ヘッドラインニュース

周陽小が50周年式典

青空に飛び立つ風船

規模縮小も地域と祝う
多彩な記念事業実現

 周南市の周陽小(國澤尚明校長、184人)の開校50周年式典が14日、全校児童と保護者が参加して開かれ、児童の代表4人が「みんなの心を一つにしたい」「ICTを活用したい」「イベントがたくさんある学校にしたい」「元気いっぱい、思いやりのある学校にしたい」と学校への思いを述べた。最後に校庭から全員で同校の紹介などのメッセージを付けた風船を飛ばした。
 新型コロナウイルスの影響で式典は規模を縮小し、来賓は地域の住民団体の代表などだけにした。50周年事業は実行委員会(委員長・叶太同校PTA会長)が中心になって取り組んだ。開校記念の横断幕設置▽航空写真・全校集合写真撮影▽全校児童の「将来の夢」の掲示▽めざす児童像「夢のある子 品のある子 力のある子」の額の体育館への掲示などがあった。
 式典では、國澤校長(59)は同校が開校以来取り組む花づくりを例に「夢の実現のため、日々のたゆまぬ努力が大切。今をせいいっぱい生きる周陽っ子であって下さい」と式辞を述べた。
 周陽地区コミュニティ推進協議会の加藤洋会長が祝辞を述べて住みよいまちづくりへ「気持の良いあいさつから始めましょう」と呼びかけた。
 児童代表のあいさつは6年の池田陽斗君、5年の羽嶋友愛さん、4年の川戸亮輔君、3年の杉原宇美さんが壇上で発表した。今年4月の「子供の読書活動優秀実践校」の文部科学大臣表彰に貢献したとして、同校読み聞かせの会を功労者として表彰した。式典のあと、児童による周陽太鼓の披露もあった。
 叶さん(52)は「規模は縮小したが、関心は逆に集まった」と記念事業の実現を喜んでいた。

児童代表のことば
式辞を述べる國澤校長
「めざす児童像」の額
周陽太鼓の演奏

周南団地の最初の小学校

 同校は1971年に周南団地の造成に伴って開設された最初の小学校。校舎の建設が間に合わず、9月に遠石小学校の仮校舎から新しい校舎に移った。
 開校時の児童数は329人。その後、増え続けて最も多かった77年には1,307人になった。75年に秋月小、78年に桜木小が分離、開校したあとも千人を超える時期がしばらく続いた。児童数はその後は減少し、2012年度以後は400人を下回り、減少傾向が続いている。卒業生数は来年3月で4,995人になる。
 最初は校舎しかなく、花壇づくりや緑化に力を入れ、全国花いっぱいコンクールでも入賞を重ね、2004年度には緑化推進功労者として内閣総理大臣賞を受賞。
 式典会場の体育館内には地元の大林恵子さんが書いた「めざす児童像」の額が掲げられ、壁には「将来の夢」を掲示し、造成間もない周南団地の航空写真や同校のこれまでの航空写真、卒業記念文集、5年ごとに発行してきた記念誌、大臣表彰の表彰状などが展示され、保護者らの関心を集めた。

【きょうの紙面】
(2)27、28日に故河野博行さんのお別れ会
(4)周南システム産業が創立70周年で車椅子7台
(5)12月3日、野村万作・萬斎狂言の会


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不法投棄の洗濯機、自転車

自転車の引き上げ

ボランティア28人で撤去
県産廃協会周南支部主催

 周南市戸田の旧桑原処分場付近の道路にかかる橋の周りで12日、県産業廃棄物協会周南支部(支部長=長田聖士徳山オイルクリーンセンター社長)の会員企業の代表や社員、県と市の職員が不法投棄廃棄物の撤去作業をした。
 このボランティア活動は同支部の主催。2004年から毎年、周南、下松、光の各市や関係団体と協力し、山間部の道路沿いや空き地などの不法投棄が多い場所を選んで取り組んでいる。
 不法投棄は夜間に車で廃棄物を運んで、高い所から投げ捨てる事例が多く、今回は橋の下と海に面した道路脇の斜面に捨てられたゴミを28人の参加者が回収に当たった。
 ヘルメット、長靴、手袋をつけ作業服を着た参加者は、橋の下の谷まで降りて、空き瓶、空き缶、ペットボトルを手で拾い、土のう袋に入れて持って上がった。タイヤやバッテリーなどは大袋に入れて橋の上からロープで引き上げ、自転車、洗濯機、ベッドのマットなどは直接ロープでしばって引き上げた。
 橋の近くの停車スペースにブルーシートを広げて、回収した廃棄物を分別。燃えるゴミはゴミ収集車に入れ、缶・瓶の収集袋とペットボトルの収集袋、廃プラスチック類と金属は、同支部会員企業のタダオが用意した4トントラックに積んだ。廃棄物を載せたトラックは同市臨海町のリサイクルプラザに向かった。

洗濯機の積み込み
撤去ボランティアの参加者


 参加した周陽インダストリアの川元正社長(51)は「橋の上からではわからなかったが、実際に降りるとたくさん投棄されているのを見て残念に思う。今回の活動できれいにすることで、不法投棄をする人がいなくなれば」と話した。
 長田支部長(59)は「協会は社会貢献を行動指針に掲げていて、県と市との連携が大事。撤去ボランティアを続けていき、不法投棄がなくなってほしい」と語った。
 県によれば、県内の不法投棄の件数は横ばい傾向にあるものの、パトロールや監視カメラの設置などで引き続き不法投棄の防止に努めるとしている。

【きょうの紙面】
(2)周南市社協が148人と6団体を表彰
(4)光・熊毛郡法人会が「税に関する絵はがき」コンクール
(5)周南市議会が手話条例制定で手話研修会


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光市長選きっかけに不協和音

[記者レポート]

3市長は腹を割って連携を!
許されぬ広域行政への影響

 「今後、周南3市の連携はどうなるのだろうか?」―そんな声が3市に渦巻いている。10月25日投票の光市長選で、現職の市川熙氏(73)=無所属=自民・公明・連合山口推薦=に挑んだ新人の前市議、磯部登志恵氏(61)=無所属=を藤井周南市長に近い人たちが応援したためだ。市川氏は約1,800票差で磯部氏を破って4選を果たしたが、両者の距離感に3市連携の行方を不安視する見方は強い。3市連携の現状と今後の見通しを追った。(山上達也)

市川氏支援の国井氏
磯部氏支援の藤井氏

 「おめでとうございます!」―光市長選の開票翌日の10月26日昼、下松市役所の1階ロビーや市長応接室のある3階の廊下には多くの職員が並んで、国井下松市長に当選の報告に訪れた市川氏を熱い拍手で歓迎した。
 国井市長は光市長選で市川氏を全力で支援した。出陣式や当選祝いに駆けつけただけでなく、自らの後援会に光市内の知人を紹介するように要請して“市川票”の掘り起こしに大きな力を発揮した。
 半面、磯部氏には藤井周南市長に近い人たちや市議会の「周南市議会自由民主党」の議員有志が支援。期日前投票の徹底した要請と事後確認など光市の選挙ではなじみの薄い選挙戦術を駆使し、市川氏に激しく迫った。
 こうした経緯もあってか、市川氏はまだ周南市役所に当選報告の訪問をしていない。

市川光市長を拍手で迎える下松市職員(10月26日)

国井、市川氏の周南市長選の現職支援が引き金?

 なぜこんな展開になったのか、藤井市長と市川氏の間に何があったのか。一説には昨年4月の周南市長選で国井、市川両氏が現職の木村健一郎氏を支援したことや、藤井氏が当選直後、藤井氏の選挙事務所に2人が祝福訪問をしなかったことが原因だと指摘する声もある。
 しかし一般的に、市長選では周辺市の市長は現職の出陣式や演説会に出席するのはよくあるケースで、市川、国井両氏の行動が特異だったとは見えない。
 その上、今年1月の本紙主催の3市長座談会では、3市長間のわだかまりは表面化しなかった。同月に周南市のホテル・サンルート徳山で開かれた公明党東山口総支部の新春政策懇談会でも、3市長は明るい笑顔で乾杯をしていた。
 藤井市長は磯部陣営について「私は関わっていない」と否定する一方、昨年4月の周南市長選で磯部氏が藤井氏を支援したことには「磯部さんには恩義がある。お礼の意味でうちの関係者が(光市長選で磯部氏を)応援したのだと思う」と説明する。

乾杯する左から国井、市川、藤井各市長(1月17日・ホテルサンルート徳山)

斎場移転で下松市苦労

 3市の関係は斎場やごみ処理、福祉施設、消防などの一部事務組合が絡み合い、各組合に3市長は行政、執行機関の役員で名を連ねている。(※下表参照)一市長の私情が公人としての立場を上回ることはあり得ない。
 とくに下松市、光市と周南市の徳山地域、熊毛地域が対象の御屋敷山斎場の移転では、下松市は移転先の選定や地域住民の説得に苦労を重ねた。
 この努力は他の組合も同様で、3市のトップが互いに気持ちを通じ合わせて話し合える環境があればこそ、3市の連携や協調は進んでいく。
 しかし6日に開かれた光地区消防組合議会では、公式発言以外で管理者の市川氏と議長の藤井氏が議場で会話を交わす場面は見られなかった。
 市長は市民の幸せの実現を第一に考えるべき公人であり、トップ同士の意思疎通のパイプを詰まらせてはならない。市川氏は当選翌日の10月26日の記者会見で本紙記者の質問に「3市連携の必要性は言うまでもない。市民のための連携だから解消することはない。3市の職員間でも緊密な連携を取っており、必要に応じてトップ(市長)で調整する手法に変わりはない」と明言している。
 この発言こそ3市の市長に共通させるべきものだ。3市長とも市民第一の姿勢を持てば何の問題もないし、それを願わない市民はいないはずだ。


【きょうの紙面】
(2)地震想定し、支援物資の配送訓練
(4)勝間小児童にカブトムシの幼虫
(5)熊毛北高で地元の食材の創作料理発表会


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世界初の非接触システム!

徳山積水工業に設置
壁に映像、手かざしで操作

タッチレスラクティブに手をかざす小泉代表

 周南市開成町の徳山積水工業の本館入り口に10月28日、プロジェクターから投影された画面上に手をかざすだけで映像の切り替えができる世界初のプロジェクションマッピング型の会社案内が設置された。
 エントランスの壁に映し出される画面は100インチで、トップメニューには会社の歴史、ポリマー製品とメディカル製品の紹介と技術、社長インタビュー、積水化学グループの案内など12個のメニューアイコンを表示。各アイコンに壁から5センチほど離して手をかざすと、内容に対応して動画とナレーションが展開される。
 プロジェクターとセットで設置する赤外線センサーが、手を感知して映像を切り替えるこのシステムの名前は「タッチレスラクティブ」。山口市のスプリングブレス(小泉崇社長)と東京都のトゥルーヴ(小泉百々恵代表)がシステムと映像を製作した。スプリングブレスなどが徳山積水工業のプロモーション動画を制作したことがきっかけで設置が実現した。
 百々恵さん(22)は山口市出身で中村女子高校在学中から父の崇さんが経営するスプリングを手伝い、YICビジネスアート専門学校で本格的にプログラミングを習得。卒業後にスプリングブレスに入社し、タッチレスラクティブの全国のプロモーションと営業を狙い、8月に分社化してトゥルーヴを立ち上げた。

【きょうの紙面】
(2)周南市が職員向けにSDGsセミナー
(3)自衛隊員講師に感染防護衣の着脱研修
(4)ふくがわこども園で周南たこの食育講座


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笠戸大橋が開通50周年に

島出身の故橋本知事が尽力
本土と一体化、暮らし向上

開通50周年の笠戸大橋


 下松市の本土と笠戸島を結ぶ「笠戸大橋」が完成して14日(土)で50年になる。架橋によって離島でなくなった笠戸島の半世紀は、どんな変化を遂げてきたのか。笠戸大橋が島民に果たした役割を探った。(山上達也)

橋の完成で島と本土が一体化

 笠戸大橋は全長476.2メートルのランガートラス橋で、アーチの底辺(海上部分)は156.2メートル。県事業で1967年12月に着工し、70年11月14日に完成した。総事業費は5億1,900万円。
 完成式典には笠戸島本浦出身で架橋実現に力を尽くした橋本正之知事(当時)も出席。渡り初めでは橋本知事を先頭に、小学生たちも橋の両側から対岸に向かって国旗や市旗の小旗を振りながら渡り初めをして祝った。
 橋は県道笠戸島公園線(本土―本浦)の一部となり、県道笠戸島線(本浦―深浦)の整備も進んで、77年には南端の深浦まで路線バスが乗り入れた。橋の下に水道管を敷設して島内全域に上水の供給が始まり、簡易水道や井戸水頼みだった島内の生活用水の問題が解決した。
 本土との一体化から観光開発も進み、71年に市が国民宿舎大城をオープンさせ、75年には県勤労総合福祉センター「笠戸島ハイツ」が完成。はなぐり海水浴場、市栽培漁業センター、笠戸島家族旅行村、外史公園、島内を巡るハイキングコースも相次いでオープンして、現在の笠戸島の大枠が形づくられた。
 一方、架橋前に本土と島を結ぶ唯一の足だった笠戸巡航㈱の巡航船は、現在の県漁協下松支店前の新川桟橋を起点に、本浦航路▽深浦航路(尾郷、江の浦、大松ケ浦、小深浦、深浦)▽大島航路(周南市大島)の3航路を運航。航路はそれぞれ市道認定されて「海の市道」と呼ばれていた。
 しかし南端の深浦まで路線バスが開通した77年3月で最後まで残っていた深浦航路が廃止され、市が株式の過半数を保有していた同社も解散した。

「道」と「橋」に尽くした橋本知事

故橋本知事の胸像
故橋本知事のレコードのジャケット

 架橋に尽力した橋本知事は、1935年に現在の韓国・ソウルにあった京城帝国大学を卒業して朝鮮総督府に勤務。戦後は山口県庁で総務部長や副知事を務め、58年から衆院議員を1期、60年から県知事を4期務めた。知事在任中は市在住の山門芳馨さん作詞、作曲の「橋本正之後援会会歌」ができ、歌手の村田英雄さん、三鷹淳さんが歌った。
 知事として道路整備や離島の架橋に取り組み「道の知事」「橋の知事」と言われた。笠戸大橋も、66年完成の長門市の青海大橋▽69年完成の上関町の上関大橋▽76年完成の柳井市-周防大島町の大島大橋と並ぶ離島解消の架橋の一つだった。
 道路面でも70年に美祢市の秋吉台有料道路▽72年に岩国市の欽明路有料道路(いずれも現在は無料化)も開通。63年の山口国体をきっかけに県管理の道路のガードレールを夏ミカン色にした。
 笠戸島ハイツの中庭には橋本知事の胸像がある顕彰碑があり、題字は藤田徳一市長(当時)が揮ごう。島内にあった笠戸小、江の浦小、深浦小、深浦中の校歌はすべて橋本氏が作詞したものだった。今年9月9日の命日で没後44年を迎えた。

一昨年豪雨災害で橋の存在を再認識

 笠戸大橋とよく似たランガートラス橋は、長崎県五島列島の五島市にある戸岐(とぎ)大橋が有名で、深紅の色もそっくり。周南市中須北の菅野ダムをまたぐ川久保橋も形が似ていて興味深い。
 笠戸島自治会連合協議会の辻国政さん(78)=笠戸島江の浦=は「一昨年の豪雨で島内の県道が寸断されて孤立した時、架橋前の巡航船時代の助け合い精神を呼びかけながら笠戸大橋の大切さを再認識した」と話す。
 かつて市で総務部長や収入役を務めた河村敏雄さん(90)=南花岡=も「橋が架かってから住民の暮らしは格段に向上した。笠戸大橋の完成は市の歴史に大きく新しい1ページを刻んだ」と感慨深そうに話していた。

五島列島の戸岐大橋(長崎県五島市)

【きょうの紙面】
(2)周南市教委表彰に長穂地区長寿連と4人
(4)華陵舞台芸術部が8年ぶり中国大会へ
(5)大津島で回天烈士追悼式、規模縮小で開催

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和田中消える

周南市教委

来年4月に富田中に統合

和田中

 周南市の和田中学校が来年4月から富田中に統合されることがわかった。現在の生徒数は9人で、今後も大きく増えることは見込めず、市教委では保護者の希望も聞いて来年度からは在校生も含めて富田中に通学させることにし、10月30日に同校と和田小学校の児童の保護者に通知した。
 市教委はこの問題にについて昨年9月から和田小、和田中のPTAと話し合いを進めて、保護者の意向も調査して今年10月21日に市教委定例会、29日に市議会教育福祉委員会(岩田淳司委員長、10人)で生徒を富田中に通学させる方針を説明した。統合後、和田中は休校か閉校になる。
 和田中は1947年に和田村立和田中学校として開校した。広島カープで活躍した津田恒美投手の母校として知られている。最近では三作神楽の継承や、コミュニティスクールの活動に力を入れている。
 生徒数は2011年度には50人で、13年度まで40人以上を維持していたが、その後は20人台が続き、今年度は9人、来年度、再来年度も9人で、その後は一時、増えるが20人前後にとどまる見通し。
 小中学校の保護者からの聞き取りでは、80%が「統合」、20%が「統合やむなし」で、時期は来年4月が80%、「急がない」が8%、「いつでも」などが12%だった。統合先では桜田中という希望もあったが、富田中が最も多かった。
 学校の適正配置に関する基本的な考え方として市教委は「児童生徒が集団の中で、多様な考えに触れ、認め合い、協力し合い、切磋琢磨することを通じて、一人ひとりの資質や能力を伸ばしていくことが重要であり、学校は一定の集団規模が確保されていることが望ましい」「一方で、地域の方々にとって、学校はコミュニティの核となる重要な施設であり存続が望ましい」としている。

【きょうの紙面】
(2)コミュニティバス「ふれあい中須号」披露
(3)米川地区で認知症見守り体験会
(6)下松市農業公園でかかしコンテスト

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「現代の名工」に山中さん

卓越した技能の第一人者たたえて
弘木技研の山中義行さん
「切り粉レス」組み立てに新技術

パネルユニットを取りつける山中さん

 厚生労働省が卓越した技能者に贈る今年度の「現代の名工」が6日に発表され、県内から2人、周南地域からは下松市葉山2丁目の弘木(ひろもく)技研(弘中善昭社長)の山中義行さん(48)=田布施町=が選ばれた。
 「現代の名工」はその道の第一人者として活躍する技能者を表彰する制度で1967年に創設し、今回で県内の受賞者は64人になった。9日に東京で開かれる表彰式は新型コロナウイルス感染拡大防止で規模縮小のため、県内の2人には厚労大臣からの表彰状と卓越技能章、報奨金を県から伝達する。

作業の正確化、安全化に貢献

 山中さんは鉄道車両の艤装(内装)で高い技術を持つ弘木技研に27年勤務する、なくてはならない技術者。受章に「栄えある賞をいただけたのは自分一人の力ではなく、上司や同僚のおかげ」と控えめに喜びを語る。
 平生町出身で、田布施農高(現田布施農工高)を卒業。いったん別の会社に勤務したのち「小さいころからの鉄道ファンで、自分で車両を作ってみたい一心で弘木技研に飛び込んだ」という。
 これまで一貫して、新幹線など高速鉄道車両の内部に取り付ける装備品を組み立てる仕事に携わってきた。高速のため振動を常時受ける新幹線の車内に取りつける電気機器の収納室や、トイレなどを仕切り板で構成するパネルユニットの取りつけで、高精度な製作技能を培ってきた。
 中でもパネルユニットの工程では、電気機器の故障の原因になる金属加工くずの「切り粉」を出さない「切り粉レス組み立て方法」を考案した。組み立て時に機器の取りつけ穴を空けることで出ていた切り粉を出さないため、穴あけなどの全加工を事前に終えて組み立てる方式を提案した。
 穴あけ作業の正確化へ独自仕様の鋸軸(のこじく)つきマシニングセンターの導入や、溶接による金属のひずみを抑えるために枠をつける新しい作業方法も確立した。
 2012年から6年間、艤装グループのリーダーを務め、現在は後進の育成に力を注ぎ「機械では成し得ない技を次の世代にしっかり継承したい」と意気込んでいる。

【きょうの紙面】
(3)米泉湖周回コースで下松駅伝、参加募集
(4)徳山動物園で10年前のタイムカプセル開封
(5)下松市の中村小で新体育館お披露目


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4週間で10万6千冊販売

都濃商工会は31冊!?


県内で100万冊用意
やまぐちGo To Eatキャンペーン

画像引用元:農林水産省HP

 新型コロナウイルスの感染拡大で影響を受けている飲食店の支援として、県内でも10月5日のインターネット販売を皮切りに20日から店頭でも販売を開始した「Go To Eatやまぐち食事券」。
 ネット販売開始から約4週間の10月30日時点で、県内ではこの日までに販売を始めた40万冊中10万6千冊が売れていることがやまぐちGo To Eat キャンペーン実行委員会への取材で分かった。
 同券は1冊8千円で、千円の食事券が10枚つづりで1万円分。2千円分がお得になっている。インターネットで10万冊、店頭で90万冊を用意していて、販売期間は2021年1月31日(日)までで、食事券の使用期間は3月31日(水)まで。
 店頭の割り当て数は、20の商工会全体で20万冊、ローソン全116店で10万冊。5日から販売を始めた丸久グループ店の一部などは60万冊で、周南地区での取り扱いはアルク6店舗と山口井筒屋周南ショップ。
 周南地域の商工会には、大和、鹿野町、都濃に各5千冊、熊毛に8千冊を割り当て、店頭販売が始まって約2週間たった2日時点の販売ずみ数は大和で160、鹿野で85、都濃で31、熊毛で240冊と多くの在庫を抱える状態。
 一方、同実行委員会は、県全体での販売数量は順調に伸びていて、今後さらに増えると見込んでいる。同実行委員会と各商工会は、店頭での食事券の積極的な購入を呼びかけている。
 利用できる店は「Go To Eatやまぐち食事券」の公式サイトhttps://gotoeat-yamaguchi.com/で「使える店」ボタンをクリックして確認ができる。11月5日次点での周南地域での利用可能店は215店舗。
 食事券を取り扱う県内の飲食店も募集していて、応募はホームページから申し込む。募集期間は21年1月29日(金)まで。
 問い合わせは同実行委員会(083-902-2114)へ。

【きょうの紙面】
(3)12月6日、「まるごと笠戸島」開催
(4)ニッシンイクスが天然木突板「ツキフロ」
(5)下松高美術部が写真甲子園で最高賞

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地域共創センターにロゴ

徳山大学3年の山本さんデザイン
地域とのつながりイメージ

地域共創センターのロゴマーク

 周南市学園台の徳山大学で10月31日、4月に開設した地域共創センターのロゴ発表会があり、経済学部3年の山本悠(はるか)さん(21)が手掛けたデザインがグランプリに選ばれ、同センター入り口の扉に張られたロゴが披露された
 2008年開設の地域連携センターを引き継いだ地域共創センターは、産学官連携やボランティア活動など地域の産業界、行政、教育機関と一体となって連携する同大の窓口。
 このロゴは5月から6月まで同学部の知財開発コースの学生に応募を呼びかけ30人がアイデアを出した。 
 山本さんの作品は同大のスクールカラーの緑が基調で、建物のイラストを下に配置し、手を広げた2人の人物が並んで立つ。地域共創センター略称の「TU-RCC」と「徳山大学」を大きく表示した。準グランプリには韓国の留学生の3年、キム ギュリさん(21)のロゴが選ばれた。
 山本さんは「大学と地域のつながっていることを、一目で分かるように工夫した。選ばれてとてもうれしい」と話した。

【きょうの紙面】
(4)徳山大学大学祭が盛況、模擬授業に注目
(5)徳山商店街の新町でハロウィンカーニバル
(6)8日、よさこいぶち楽市民祭に20チーム


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長年の活躍たたえ、周南から7人

[秋の叙勲]地方自治、教育、林業、スポーツ

 秋の叙勲の受章者が3日発表された。全国で4,100人、県内は71人。周南、下松、光市は7人で、旭日双光章を元大和町長の熊野茂公さん(87)=光市=▽県森林組合連合会理事で周南森林組合組合長の松田富雄さん(75)=周南市▽旭日単光章を元県サッカー協会会長の野田忠義さん(77)=下松市=▽瑞宝小綬章を元下松工校長の藤井博明さん(70)=周南市=▽瑞宝双光章を元大河内幼稚園長の林正子さん(70)=周南市=▽瑞宝単光章を特別養護老人ホーム「光富士白苑」の介護職の広田知子さん(57)=光市=▽元法務教官の藤井悟さん(62)=周南市=が受章する。


医療と福祉のまちづくりを

旭日双光章

元大和町長
熊野 茂公さん(87)
光市岩田



 光市と合併前の旧大和村、大和町に18歳から71歳まで53年間、助役の3期9年、町長の2期7年を含めて勤務した。叙勲に「身に余る光栄。いつまでも“住んでよかった”といえる地域づくりを進めてほしい」と後進に期待を寄せる。
 塩田出身で、当時の大和村役場には田布施農高(現田布施農工高)を卒業して採用された。町民課長や総務課長を経験し、同郷の故轟渡(とどろき・わたる)町長の指名で1987年に助役に就任。束荷出身の初代内閣総理大臣、伊藤博文公の生誕150周年記念事業や、塩田小体育館建設などに手腕を発揮した。
 轟町長の後任の町長に就任後は、町立大和総合病院(現光市立大和総合病院)の増改築、老人保健施設ナイスケアまほろばの開設など、合併後の現在にも続く医療と福祉のまちづくりに力を注いだ。
 2期目後半は光市との合併協議に力を入れて、合併協議会では副会長として会長の末岡泰義光市長(当時)を補佐する一方、町内17カ所で町民向けの合併説明会を開いて、町民本位の円滑な合併協議に尽力した。
 2004年の合併時は市長選で当選者が決まるまでの約1カ月、市長職務執行者を務めて行政の継続に役割を果たした。
 合併後は町職員出身者が市の部長や課長に多く起用され、最近では2人続けて町職員出身者が市長秘書に抜擢された上、財政運営の実務的な大元締めの財政課長にも就任していることに目を細めている。
 後進には「市民の声を大切に、それをヒントに温かい行政を進めてほしい」と期待を寄せる。


「山を守る」、林業振興33年

旭日双光章

周南森林組合組合長
松田 富雄さん(75)
周南市垰



 材木の価格の低迷などで苦境が続く林業だが、地元の和田地区は床柱に使われる和田丸太の産地で、林業は昔から主要産業の一つだった。農業と林業を営んでいたが1987年に新南陽市森林組合の理事に就任し、90年から組合長。
 97年に合併で周南森林組合に発展させ、理事を経て2000年から組合長。同時に県森林組合連合会、やまぐち森林担い手財団の理事に就任して地域林業振興に貢献している。
 周南森林組合は周南市と下松市がエリア。作業班の40人で森林を守っている。最近ではIT技術を駆使した作業の効率化を進め、県森林組合連合会では森林バイオマスエネルギーの活用推進、人材育成、木材の安定供給体制の確立にも取り組む。
 「中山間地の過疎化で山を守る人が少なくなっている。災害を防ぐためにも山を守らなければならないが、“山離れ”は難しい問題」と話す。その中で24年度から国民1人当たり1千円の森林環境税の徴収が始まる。集まった森林環境税は市町村に配分され、森林整備などに生かされる。「森林組合もそのお手伝いをしたい」と期待する。
 和田地区では広島カープで活躍した津田恒美投手の顕彰会長を引き受けて津田恒美杯少年野球大会の開催や津田投手の記念碑の建立などにも尽力してきた。


国体成功やレノファ設立

旭日単光章

元県サッカー協会会長
野田 忠義さん(77)
下松市せせらぎ町



 出身地の大分市の中学時代に打ち込み始めたサッカーが、その後の人生を決めた。叙勲に「私一人でいただけるものではない。お世話になった皆さんの代表としていただく気持ち」と笑顔を見せる。
 中学時代は最初は野球部にいたが、母親に作ってもらったユニホームを、うらやましがる先輩に奪われたことで「もう野球はいい。足が速いからサッカーにしよう」と転部。大分工高時代もサッカーを続けたが、就職を内定していた三井化学から日立製作所に変えたことで、下松市の日立製作所笠戸工場(現笠戸事業所)でサッカーを続けることになった。
 日立笠戸サッカー部に所属。小学生を対象に創設した「豊井カップ」サッカー大会は後の「下松カップ」に発展した。
 豊井サッカースポーツ少年団の監督も務め、最盛期は118人もの団員がいた。その〝教え子〟たちは今でも街で出会うと「監督!」と話しかけてくれるという。
 そうした活動を支えてくれたのは妻で「休日はいつもサッカーの指導で家を空けてばかり。家族には申し訳なかったが、その理解があったから勲章をいただけた」と感謝の気持ちを忘れない。
 県サッカーリーグの創設に尽力したことでJリーグチーム「レノファ山口」の設立につなげたり、県サッカー協会長、山口国体のサッカー競技運営の統括責任者を務めて国体の成功につなげ、県のサッカー史に大きな足跡を残した。
 次の世代には「立派な指導者をたくさん産むことでスポーツのすそ野を広げ、振興に尽力してほしい」と期待する。


子どもの成長を見守って60年

瑞宝双光章

元大河内幼稚園園長
林 正子さん(86)
周南市大河内



 周南市大河内の大河内幼稚園に1954年の創立と同時に教諭として赴任。以来、地域の子どもたちの成長を支え見守ってきた。受章に「身に余る光栄。自分だけの力でなく、保護者や地域の方々の協力のおかげで、感謝の気持ちでいっぱい」と喜ぶ。
 1979年に園長就任時は園児の数が18人ほどで存続にも苦労したと語る。82年に学校法人にして県からの運営補助金で経営を安定させたことが職員の待遇改善と園児用遊具などの充実にもつながった。近隣に団地や住宅地ができたことと相まって園児も増加。現在は150人ほどが通う。2017年に園長を退き、林貴美子園長が就任、現在は相談役として同園を見守る。
 60年間で教えた園児は2千人以上。子どもの個性を大切にしほめて伸ばすことを第一に考えた。体育遊び、英語遊び、音楽遊びなど、遊びの中で学べるよう専門講師の授業を開いて園児の感性や創造力を養った。園児の描いた絵は世界児童画展でも入賞した。
 県私立幼稚園協会の地区研修委員として1987年から17年間、県内の幼稚園の園長や職員に向けた研修の企画や提案で幼稚園の教員の資質向上に尽力した。
 幼年消防クラブを結成して消防署と合同の防火餅つき大会を開き、「社会を明るくする運動」に協力し保護司から園児が話しを聞く場を設けるなど幼稚園全体で地域の安心と安全に取り組んできた。老人福祉施設への慰問などで世代を超えた交流を図っている。
 同園の教員には常に「親の心で愛情をもって育てる」よう助言。これからも「地域の子どもの成長と自立を助け、立派な社会を築いていけるよう力を尽くしたい」と意欲は衰えていない。


【きょうの紙面】
(2)下松市立図書館に電子図書館開設
(4)笠戸島特産品開発グループがレモン収穫
(5)下松市の笑顔の写真コンテスト入賞者決定



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