一言進言

「まちのポート」存続を

行政も本気で取り組め

周南市の徳山駅東側が大きく様変わりしている。多くの店舗が移転したり、閉店したりでしばらくは閑散とした街並みになる。移転組の中ではイタリア料理のリコは、石丸薬局そばに移ったが、中庭もありさらに進化した店つくりで人気を呼んでいる。他店はつぶさに見ていないが、新天地で頑張っているようだ。

12月に再開発は県の認可が下りたら一気にみなみ銀座、銀座通りは工事一色になり、景色も一変するだろう。完成までの数年間、銀座通りの人通りは大きく減少するだろう。そんな中、設立に多少関わった周南観光コンベンション協会も移転すると聞いた。「特産品セレクトショップまちのポート」も当然移転する。どこになるか気になったが、結局場所がなくて当分休業する予定だそうだ。

「まちのポート」は観光案内所を兼ねた店舗で、周南地域限定のお土産品を扱う街中唯一の施設だ。光市や下松市のお土産商品も扱い、他地域から来た人や他地域に行く人にとって、地域の名産品を手に入れられる唯一無二の場所だった。聞くと観光案内所の機能だけは、徳山駅の南北自由通路にカウンター一つを設置、かろうじて体面を保つ計画だそうだ。

観光コンベンション協会は、従来の官製の観光行政から脱却、自由で活発な活動で地域を盛り上げようとして設立された民間組織だ。「平和の島プロジェクト」は、民間だからできた。「回天カレー」「お重さん缶詰」など、大津島を全国に知ってもらおうとメンバーが考案、販売まで熱心に取り組んだ。そのほとんどがボランティアによるものだった。秋の「のんた祭り」などの形態を変え、もっと市民に喜んでもらい、地場産品の販路拡大に役立つものへと工夫してきた。かって一人だった職員を複数人にするため、行事があるたびに地場産品の販売に精出してきた。

15億円もの市民の税金を使っての再開発のために、「まちのポート」は閉鎖を余儀なくされる。ここは行政が知恵を出して、臨時でもいいから仮設店舗でも建てて、「まちのポート」の存続を図るべきだ。移転費用は再開発組合に負担させるべきだろう。新幹線が止まる駅の前から、地域のお土産品売り場が消滅することにあまりにも鈍感すぎる。無策すぎる。周南地域、いや防府まで含めての玄関口でもある徳山駅の存在意義が問われる問題だ。きれいにするだけが能ではない。地域の産業育成にも影響する。

(中島 

アメリカは世界の人権を守る国へ

~先ずはユネスコ復帰を~

バイデン氏がアメリカの次期大統領に決まった。トランプ大統領が負けを認めず裁判に訴える。連日日本のメディアは我が国のことのように大きく報じている。いかにもバイデン氏がまともでトランプ大統領は変人のような扱いが多い。果たしてどうなのか。

私の独特の見方なのだが、アメリカは大統領で大きく変わる国だと思っていない。昔の西部劇ではインディアンが常に悪者で、白人が善人役でインディアンを撃ち殺す映画がほとんどだった。それが先住民の人権が問題になって、確か20年か30年前に先住民に謝罪することを決めた国だ。

大戦後70年以上、アメリカは世界中でほとんど休憩なしで戦争をしてきた国だ。9.11後、アフガニスタンに侵攻することにアメリカ国民の8割以上は大賛成した国だ。カルフォルニアの基地から無人爆撃機を飛ばし、ハンバーガー片手にパソコン画面を見ながら、すさまじい爆弾を落とし、罪のない子どもや女性を殺害してきた国だ。

世界の警察と言うが、アメリカが攻撃して、従順になり平穏になった国は一体どこなんだろうか。私の知る限りアメリカが完全に勝利し、屈服した国は日本だけだ。中東は未だに炎が上がり続き、征服した状況はどこにもない。ベトナムに対しては、あの世界で冠たる軍事力をもってしても敗北した。

アメリカの語る人権とは、アジア、アフリカ、中東に生きる人たちへの人権とは意味が異なっている。日本もアメリカに従順に従って、多くのメディアは「中東で100人死にました」との報道はわずか数行の記事で消化されてきた。人間一人の命の重さの違いを見せつけられてきた。

アメリカは2019年にイスラエルと共にユネスコ(国連教育科学文化機関)を脱退した。ユネスコがイスラム諸国に好意的だとの理由だ。アフリカなど新興国の飢えた子どもたちの教育を救うにも、ユネスコの活動は欠かせない。バイデン新大統領にはアメリカ国内の人権も融和も大切だが、もっと大きな目で世界を見て、人権を守る模範国家を作って欲しい。まずはユネスコへ復帰だ。 

(中島 

グランドデザインのない周南市

~都市の再生は可能か~

周南地区の商業地図が大きく変化したのは20年前だ。下松市にサンリブ下松やザ・モール周南ができ、買い物客の流れは大きく変わっていった。20年前に徳山駅ビルが解散を決めた時が、流れを決定付けた瞬間だった。出資者が㈱トクヤマなどの大企業と旧徳山市だけだったから、混乱なく静かに幕は下りた。

全国の商店街がそうであるように、旧徳山市の商店街も衰退の流れは止めようがなかった。近鉄松下百貨店が閉店して、その流れはさらに加速した。幸い従来から旧徳山市の商店街は、県下でも抜きん出て活況を呈し、商店主たちは十分な収益を上げ、郊外に不動産を取得するなど、倒産に至った商店主は非常に少数だった。

夏まつりや、ツリー祭りなど何万人もの人出があっても、夕方定刻にはさっさと店じまいする商店街に批判も多く聞かれるが、切迫感はさほど感じないのは何故だろうか。未だ空き店舗がない銀南街を維持できているのも県内でも希有の例だろう。しかし、買い物動向調査では、ほとんどの周南市民は下松市などに集中し、旧徳山市の商店街での買い物客は激減している。土日などの人通りは悲惨だ。

少しばかり前だが、個人的なつながりで、日本を代表するデベロッパーに来てもらって、ここ旧徳山市の中心地帯の再生はなるのか診断してもらった。結論は「駄目でしょう」だった。要因は「この周南市には全体を見たグランドデザインが全くない」だった。駅西側をどうしたいのか、駅南をどんな街にしたいのか、市役所から北の一帯の役割は何か、など何もプランがないと言い切った。また、少子化対策や、若者定住策など目立つ施策がほとんどない中で、小手先の手直しでよみがえることは不可能と断言された。

確かに周南市は将来像を描くための材料はほぼ何もない。光市も同様だ。人口は減り続き、少子化は進むばかりの中、新たなインフラ整備の計画もないし、将来像を描くことも成しえていない。人口は減って当然、子どもはいなくなって当然、と思い込んでいる。まだまだ周南地域は地方都市の中では恵まれている。大胆で細心のプラン作りが急務だ。

(中島