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戦前の中国で工場の総支配人

東一郎さんが贈られた額

従業員から贈られた帰国記念の額
中山東一郎の子孫が山崎八幡宮に奉納

 戦前に富田町長も務めた中山東一郎さんが1930年に中国東北部の奉天(現在の瀋陽)から帰国する際に総支配人を務めていた奉天製麻の工場の中国人の従業員2千人から贈られた立派な額2枚を12日、孫で周南市古市の中山義文さん(94)が山崎八幡宮(河谷昭彦宮司)に奉納した。


 この額は高さ1メートル、幅2.2メートル。一枚板でそれぞれ、「博愛為懐」「徳被群工」と大書して「帰国記念」の言葉や工場名、「中華民国十九年三月」と年号が添えられている。
 それぞれ松竹梅やおめでたい植物が彫刻された金地に立派な文字で書かれ、豪華な美術品に仕上げられている。長く中山家の玄関に大切に掲げられていて傷みもなく、日本と中国の人と人の間に結ばれたきずなを伝えている。
 東一郎さんは1876年生まれで1963年に亡くなったが、19歳で家運挽回のため、家を出てから帰国するまでの半生は波乱万丈。台湾や朝鮮半島、中国の実業界で活躍し、探検や調査にも出かけて冒険を繰り広げた。日露戦争では中国語の通訳を務めた。
 初代内閣総理大臣の伊藤博文が1909年にハルビン駅頭で暗殺された時は、現地の日本人会を代表して出迎えるため、現場に居合わせたという。
 75歳の時に人生を振り返ってまとめた手記によると奉天製麻は安田財閥系の企業だったが、1919年の会社設立時から現地で工場の建設からまかされていた。安田家内部の紛争や22年には火災で工場が焼け落ちてしまう不運にあい、工場解散のため不眠不休で奔走。復興にあたっては取締役兼総支配人となった。
 その後の経営は順調だったが、世界恐慌の中で安田家出身の社長に突然、工場の解散を命じられ、経営の継続を求めたが受け入れられず、「激高する社員、職工を慰撫、鎮定し、無事閉鎖を完了した」という。今回、奉納された額はその時、盛大な式典、行列などとともに贈られた。義文さんによると東一郎さんは一本気な人だったという。
 同八幡宮では今年は4月3日(土)、4日(日)に開く春季大祭で披露することにしている。

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