた。周南市は島津幸男元市長に続いて木村健一郎前市長が現職で敗れた。ここのところ多すぎる。河村氏は82歳の出馬で無理があった。当時1歳年上の県議から、あんたはまだ俺より若いから出馬を、と促されての立候補との逸話も残った。一方破った井川氏は、最後は86歳で日本最年長の市長になった。
島津氏は決断も早く、何か変革をしてくれると期待はされたが、百条委員会が設置されるなど疑惑が付きまとい失脚した。木村氏は真面目で、実直さが際立って1期目は安定感も見せたが、2期目後半から度々議会で陳謝する場面が見られ、信頼を失って行った。「しゅうニャン市」騒動は、議会では僅差で通過するなど強引な姿勢が目立ち、反発する市民も増えた。丁寧な説明がおろそかになって、敗北に至った。
市長は一人ではすべてを掌握できない。副市長に誰を置くかが大きなポイントだ。合併以来、周南市は旧新南陽の職員が副市長を務めた。市長を守り、行政マンの頂点に立つ副市長の役割は大きい。時には体を張って市長の提案を止める勇気も必要だ。また、議会や、市民団体などと対外的な付き合いがうまくできないと、市政を潤滑に動かせない。小川市政を支えたのは、当時助役だった林保人氏だった。
林氏は、議会への根回し、行政の陰の部分の処理など、裏舞台を見事に仕切っていた。もう時効だが、競艇場がらみで全国版並みのネタが入った。林氏はわが社に来て、「書かんと言うまで帰らん」と座り込んでしまった。確かに公になると競艇場は閉鎖になるかも知れなかった。丸一日の座り込みに音を上げたのは私だった。再発防止を確約して帰ってもらった。
市長だけは選挙で選ばれる。市長の方針を形にして、実行するのは副市長はじめ事務方の仕事だ。木村市政ではここ2年間陳謝する場面が多かった。副市長とその仲間たちが中枢部を握っていたが、その失敗で陳謝することは普通あり得ない光景だ。反省の色も見えない副市長たちを放置してきた責任はもちろん市長にあるが、人事権を行使する難しさも露呈した。
周南市は副市長に県庁幹部を招くことになる。優秀な人物だそうだが、果たしてどんな采配を、気配りをしてくれるだろうか。周南市は1,400人近い職員を抱える大組織だ。職員が生き生きと働ける環境を作るセンターに副市長がいる。議会対策、市民との対話など市長を支えて、前に進む周南市の要になりうるか。注目の人事だ。もう失政は許されない。(中島