一言進言

少子化対策は何番目?

~自慢話と批判ばかりの選挙にするな~

1974年、元NHKアナウンサーだった宮田輝さんが、参議院選挙全国区に出馬、259万票の最高得票を獲得して当選した。タレント候補の先駆けだった。全国を巡回した「ふるさとの歌まつり」で有名だった。以来、参議院選挙で多くのタレント候補が出馬、毎回話題はそこに集中した。

 タレント候補がすべて悪いわけではない。中には長く国会議員を務め、それなりの論陣を張る人も少なくない。参議院は良識の府と言われてきた。党の言いなりではなく、その個性を大事にして、様々な考え方を披歴する場所として政党人でないタレント候補に期待する向きもあった。

 最近の国会は残念ながら、各党のコピー担当のような議員ばかりになった。参議院不要論まで出てくる始末だ。今回も掲げる公約は政党の枠からはみ出さない。はみ出さないばかりか、国難と言われる少子化対策は誰も真剣に触れていない。各政党もどうしたんだろうか。与党は自慢話ばかり、野党は批判ばかり。

 年金だけでは2,000万円足りる、足らない話は意味が分からない。富裕層のお年寄りと、貧乏なお年寄りがいるのは分かっている。国民年金では生活なんかできないのも分かっている。若者は少なくなって、負担が重くかかるのも分かっている。いつの間にやら年金の支払いはどんどん増えているが、国民は怒らない。みんな承知している。

 百年安心な年金制度は、今のままではあり得ない。子どもを増やし、年金支払者を将来増やさない限り、年金制度は持たないのも分かっている。株を買って儲けると言うが、百年上がり続けると言うのか。とにかく、子どもを増やさないと何もかも夢物語だ。驚くことは、この少子化でも経済の発展は可能だと語る候補者が多いことだ。

 人口が激減しても経済は発展し続けると語る根拠は、私には分からない。どの政党も少子化対策は付け足しのようだ。1人若者が増えると、生涯で平均でも5,000万円保険料など含め税金収入が増えると聞いている。地方は特に深刻だ。子どもを増やし、労働人口を増やすことが一番の課題だ。20年後を見据えた施策がなぜ出ない。3人目の子どもを産んでもなんの援護策もない我が国は、衰退の道しかないと思うのは国賊か?それとも反日か?

 オーストラリアでタクシードライバーに聞いたことがある。子どもを3人作れば働かなくても何とか暮らせる程度の援助があると。先にフランスの例を書いたが、シングルマザーだと子ども1人で月18万円の援助があるという。経済大国と威張るなら、少子化対策で大国を目指せ。北朝鮮や中国の脅威対策も大切だが、将来の国内の脅威に先ずは立ち向かおう。(中島進)

繰り返すミスは何故か?

~教訓はどこに?~

周南市は官製談合事件を受けて昨年、文化会館で2回に分け、全職員対象にコンプライアンスの講演会を開いた。内容も講師も秘密で、これがコンプライアンスかと思ったが、案の定、職員にはその趣旨は届いていなかった。コンプライアンスは危機管理、法令順守など基本的なことをしっかり守ろうというものだ。
■久米の道路工事で、区画整理課が積算したが、先ずは入札前に間違いが見つかり、入札を延期した。その後チェックしたからと今度は公開入札を実施した。渡辺建設が落札、やれやれと思っていたら、他の業者から間違いを指摘され、落札を取り消した。
■官製談合事件では、積算間違いを見つけながら再入札は問題が大きくなるからと、そのままスルーした。民間業者でも見つけられる間違いをスルーした結末は、職員逮捕だった。あれだけの大事件の直後に、また同じ過ちを繰り返す周南市は、いったいどうなっているのだろうか。公務員は狭き門だ。優秀な人材がそろっているはずだ。
■緩んでいる。職場の雰囲気はどうなんだろうか。指導する立場の管理職が緩んでいるからか。血税を使っている緊張感に欠けているのか。勉強不足か。チェック機能が働かないのは何故か?これは今回積算した区画整理課だけの問題か。周南市全体の問題か?
■ここ数年、周南市では市長が陳謝する問題が多発した。藤井市長は就任早々頭を抱えることになった。市長として取り組むべき問題は、職員の意識改革だろう。新聞も読まない行政マンも急増している。市民がどんな活動をしているか、どんな感覚で行政を見ているか、まずはキャッチすることも大切だ。市民の目を意識した行政マンにならないと、共助の精神は生まれない。「共に」は職員同士のなれ合いを目指すものではなかったはずだ。
■ミスは誰にでもあるが、ミスを防ぐためにチェックリストを作成したり、民間は最大限の工夫をしている。民間に学ぶことも肝要だ。管理職の役割も大きい。元は優秀な人材の集団だ。副市長を中心に、庁内改革のプロジェクトチームを早急に立ち上げることも必要だ。藤井新市長も頭を休める暇がない。(中島進)

災いは逃げるが勝ち!

~なぜ避難しなかったか徹底検証を~

■「災いは忘れたころやって来る」そんな時代は終わって、「災いは何時でも、どこにでもやって来る」時代になった。阪神大震災以降、全国で地震、集中豪雨が頻発してきた。そして東日本大震災が勃発、災害の恐怖は頂点に達した。南海トラフは常に話題になり、集中豪雨は当たり前の世界になった。
■ 1年前、周南地区でも死者が出る災害に見舞われた。復旧工事は未だに続いている。そんな中、先日全員避難を求める警戒レベル4の豪雨で、周南市は鹿野、須金地区の約4,000人に避難勧告が発令された。その日のNHKのニュースで、避難した人はわずか10人だったと全国放送があった。一体どうしたのか。なぜほとんどの人が避難しなかったのか。
■ 2カ月前、周南市は全戸に、「防災ガイドブック」を配布したばかりだ。防災危機管理課に聞いた。防災無線はちゃんと機能していた。地域の消防団も出動、避難を呼びかけた。緊急メールも発信した。防災ラジオも働いた。なのに10人しか避難しなかった。中山間地域でのがけ崩れを心配しての避難勧告だった。
■ 幸い雨も昼前には収まり、大事には至らなかったが、去年の教訓はどこに行ったのか。全国の災害のニュースは知らないはずはない。NHKのニュースで全国一鈍感な市民と放送される結果をどう受け止めるか。問題は深刻だ。
■ 災害に高を括(くく)っている市民の多さに驚くばかりだが、このままでは行けまい。各地域のコミュニティーや、行政がどれだけ意思疎通をもっと強固にするか。災害の怖さを徹底的に市民の間で共有することができるか。日頃の防災訓練も大事だろう。自治会を通じたより緻密な情宣活動も求められよう。
■ 今回の現象に対して、聞き取り調査を含め、徹底的な検証作業をすべきだろう。どんな感覚で防災無線を聞いていたのか、呼びかけ方なのか、何なのか。これからの時代、集中豪雨はさらにひどくなるのは明らかだ。国も災害には自助が一番だと訴えている。多額の費用をかけた防災無線が役に立たなかった事実は、他市の防災対策にも大きな教訓になるはずだ。6月市議会では市議も徹底した議論をして欲しいものだ。
「災いは逃げるが勝ちだ」
(中島進)

周陽小が1学年20人に

~若者定住、少子化対策はフランスに学べ?~

周南市の周陽小は、1学年20人で1クラスになったと聞いた。かってはあまりにも生徒が多くなり、秋月小や桜木小までできたほどだった。広い団地を背景に、子どもの姿を見ない日は無いほどだった。なんという寂しさだ。我が家も周陽小校区だから良くわかる。
周陽小、秋月小、桜木小校区の周南団地造成の起工は、昭和37年、1962年だった。県内では他に類を見ない広大な団地が作られていった。1970年には現在の団地が完成した。50年前だ。公団住宅も建てられ、大手企業の社宅も次々と建設されていった。半世紀経た今日、当時の住民は高齢化の波にのまれ、社宅も無くなり、少子化は過疎地並みに進んできた。時代の流れと言ってしまえばたやすいが、愕然とするのは私一人ではあるまい。
先日、サマンサジャパンの小野英輔会長から1冊の本を頂いた。著者は中村功さんと言う、私も小野さんからの紹介で少しは知っている人だ。東日本ハウスを創業、東京の大江戸温泉を創った人だ。経営者としては相当のやり手で、話も上手で、厳しい人だ。本のタイトルは「自滅へ向かうアジアの星日本」副題は「少子化こそ、我が国未曽有の国難だ」。
どっちかと言うと保守的な論客だが、心から我が国の将来を憂う気持ちがひしひしと伝わってくる。大企業の利益は労働者の賃金を下げているからだとバッサリ。また税金の納め方もひどいと断言する。とりわけ少子化は国難だと嘆く。フランスを例に挙げて、やるべきことを具体的に提案している。フランスでは子ども1人生んだシングルマザーに、産前は月額10万3千円。産後は3年間月額17万1千円が保障されているという。所得制限の考え方も国民全体に無いという。2子、3子と補償額も上がり、安心して子どもを産めるそうだ。
私も地方が生き延びるには、若者定住と少子化対策が、最後の砦だとずっと書いてきた。今年になって、国と県は、首都圏から移住した家族には100万円、単身では60万円を支給すると発表した。ようやく具体的な案が出てきた。東京一極解消へのプランでもある。地方でも、少子化対策をうまくやっているところもぼちぼち出てきた。周陽小の実態を知ると、あきらめ感も出るが、いやいや施策を市民と一緒に考えれば、希望はある。藤井新市長に期待するところ大だ。あなたも頑張って3人の子どもを育てた実績があるではないか。(中島進)

新市長の新副市長に期待

~もう失政は許されない~
選挙による市長交代劇はそんなにない。下松市の河村憐次市長は、合併慎重派の井川成正前市長に敗れた。周南市は島津幸男元市長に続いて木村健一郎前市長が現職で敗れた。ここのところ多すぎる。河村氏は82歳の出馬で無理があった。当時1歳年上の県議から、あんたはまだ俺より若いから出馬を、と促されての立候補との逸話も残った。一方破った井川氏は、最後は86歳で日本最年長の市長になった。
島津氏は決断も早く、何か変革をしてくれると期待はされたが、百条委員会が設置されるなど疑惑が付きまとい失脚した。木村氏は真面目で、実直さが際立って1期目は安定感も見せたが、2期目後半から度々議会で陳謝する場面が見られ、信頼を失って行った。「しゅうニャン市」騒動は、議会では僅差で通過するなど強引な姿勢が目立ち、反発する市民も増えた。丁寧な説明がおろそかになって、敗北に至った。
市長は一人ではすべてを掌握できない。副市長に誰を置くかが大きなポイントだ。合併以来、周南市は旧新南陽の職員が副市長を務めた。市長を守り、行政マンの頂点に立つ副市長の役割は大きい。時には体を張って市長の提案を止める勇気も必要だ。また、議会や、市民団体などと対外的な付き合いがうまくできないと、市政を潤滑に動かせない。小川市政を支えたのは、当時助役だった林保人氏だった。
林氏は、議会への根回し、行政の陰の部分の処理など、裏舞台を見事に仕切っていた。もう時効だが、競艇場がらみで全国版並みのネタが入った。林氏はわが社に来て、「書かんと言うまで帰らん」と座り込んでしまった。確かに公になると競艇場は閉鎖になるかも知れなかった。丸一日の座り込みに音を上げたのは私だった。再発防止を確約して帰ってもらった。
市長だけは選挙で選ばれる。市長の方針を形にして、実行するのは副市長はじめ事務方の仕事だ。木村市政ではここ2年間陳謝する場面が多かった。副市長とその仲間たちが中枢部を握っていたが、その失敗で陳謝することは普通あり得ない光景だ。反省の色も見えない副市長たちを放置してきた責任はもちろん市長にあるが、人事権を行使する難しさも露呈した。
周南市は副市長に県庁幹部を招くことになる。優秀な人物だそうだが、果たしてどんな采配を、気配りをしてくれるだろうか。周南市は1,400人近い職員を抱える大組織だ。職員が生き生きと働ける環境を作るセンターに副市長がいる。議会対策、市民との対話など市長を支えて、前に進む周南市の要になりうるか。注目の人事だ。もう失政は許されない。(中島

周南市に必要なものは何か?

~藤井新市長へどう対峙するか?~

選挙はどうしてもしこりが少々残る。議員選挙はそうでもないが、首長となるとそうはいかない。下松市でも河村憐次元市長と井川成正前市長の戦いは激しかった。議会でもそれは顕著に現れた。山田宏下松商工会議所会頭が、熱心な河村氏応援団だったから、当人より周りの人たちは難儀した。合併推進派の新人をダブルスコアで降ろした2期目以降は落ち着き、わだかまりもほぼなくなった。
旧新南陽市時代の市長選も激しかった。1期ごとに市長が変わる激しさで、市民も職員も大変だった。現職の側近になった職員の中には、市長交代で市長部局から遠くに異動した人も多かった。そんな中ひたすら市民のために頑張る職員もたくさんいた。私の知る限り、そうした職員は、退職後も地域のためにボランティア活動などを実践してきた。一方、誰が市長になっても無視できないよう、仲間が結集、一種の権益集団を作って、存在感を示した職員もいた。
地方自治の表も裏も見続けてきたが、首長次第で、行政マンたちの動きも随分変わる。黒神直久、高村坂彦、河野通重、小川亮市長時代に旧徳山市の基盤はできた。中心市街地の整備、競艇場、動物園、放送局、銀行、周南バイパス、周南団地、緑地公園、新幹線駅、文化会館、スポーツセンター、全域のコミュニティー組織、すさまじい仕事量だ。地域力を高める不可欠な事業ばかりだ。埋め立て事業もすごかった。
周南市合併から16年。4人目の市長になる。合併後遺症か安定しない市政が続く。市民の不満を吸収できないまま16年経過した。2人の現職市長が大差で負けるという不幸に見舞われた。一つ言えるのは、箱もの行政を市民は渇望していないことだけだ。南北自由通路も、駅ビルも、新庁舎も、市民が活躍できる箱モノではなかった。道の駅だけは市民参加の可能性が高まった。市民が欲しかったのは中心地での小ホールだった。
藤井新市長は、安定した県議のポストを捨てての就任になる。財政も大型箱もので底をつきそうだ。余程の知恵と、パワーを出さないと、またもや市民からのブーイングを受けかねない。木村派市議からの攻撃もしばらくは激しいだろう。木村市政を盲目的に支持してきた市議たちが、今度はどんな提案をするのか楽しみだ。1日も早く、前向きな議論になって欲しいが、今、周南市の最大の課題は何か、市民に向かっての発言を期待しよう。4人目の市長を迎えて、議員たちもそろそろ何が大切かわかってきたと信じたい。(中島進)

人口減少は最大の敗因?

~安定しない周南市を憂う~

激しい戦いが終わった。激戦と思われたが、意外に票差が大きかった。そして新たな権力者が誕生した。首長は最高権力者だ。その人のやり方一つで地域は大きく変わる。周南市になって4人目の市長誕生だ。目まぐるしい変化の16年だった。一体どうしてこんなことになったか、合併後の周南市は安定しない。
周辺部と中心部の感覚がうまくいってないのか。広域になって行政の配慮が薄いのか。首長の感覚が市民と乖離していたのか。とにかく行政と市民の間に溝があったのは間違いない。合併で最も危惧していた課題が大きく出てきた16年間だった。もっと周辺部への思いやりが大切だった。
それはお金を使うことではなかった。拠点を作れば市民は納得してくれると思っている節がある。立派な箱モノを作れば良しとする感覚が間違っている。結論的には日常的に市民と向き合う姿勢が大切なのだ。各地の役場が無くなり、総合支所となって職員数が激減した。それを何とかプラザなどを建設、市民はそれで満足していると思っているのだろうか。
豪華絢爛な新庁舎ができたと胸を張るが、周辺部の市民で新庁舎を訪れる人は極わずかだ。それより市長か市の幹部を囲んで愚痴を含めて、色々な話を年に1回でも聞いてもらいたいのだ。きめ細かい声の吸い上げが、何より市民と行政の間をつなぐものだ。今回の選挙は、言葉遊び的な公約より、行政をもっと身近に感じたい叫びのように聞こえた。
現職は強い、はずだ。あらゆる行事に顔を出せて、しかもありがたいと思われる存在だ。“毎日が選挙活動”を展開できる立場だ。それでこれだけの大敗をした原因は何か。木村市長を応援した人たちも不思議でしょうがない。1年で3回も陳謝したからか。「しゅうニャン市」にこだわったからか。私なりの情報から推察するに、「市長をやっていて楽しい」と言うその姿勢だ。
若者流出が一向に止まらなく、人口減少はとどまるところを知らない周南市民は不安なのだ。そんな中「市長は楽しい」では納得してもらえまい。水素ステーションなど様々な施策をしてきた。箱モノはかってない勢いで作ってきた。胸を張るところが違ったのではないか。人口減少は諸悪の根源だ。毎年1千人以上の人口が減っている。任期中に1万人近い人口が減った。
戦いは終わった。しこりは多少残るだろう。木村陣営にはリーダー的な人が多かった。気持ちの整理を早くつけて、適度な緊張感で共同作業ができればよい。安倍首相も女性活躍相まで作った。新市長に期待しよう。(中島進)

果たして市民はどんな選択をするのか

~市民目線の市長を~

県議選はやはり投票率が大きく下がった。18歳から参政権を与えた効果(?)も大きい。有権者が増えたが、若い人たちが投票に行かないから必然投票率は下がる。昨年成人式でアンケートを取ったら、周南市長の名前を言える成人は2割程度だった。
市長選が終わりに近づいた。果たしてどれだけの人が投票に行くのだろうか。最近は半数の人しか投票に出向かない。全国的な問題だが、投票に行かない人が圧倒的に増えた。政治が庶民から遠い存在になった。周南市でも毎回投票率が下がり、都会並みになってきた。
投票に行かない理由で多いのは「誰がなっても一緒」だ。国も民主党が政権を取った時は、これで大きく変わるかと思ったが、内紛が激しく自滅した。これで一気に1強政治になり、あきらめムードが蔓延した。ここ周南でも何人かが「どっちでも一緒」だと言う。もっとひどいのは「おんなが市長じゃね」と言う男性が多い。さすが保守王国山口県だ。
官製談合事件は関心もなく、選挙にさほど影響を与える感じもない。直接自分の生活に影響がない限り、市長選などどうでも良い感覚だ。若者が減り、子供が少なくなっても、日常生活に影響がないと思っている。毎年1千人以上の人がいなくなり、この八年間で1万人近い人口減だが、気にする人は極わずかだ。
兵庫県明石市の市長が暴言を吐いたと辞職したが、出直し選挙で大勝した。マスコミから叩かれたが、彼は確実に人口を増やし、若者を増やした。暴言も、仕事をちゃんとしない部下を叱責する中で出たと後で分かって、市民は市長を選んだ。市民のために仕事をもっと必死でしようと職員を叱ったのだ。市民は市民目線の市長を望んでいる。
木村市長は果たして市民目線で仕事をしてきたか。検証の機会だ。藤井候補は本当に市民目線で仕事をしてくれるだろうか、人柄、公約から推察しなくてはならない。新幹線を在来線とつないだ高村坂彦元市長は、大挙して反対に来た市民たちに「これは市民のためにするんだ」と追い返した話は有名だ。街中に新幹線を走らせる勇気は大したものだった。
それが本当の市民目線だ。つまりインフラ整備が行政にとって最大の事業だ。下松市は道路を通すことで多くの住宅やお店が張り付き、人口を増やし、子どもが増えた。市長の仕事はそれを発想し、事業化することだ。具体的な作業は副市長が先頭に立ち。形にすることだ。事務方のトップの副市長は全身全霊をかけて親分、市長を支えることだ。そんな市役所を夢見るのは私だけか。(中島進)

平成を駆け抜けた「日刊新周南」

~市民目線を貫く~
4月1日に新元号の「令和」が発表された。4月1日は新年度の始まりでもある。そして「日刊新周南」創刊記念日でもある。34年前のこの日、「日刊新周南」第1号が世に出た。「徳山公論」が生まれ変わり、周南地区4市2町をエリアにしたローカル紙としてスタートした。昭和60年だった。それから4年足らずで平成になった。
「日刊新周南」は創刊以来、ほとんどを平成の時代を生き抜いてきた。バブルがはじけ、多くのスポンサー、読者が目の前から姿を消した。徳山の商店街も「徳山公論」時代からの読者が次々と閉店、見事に力を失って行った。何とか立ち直ったかと思えば、今度はリーマンショックで、建設業など多くの会社が姿を消した。経済的に激動の平成だった。
自然も猛威をふるった。平成3年の台風19号はここ周南地区でも大きな被害をもたらした。1週間も続く停電で、わが社も新聞発行が危機的状況になった。電気が通った親しい印刷会社にパソコンを持ち込み、印刷も依頼、一日も発刊を止めることなく乗り切った。その後は阪神大震災、そして東北大震災、日本列島で多くの災害が頻発した。まさに大災害の平成時代だった。
毎日の紙面には多くの市民が登場している。花いっぱい運動で地道にコツコツと活動している人。清掃活動に汗を流す市民。ビジネスで頑張る地元経営者の人々。スポーツで地域を支える人たち。文化で地域を明るくしている人たち。紙面に登場してもらうことで、少しでもその労に報えたらと取材を続けてきた。市の広報かと言われるぐらい行政情報も載せてきた。結果、読者や、スポンサーからの温かい支援を受けている。
行政や政治家には厳しいと言われる。当然だ。私たちは常に一生懸命働いて税金を納めている人たちの視点で考える。一円たりとも無駄に使ってほしくないからだ。どんな不祥事があっても行政を擁護するような政治家はいらない。失敗があっても責任を感じていない行政マンはいらない。権力を持った人たちは、常に謙虚であって欲しい。市民には投票する権利しかない。
1947年から73年間地方紙を発行している。何度も息切れしそうだったが、なんとか続いている。権力に媚びらず、一貫して市民目線で新聞を作ってきたつもりだ。4月1日を迎えるたびに、新たな気持ちになれる。「令和」の時代も生き抜いていけるか。時代はこんな「日刊新周南」を求めているか。(中島

韓国の友人に感謝!

~民間交流が最大の武器~
20数年前、小野英輔サマンサジャパン会長などと日韓親善協会を立ち上げた。黒神公直遠石八幡宮名誉宮司を会長に頼み、韓国・慶尚南道の馬山市との民間交流が始まった。40年以上前には、徳山商工会議所と馬山市商工会議所との姉妹縁組が締結され、双方の議員たちが、訪問し合っていた。
まずは子どもたちの交流をと、馬山市市民マラソン大会に、中学生と、一般のランナーを連れて参加した。記録の取り方もいい加減な、市民が楽しむマラソン大会だった。馬山市民が伴走したり、和気あいあいのムードで、楽しい思い出いっぱいの交流になった。スポンサーがついて、1万人規模の大会になったので、参加を止め、中学生のサッカー交流に切り替えた。
馬山中央中学校という私立中学校が交流相手だった。中には日本が大嫌いと公言する校長もいたが、交流している間に、大の日本ファンになった校長もいたり、中学生たちは未だに貴重な体験を喜んでいる。資金不足で2年前で中断しているが、日韓共に、ニュースなどで知るイメージとの差に、子どもたちは素直に驚きの声を作文に記している。
慰安婦問題や、徴用工問題などで日韓の間がもめている。前には竹島問題で荒れた。10年以上前になるか、馬山市議会で竹島が韓国領だと決議、韓国のマスコミも大きく取り上げた。その最中に馬山商工会議所が徳山に訪問団を派遣することになった。当時キム・サンシルさんが会議所会長をしていた。なぜこの時期に日本に行くのか、と韓国マスコミから突っ込まれたが、「友達に会いに行くのがなぜ悪いのか」と突っぱねた。逆に予定の人数より多くの議員団を引きつれて徳山を訪れた。
このたび、小野さんなどと馬山市を訪れた。キムさんや仲間たちが歓待してくれた。古い友人として心から喜んでくれた。政治家の言い合いにはうんざりしている様子だった。報道だけ見ると、ほとんどの韓国の人たちは日本に反感を持っていると思わせる。日本もヘイトスピーチなどがあって、韓国のマスコミもそこだけ強調する。しかし私たちは長い間交流活動をしてきて、多くの友人を得た。韓国でも一部の人たちが大きな声を上げている。日本もネット右翼と言われる人は極少数派だ。
日本を訪れる韓国からの若者観光客は急増している。民間人の感覚と、政治家、マスコミの感覚が大きくずれていることは、韓国の友人たちと接したらよくわかる。民間外交が広がることが、唯一の日韓問題の解決策かもしれない。政治家にはメンツとプライドがある。国際交流を進化させることに、地方自治体も力を入れるべきだろう。(中島進)

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