一言進言

原爆投下に文句言えないのは何故?

~戦争の責任者は誰だったのか?~

私は戦後生まれで戦争体験はない。しかし8月は6日、9日、15日とほとんどのメディアが悲惨な戦争を想像させる季節になり、幼かった私でも、ほんの少しだが残骸の一部を呼び覚ます機会になる。おぼろげな記憶でも今の世の中では想像しえない光景が見えた。

祖父は被爆者だった。両親と疎遠だったのか会った記憶が薄いが、残っているのは被爆者たちが寄り添って生きていたバラック建ての家だけだ。確か周りもみな同じような板を窓代わりにしたバラックだった。しばらくして訪ねたときは3、4階建ての市営住宅だった。既に祖父はこの世にいなかった。両親から祖父の話は聞くことがほとんどなかった。

私の継母は看護師だった。呉の空襲時に街中で被災者の救護にあたっていたそうだ。呉の空襲も激しかったようで、周囲が燃え盛る中、おびただしい遺体がそこら中に転がっていたが、まだ息をしている人の救済に走り回った経験を語ってくれた。印象的だったのは道路までが焼けて、はいていた運動靴が熱でドロドロに溶けていたそうだ。

確かな自分自身の記憶は、中学校時代、同じクラスの友達が白血病で亡くなったことだ。市内の寺院での葬儀に参列したが、棺を抱きしめ「私が殺してしまった」お母さんの悲痛な泣き声は未だに耳に残っている。お母さんは被爆者だった。彼が被爆二世だと意識したのは高校を卒業するころだった。

一体誰が、何のためにあのひどい戦争を始め、誰が、何のためにあれほど悲惨な結末まで続けたのか。高校生になって多少本を読み始めて流れがわかってきた。わかればわかるほど、何百万人もの尊い命を奪った責任者は誰なのか、結局うやむやで終わったあの大戦は疑問しか残らなかった。日本の歴史であれほどの大事をしたのに、誰一人責任を取らなかったことに唖然とするだけだ。腹を切ったり自害した指導者もいたが、東条英機などはおめおめ敵国米国に捕まった。

日本の誇る武士道を語って、兵士たちを突撃させた指導者が生き残ったのはどうしても理解できなかった。自害するつもりならどうとでもなっただろうに。責任者が誰か追及しないままこの国は戦争に負けた。天皇陛下も参拝に訪れることができない靖国神社の問題も未だに解決できない。あの戦争は全て敵国米国が悪かったのか。原爆投下に文句が言えない国家に誰がしたのだろうか。戦後76年の夏は終わった。

(中島