一言進言

ネット社会の怖さに驚愕

~感染者は被害者だ~

東京はじめ全国で空襲があり、いたるところが焼け野原になった。今まさにコロナ爆撃による大空襲がやって来た。どこに逃げたら良いのかみんなわからないまま右往左往している。コロナ爆弾が落ちたところは不幸としか言いようがない。夜は光を消して、出歩くこともできなかったが、街の灯りが消えて、空襲に襲われた街の状態になった。

いつどんな時に爆弾が落ちるかわからない。スーパーのレジで感染するかもしれない。電車に乗り合わせて感染するかもわからない。東京、大阪に行くなと言う。向こうから来る人はごまんといる。たちまちこれから始まる各工場の定期修理には、全国から人々がやってきて周南地区に滞留する。食事も必ずするだろうし、買い物も必要だ。

政府はテレワークや、8割接触を減らせと言うが、生きるために働く人々はそうはいかない。結局誰しもが感染の可能性はある。そんな中、不幸にも周南地区で感染者が出た。驚いたのは感染したのは犯罪者と言わんばかりのバッシングが多かったことだ。テロリストなどと書き込むバカもいた。

それでも社名を公表、謝罪とコロナと戦う決意を発表した勇気は、多くの市民の共感を得た。県も各市も大いに助かった。感染者はすべからく被害者だ。あんなことをして、あんなところに行ってなどのバッシングは後出しじゃんけんのようなものだ。密閉、密接、密集の三密を守らず起こすと多少の批判は覚悟すべきだが、数人の行動で発生した感染はコロナ爆弾に当たったようなものだ。

感染騒ぎの最中、小中は延期したのに、すべての県立高校はみんなを集めて入学式を挙行した。もし感染者が出席していたらどう言い訳するのだろうか。8割接触を減らせの政府方針と整合性があるのか。保育園に預けたくない親も、生活のため仕方なく連れて行っている現実は哀しい。

矛盾はどこにも出てくる。今回不幸な感染者たちを想うと、ひどい誹謗中傷の多さに心が痛む。明日は我が身なことを忘れている人がこれほどいるのか。ネット社会の怖さを痛いほど知らされた。あの空襲時代、被害にあった人に「逃げなかったから仕方ない」と言う人はいただろうか。

(中島 

市民目線の職員に

~職員の人間力が地域を創る~

異動の季節は公務員にとってドキドキの瞬間だ。人はだれしも好き嫌いがあって、事務処理の得意な人、折衝ごとが好きな人など向き不向きもある。しかし、公務員は技術職はともかく、どこに配属されるかわからない。より良い公務員とは、どこに行こうが常に勉強する姿勢と、より良い施策を考え出す作業ができることだ。

昨年1年以上かけて「杜は見ていた」というシティーケーブル周南の番組制作を手伝った。旧徳山市の戦前戦後の移り変わりを追いかける番組だ。黒神公直遠石八幡宮名誉宮司が語り部の長編となった。

先人たちの回顧録や、資料に目を通しながらの制作だったが、そこに見えたのは、地域を創るのは市役所と言う組織ではなく、当時生きていた人間力だったことが分かった。長谷川藤七市長、黒神直久市長、高村坂彦市長、河野通重市長、小川亮市長と、希代まれな市長に恵まれたのもあるが、その下で形にしていった幾多の市職員の苦悩と葛藤が生み出したものだと確信した。

黒神市長時代、当時の担当者は市長命令といえど、よくぞ見たこともない競艇場を作り、動物園を作った。単に小学校を作るのとはけた違いな代物だ。高村市長時代、わずか16年で、60万坪を超える周南団地を作り、15kmのバイパスを通し、新幹線を街中に走らせた。部下たちの奮闘ぶりは単に苦労話ではすまない。用地確保に最後まで抵抗する住民の説得や、国からの予算確保に確約をもらえるまで帰れなかったり、全職員が必死で仕事に打ち込んだ。

私の父も黒神、高村両市長に仕えたが、住民課長時代、全国に先駆けて日曜窓口を開設した。のちに聞くと労働組合の大反対で大変だったそうだが、全国紙の社会面を飾り、大学生だった私も友に見せて胸を張ったものだ。当時の職員の武勇伝には事欠かない。

当時我が家には父の同僚などが常に集まり、口角泡を飛ばしての大激論をしていた。どうしたらもっと徳山が良くなるかがテーマだった。古き良き時代と言ってしまえばそれまでだが、みんなの目線は確実に市民だった。3市にも新人職員が多く入った。彼、彼女たちが10年後、20年後に初心を忘れないままで頑張っていてくれたら。

(中島