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戦艦「河内」や人間魚雷「回天」

ふるさと馬島の伝統行事
田中さんが冊子28冊に

田中さんがまとめた冊子
田中さん

 周南市川崎の元桜ケ丘高教諭で徳山地方郷土史研究会の元会長の田中賢一さん(82)が10年かけて故郷の大津島や1918年(大正7年)に徳山湾に沈んだ戦艦「河内」、太平洋戦争中の特攻兵器「回天」などについてまとめた手づくりの冊子28冊を完成させた。図書館や公共施設への寄贈を進めることにしている。
 田中さんは大津島の馬島の出身。中学まで大津島で過ごし、大阪の高校、大学に進学したが、卒業後は帰郷して桜ケ丘高で社会科を教え、定年まで勤めた。退職後は開設されたばかりの新南陽民俗資料展示室で企画展も開くなど社会教育指導員として活躍した。
 歴史は専門ではなかったが、30歳のころ、父親が「あゝ河内艦」を歌っていたことから関心を持った。戦艦「河内」は初の国産の日本海軍が誇る弩級(どきゅう)戦艦だが、訓練中、謎の爆沈で621人が亡くなった。父親をはじめ、大津島の若者はその救助活動にも協力し、当時の様子を語り継ぐ中で「あゝ河内艦」が歌われていた。
 田中さんはその10番まで続く歌詞と曲も発掘した。そのころから毎年の慰霊祭にも参加するようになって半世紀になった。今回の冊子でも「戦艦『河内』爆沈」「戦艦『河内』追悼写真集など5冊ある。


訓練や出撃も目前で

 「回天」は大型魚雷を改造して搭乗員が乗ったまま敵艦に体当たりすることから人間魚雷と呼ばれ、大津島にその訓練基地があった。
 田中さんは終戦時、小学1年生。馬島の高台にあった家からは海中を潜水したまま進む回天を高速艇で追いかける訓練や、潜水艦の甲板に積まれた回天とともに出発する隊員の様子を見たという。
 大津島などの回天の実態の目撃者がいなくなる中、この大津島で生まれた人でないと体験できなかった目撃の事実を発信したいと自らの体験などを冊子にした。昨年、大津島回天神社が創建されたがその事業にも携わり、資金集めなどに奔走して完成させた。
 その記録として「鎮魂『回天烈士』御霊 令和元年大津島に還る」「大津島神社創建のあゆみ」や「回想 人間魚雷回天」、「大津島高角砲台」「徳山警備隊戦時日誌」「徳山出身海軍大将末次信正」など海軍関係の冊子を合わせて11冊ある。
 そのほか、ふるさとの思い出をつづった随筆や長年撮りためた写真をまとめた「写真で見る周南市大津島 馬島漁港 戦後の盛衰」「故郷大津島馬島 百景Memory」「残そう 歴史を語る古里(大津島馬島地区)の歌・唄」「再現 うましま弁」などがあり、馬島の亥の子祭、冠婚葬祭などの伝統行事も紹介している。
 冊子は20ページから50ページで、写真も豊富。パソコンで制作、手作業で製本して知り合いなどに贈ってきたが、馬島でも人口減少が進んでいることから、今残しておかなければ永遠に失われてしまうと寄贈を思い立ち「生きている間に残したい」と話している。

【きょうの紙面】
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