一言進言

難解なシティプロモーション

~地域の自慢探しを~

全国の地方自治体がシティプロモーションに取り組んでいる。自分たちの市や町を知ってもらいたいと懸命だ。知ってもらうことで何を産もうとしているのか各地思いが違う。中には定住者を増やしたいとか、特産品をもっと販売したいとか、地域によって目的も異なる。何をもって成功とするかも各地域で違う。

よくあるのがプロモーションビデオの作成だ。ユーチューブで配信し、アクセス数で評価される。中には有名人を使って多額の経費をかけ、ストーリー性など工夫を凝らして作成するところもある。光市もかつて作って、それを見て移住希望者が1人だか、2人だか出てきたと話題になった。下松市はフイルム・コミッションを立ち上げ、何本か映画も作った。

周南市も新たに多くの参加者を募り、シティプロモーションに取り組み始めた。それはそれで良いことだ。確かなのは、この地域の自慢できること、この地域の良さを再発見する作業そのものが大切だ。この周南地区は観光地ではない。観光で多くの人を呼ぶのは至難の業だ。全国的に有名な観光地には勝てない。

地方で一番肝要なのは、ずっとここで住んでいたい、ここから離れたくない人がどれだけ多くいるかだ。人それぞれ判断基準が違う。便利さを求める人、隣近所が面倒でないこと。子育てが楽なこと。などなど色々な要素がある。しかも厄介なことに、年代でその求めるものが大きく違うことだ。例えば過疎地で住民アンケートを取ると、ほとんどの人は「住みやすい」と応える。若い人がいないから夜中にバイクの音が鳴り響くこともない。お年寄りには知り合いに囲まれ、静かな地域が最高だ。

周南地区の若者にアンケートを取ってみればよい。「あなたの市はどんなところですか?何が自慢の市ですか?」。多分かなりバラバラな答えになるだろう。要するにシティプロモーションがいかに難しいか、どこもするからするとは思いたくないが、難解な事業だ。そもそもシティプロモーションは、自分たちが誇りにできる地域を創ることが大きな目的だ。知名度なら、野犬の問題で全国版になった。


(中島 

コロナ後はどんな世界に

~再開発は本当にうまくいくのか?~

ひと昔前、徳山の商店街は人であふれていた。歳末などは人とすれ違うのも気を使うほど人波は止まることが無かった。昔を知る人たちはノスタルジックにあの賑やかさをもう一度と願う。かなわぬ夢だとわかっていても、もう少し何とかならないかと思う。だから徳山駅前再開発事業を否定する声はほとんど無い。

どんな再開発か、ほとんどの市民は知らない。事実、今の時点でわかるのは、旧近鉄松下百貨店などの建物が壊され、徳山商工会議所が駅前に移転することと、マンションが建設されることだけだ。商業施設やホテルは中身が皆目わからない。どんなホテルか、どんな商業施設ができるのか、市民が一番関心を持つ部分は今後の課題としてそっくり残っている。

そんな中、再開発の区域内では賃貸している店舗の立ち退き交渉が始まり、すでに多くの店舗などが移転を始めた。そもそも再開発組合は10数軒の地権者が作った組合だ。区域内で何十年も営業していた人たちは発言できない。立ち退き交渉開始は事実上再開発事業の開始だが、15億円の負担を担う市民には一切告知もないスタートだった。

約半世紀もその地で店舗を守ってきた商店主にとっては、移転先の立地条件は死活問題だ。組合からは移転先の告知も、応援体制も十分ではなかった。わが社は一店一店取材して記事にすることしか応援ができない。一方、地権者が経営していた店舗はほとんどが閉店するという。長年歯の抜けた商店街で、賃料を払い続けて何とか歯を食いしばって頑張ってきた商店主への配慮はないに等しい。15億円の周南市民の血税と、15億円の国の税金を使う事業だが、地権者たちの論理だけの再開発が果たしてうまく行くのだろうか。

今、新型コロナ禍の中、福岡市の開発事業は延期、徳島県からは百貨店が撤退、など全国で商業関係の暗雲は想像以上だ。コロナ後商業の在り方そのものが暗中模索の状況だ。どんな世界になるか誰も見当つかない。ここ徳山の中心市街地だけが例外になるとは思えない。従来のままの計画でうまくいくのか。検討した跡が見えない。地権者の早くお金が欲しい意欲がそうさせているのか、日本中で物販の世界が変わろうとしているときに、誰にも告げずに事業をさっさと始めることは、理解不能だ。議会も行政も口をつぐんだだけだ。15億円もの血税の使い方に、少しは議論があってもよかろう。「民間のすることですから」と議会、行政の言い訳はこの一言だ。この事業の失敗は許されない。市民のマインドが徹底的に落ち込む。

(中島 

総裁選はコップの中の嵐

~ 一億総保守化の日本人 ~

山口県が保守王国であることは自他ともに認めるところだ。数多くの総理大臣はじめ、大臣も数えきれないくらい輩出した。安倍首相が辞任を表明したが、保守の地盤は揺るぐことは決してない。辞任にあたり様々な論評が新聞各紙に展開されているが、基本的な国の在り方は何も変わってこなかった。

衆院の中選挙区時代は、社会党や民社党の国会議員も登場したが、ここ最近は県内では国会議員全員が与党の状態が続き、保守の岩盤を崩せる気配も極めて薄くなった。山口県だけを見ると政権交代など夢のまた夢の感が強い。だからかどうか、投票率も激減し、2人に1人しか投票しなくなった。

山口県だけの問題ではない。日本中が国政に鈍感になってきた。モリ・カケ問題での公文書改ざん、桜を見る会のずさんさ、検察トップ人事の不祥事、広島の河井夫妻の多額の選挙買収問題など、ここ2年の国政の不祥事は目を覆わんばかりだが国民は怒らない。国会議員自体が論議することを避け、国政を語らない有様にマヒしてしまった。

みんな安倍首相におんぶにだっこで、ひたすら恩恵をこうむろうと言わんばかりの言動は不思議でならない。アベノミクスに感動して我を忘れたかのようだ。「地方創生」「一億総活躍」など次々とスローガンを掲げ、経団連に賃金を上げるよう要請するなど野党の付け入るスキのないスローガンで権力を盤石なものした。不祥事に内部から批判する議員はごく少数だった。

考えてみれば政権を取った民主党も、主なメンバーは元自民党が多かった。急進的な政治家は早い段階で民主党を去った。自民党の支持率は未だに40%を超えている。野党は散々だ。日本人は基本的に村社会で成り立っている。革新的な変化を求める民族ではないかもしれない。島国らしく安定した社会が何より大事だと思っている。

思い返せば、日米安保に反対する声は70年代で消滅してしまった。以降は経済大国の掛け声に押され、国民の大半が日常の生活に埋没した。格差が広がろうが、理不尽な政治家が多少現れようが、政権を変えるような選択肢はなくなった。かくして総裁選はコップの中の嵐とでも言おうか。大騒ぎするほどでもない。できればもう少し人口を増やすこと、少子化を防ぐことに熱心になればいい。地方で望むことはそれだけだ。

(中島