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笠戸大橋が開通50周年に

島出身の故橋本知事が尽力
本土と一体化、暮らし向上

開通50周年の笠戸大橋


 下松市の本土と笠戸島を結ぶ「笠戸大橋」が完成して14日(土)で50年になる。架橋によって離島でなくなった笠戸島の半世紀は、どんな変化を遂げてきたのか。笠戸大橋が島民に果たした役割を探った。(山上達也)

橋の完成で島と本土が一体化

 笠戸大橋は全長476.2メートルのランガートラス橋で、アーチの底辺(海上部分)は156.2メートル。県事業で1967年12月に着工し、70年11月14日に完成した。総事業費は5億1,900万円。
 完成式典には笠戸島本浦出身で架橋実現に力を尽くした橋本正之知事(当時)も出席。渡り初めでは橋本知事を先頭に、小学生たちも橋の両側から対岸に向かって国旗や市旗の小旗を振りながら渡り初めをして祝った。
 橋は県道笠戸島公園線(本土―本浦)の一部となり、県道笠戸島線(本浦―深浦)の整備も進んで、77年には南端の深浦まで路線バスが乗り入れた。橋の下に水道管を敷設して島内全域に上水の供給が始まり、簡易水道や井戸水頼みだった島内の生活用水の問題が解決した。
 本土との一体化から観光開発も進み、71年に市が国民宿舎大城をオープンさせ、75年には県勤労総合福祉センター「笠戸島ハイツ」が完成。はなぐり海水浴場、市栽培漁業センター、笠戸島家族旅行村、外史公園、島内を巡るハイキングコースも相次いでオープンして、現在の笠戸島の大枠が形づくられた。
 一方、架橋前に本土と島を結ぶ唯一の足だった笠戸巡航㈱の巡航船は、現在の県漁協下松支店前の新川桟橋を起点に、本浦航路▽深浦航路(尾郷、江の浦、大松ケ浦、小深浦、深浦)▽大島航路(周南市大島)の3航路を運航。航路はそれぞれ市道認定されて「海の市道」と呼ばれていた。
 しかし南端の深浦まで路線バスが開通した77年3月で最後まで残っていた深浦航路が廃止され、市が株式の過半数を保有していた同社も解散した。

「道」と「橋」に尽くした橋本知事

故橋本知事の胸像
故橋本知事のレコードのジャケット

 架橋に尽力した橋本知事は、1935年に現在の韓国・ソウルにあった京城帝国大学を卒業して朝鮮総督府に勤務。戦後は山口県庁で総務部長や副知事を務め、58年から衆院議員を1期、60年から県知事を4期務めた。知事在任中は市在住の山門芳馨さん作詞、作曲の「橋本正之後援会会歌」ができ、歌手の村田英雄さん、三鷹淳さんが歌った。
 知事として道路整備や離島の架橋に取り組み「道の知事」「橋の知事」と言われた。笠戸大橋も、66年完成の長門市の青海大橋▽69年完成の上関町の上関大橋▽76年完成の柳井市-周防大島町の大島大橋と並ぶ離島解消の架橋の一つだった。
 道路面でも70年に美祢市の秋吉台有料道路▽72年に岩国市の欽明路有料道路(いずれも現在は無料化)も開通。63年の山口国体をきっかけに県管理の道路のガードレールを夏ミカン色にした。
 笠戸島ハイツの中庭には橋本知事の胸像がある顕彰碑があり、題字は藤田徳一市長(当時)が揮ごう。島内にあった笠戸小、江の浦小、深浦小、深浦中の校歌はすべて橋本氏が作詞したものだった。今年9月9日の命日で没後44年を迎えた。

一昨年豪雨災害で橋の存在を再認識

 笠戸大橋とよく似たランガートラス橋は、長崎県五島列島の五島市にある戸岐(とぎ)大橋が有名で、深紅の色もそっくり。周南市中須北の菅野ダムをまたぐ川久保橋も形が似ていて興味深い。
 笠戸島自治会連合協議会の辻国政さん(78)=笠戸島江の浦=は「一昨年の豪雨で島内の県道が寸断されて孤立した時、架橋前の巡航船時代の助け合い精神を呼びかけながら笠戸大橋の大切さを再認識した」と話す。
 かつて市で総務部長や収入役を務めた河村敏雄さん(90)=南花岡=も「橋が架かってから住民の暮らしは格段に向上した。笠戸大橋の完成は市の歴史に大きく新しい1ページを刻んだ」と感慨深そうに話していた。

五島列島の戸岐大橋(長崎県五島市)

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