一言進言

権力に媚びない新聞作りを

~1カ月160ページの情報提供続ける~
(ある地方紙休刊に想う)

日本で太陽に一番近い市として知られる、日本最東端に位置する北海道の根室市。1947年(昭和22年)、我が社と同じ年に誕生した地方紙「根室新聞」が今春74年の幕を閉じ休刊となった。

全国の地方紙が休刊、廃刊になることは珍しくなく、私が知るだけでも実に多くの地方紙が姿を消した。「根室新聞」もブランケット版で4ページ、日曜、祝日以外週6回の発行を続けていた。ほぼ「日刊新周南」と同じ形態だ。最終号は2万2,249号だった。我が社が「徳山公論」時代が週3回発行だったのもあって現在1万9,042号(月曜日付け)だ。

漁業が盛んなのと、北方4島を眼前して、漁業関連記事と、北方領土返還を市民に訴える記事が特徴的だったと聞いた。しかし、最盛期4万5千人もの人口があったが、最近は2万4千人足らずと激減、コロナ禍の中で広告収入も大幅減でとうとう休刊となったとある。

北海道の端と本州の端で同じような地方紙を発行していたと思うと他人ごとではない。活字離れと、地域への無関心、人口減少と3重苦、4重苦の中、地方紙の存続は至難の業だ。我が社も映像部門や雑誌部門、印刷部門と収入源の確保は命を繋ぐ手段として貴重だ。

弊紙は毎日8ページ建て、月平均20日は発行、1カ月160ページ以上のボリュームで地域の様々な情報を届けている。しかも毎日3市の大半の地域で軒下まで届けている。地方紙と言えどもすべて人間の手による作業だ。値段が高いと思われるが、これだけの情報を作り、届けるには莫大な人の力を要する。

私たちは何より、地域が物心両面豊かになるために新聞発行を続けている。地方の最高権力を持つ市長はじめ自治体が的確な施策をしてもらいたいがため、時には厳しい記事も書く。だから時には恨まれる。

地域のことに関心が薄くなった人が激増している中、地方紙の役割はもっと増えていると実感する。人の手による確かな情報もさらに大切になった。地域で頑張る人をもっともっと取り上げ、たくさんの人に知ってもらうことが地域コミュニティーの基本だ。

「根室新聞」が休刊して多くの人に惜しまれたと聞くと、惜しまれるより欲しがられる新聞を作らないと、と思うばかりだ。近く電子版もスタートする。周南地区から出て行った人たちとつながるツールになれば、人口減少にも耐えられるかも。権力に媚びない新聞づくりはこれからも続く。

(中島 

菅首相一人になすりつけ

~非常事態宣言はもう意味がない~

政界とはいかに非情な世界か、突然の辞任表明で見た。菅首相の評価はさておき、わずか1年前、安倍、麻生、二階3巨頭がこの人しかいないと首相に推して就任した。このコロナに対する施策に対して、自民党、公明党は菅首相に任せっきりだったのか。安倍さんも麻生さんも、二階さんも助言はしなかったのか。GoToトラベルにしても、オリンピック開催にしても、与党の総意で進めたのではないのか。

感染拡大を菅首相一人に押し付けて、次の総裁選の主導権争いに動く安倍さんや、麻生さんなど3巨頭は、一体この間どんなアドバイスをしてきたのか。安倍さんがそのまま首相を続けていたらどうしたのだろうか。もっと違う施策を考えたのか。オリンピックも開催しなかったのか。ワクチンはもっと早く大量に接種できただろうか。

立憲民主党など野党は、感染拡大防止への具体的な提言はほとんどなかった。ただ政府の施策に批判を加えるだけで、こうしたら拡大が防止できると言った具体的な案は聞いたことがない。オリンピック中止ぐらいだ。批判は私たち庶民でもいろいろ言える。

コロナ禍最初のころ、地方は自粛警察のような人が続出、感染するとその家族までが批判にさらされ、都会帰りを厳しく糾弾された。島根県など田舎では、もっと自粛が顕著で、東京や大阪で千人単位で感染者が出ても、ゼロか1人か2人だった。もちろん周南地域でも感染者ゼロが続いた。

しかし、デルタ株が出現して一気に全国に広がった。最初の感染者はやはり都会からの人が原因だった。そこから地域にまん延、2次感染、3次感染と広がっている。デルタ株の強さは異常だ。

正直、新しい首相に誰がなってもこれという妙案はないだろう。ひたすら人と人との接触を避ける以外ないが、都会ではいまだに毎朝満員電車だし、街に人はあふれている。先日書いたが、夜の街も宣言が出ていても人の多さは変わらないと聞く。そして、都会からの1人で感染者は急拡大する。

結局ワクチン接種と治療薬でしか解決できないことはわかった。今できるのはPCR検査が誰でもどこでもできる体制を早く構築することと、ワクチン接種をほとんどの国民に実施することだ。宣言は、ワクチン接種と検査をする宣言だけで良い。自粛するための宣言は都会では無意味だ。する人はする。


(中島 

第2の北里柴三郎は出ないか

~自前の治療薬、ワクチンを~

「週末はかなりの人が来ますよ」。東京で飲食店を経営する知人の声は思いのほか明るかった。「個人でやっている小さな店はウハウハですよ」と。非常事態宣言下での支援金は一日4万円から5万円出るから「もっと宣言を続けて欲しいなんか言ってる店主もいますよ」と歯止めのきかない状況を話す。「自粛、自粛と外に出てこない田舎がかわいそうですよ」

先週初めの会話だったが、山口県も時短要請が出て、お酒の提供も午後7時までとなった。合わせて支援金も出ることになった。都会でほとんど効果が無かったが、地方ではどうなるか。自粛に疲弊した人たちはどうしても一定程度いるようだ。感染して初めて恐怖するが、時すでに遅し、死に至る人もいる。山口県では今回やはり2回接種した人の感染率は極めて低く、感染者全体の6.6%だった。

菅内閣はえらく評判を落としている。世論調査はあまり当てにならないが、軒並み不支持率が高い。ここ山口県ではどんな選挙になるのかも興味深い。現在野党の国会議員がゼロの保守王国だが、久しぶりの野党議員が誕生するか、コロナ対策への不満は頂点に達している。支援金も飲食店が中心で、その周辺の業者には限定的だ。3割以上の減収が対象だと言うが、3割売上が落ちたら持ちこたえられない会社が多い。維持しているのは借入が比較的できたからだ。

先が見えない戦争をしている状態だが、今の我が国の施策は目の前のハエを払うだけにしか見えない。GOTOトラベルには1兆何千億円ものお金を注いだが、ワクチン開発費には数百億円と米国の10分の1以下だと聞く。世界の研究者にこうも劣っていたかと愕然とする。あれだけノーベル賞を取った学者がいるのが誇りだったが、一体我が国の行く末はと不安に思うのは私一人ではあるまい。

先が見えない中、今感染者が出ても不安から抜け出せるのは、我が国自前の治療薬やワクチンを開発する力を見せることが一番だ。ウイルスは変異するとわかったが、今後どんな変異するか誰も予想できない。

でも対応できる研究開発能力があることが信じられればいささか安心だ。1年半も経過して、我が国の研究過程が一切報じられないのはどうしてなのか。日本に第2の北里柴三郎は出てこないのか。お金を使わないからなのか。来年はガンマー株になるのだろうか。

(中島 

大学に関心を持つことは大切だ

~公立化は改革の一手段~

全国に大学は600校を超える。文科省も10年後には半数になると見込んでいるし、実際減らそうと目論んでいる。まさに生き残りをかけた競合の真最中だ。中央の有名私立大学でもあの手この手と対策を講じる時代になった。高校生が激減する18年問題に直面する危機感から、全国の地方大学は生き残るための取り組みを始めていた。その中で徳山大学は旧態以前のままで、このままでは地域にとっても有益な大学になり得ないと、私たちは大学側に提言をしてきた。半ばあきらめかけていたところで理事長、学長が変わり、一気に改革に向けての取り組みが始まった。

同大学に対しては社会福祉士などの資格を取得する学生が少ないなど以前から指摘し、提案もしてきた。教授陣にやる気はあるのかと疑問も投げかけてきた。高田隆学長は早速全国から教員の公募も始め、来年度には優秀な先生も多数採用予定だ。大学の先生は法律上勝手にクビにできない。改革は時間と手間がかかる厄介なものだ。教授陣にやる気を起こさせるのは並大抵ではない。

公立化については、反対意見の多くは「こんなコロナ禍の中、なぜ急ぐのか」と疑問の声を上げている。気持ちはわかるが地方の衰退はコロナだからといって止まらない。地方大学間の競争は実にし烈を極めている。来春開学でも最初の新学部の卒業生は6年後だ。いわば結果が見えるのは随分時間がかかる。ただし、市民の声を聞いていないと言う主張はその通りだ。有識者会議では商工会議所などは参加しているが、一般市民には無縁の世界だった。

地方大学はかくあるべきと言える一般市民は多くはない。大学にほとんど関心を持ってこなかったのではないか。そこで今回の署名活動は、市民に大学の在り方を考えさせる良いきっかけになっている。仕方ないが、中には藤井市長への反感から公立化に反対する人も少なからずいる。それでも徳山大学をどう変革させれば良い大学になるか考えてくれたら大いに結構だ。市民との交流も去年から飛躍的に増えたが、市民からの提案を受け入れる仕組みつくりも急がれる。

山口県東部の唯一の4年制大学だ。県民が頼りにできる大学になって欲しいと思っているが、今回の署名活動の中でネット上「あんな大学に税金を使うのはもったいない」の書き込みを見ると悲しくなる。だから良い大学にするための改革なのに、公立化は目的ではない、より早く良い大学にするための手段の一つだ。行政も市議会も改革の中身について議論することが少なかった。地域のシンクタンクになった徳山大学を夢見て、これからも物申す。

(中島 

原爆投下に文句言えないのは何故?

~戦争の責任者は誰だったのか?~

私は戦後生まれで戦争体験はない。しかし8月は6日、9日、15日とほとんどのメディアが悲惨な戦争を想像させる季節になり、幼かった私でも、ほんの少しだが残骸の一部を呼び覚ます機会になる。おぼろげな記憶でも今の世の中では想像しえない光景が見えた。

祖父は被爆者だった。両親と疎遠だったのか会った記憶が薄いが、残っているのは被爆者たちが寄り添って生きていたバラック建ての家だけだ。確か周りもみな同じような板を窓代わりにしたバラックだった。しばらくして訪ねたときは3、4階建ての市営住宅だった。既に祖父はこの世にいなかった。両親から祖父の話は聞くことがほとんどなかった。

私の継母は看護師だった。呉の空襲時に街中で被災者の救護にあたっていたそうだ。呉の空襲も激しかったようで、周囲が燃え盛る中、おびただしい遺体がそこら中に転がっていたが、まだ息をしている人の救済に走り回った経験を語ってくれた。印象的だったのは道路までが焼けて、はいていた運動靴が熱でドロドロに溶けていたそうだ。

確かな自分自身の記憶は、中学校時代、同じクラスの友達が白血病で亡くなったことだ。市内の寺院での葬儀に参列したが、棺を抱きしめ「私が殺してしまった」お母さんの悲痛な泣き声は未だに耳に残っている。お母さんは被爆者だった。彼が被爆二世だと意識したのは高校を卒業するころだった。

一体誰が、何のためにあのひどい戦争を始め、誰が、何のためにあれほど悲惨な結末まで続けたのか。高校生になって多少本を読み始めて流れがわかってきた。わかればわかるほど、何百万人もの尊い命を奪った責任者は誰なのか、結局うやむやで終わったあの大戦は疑問しか残らなかった。日本の歴史であれほどの大事をしたのに、誰一人責任を取らなかったことに唖然とするだけだ。腹を切ったり自害した指導者もいたが、東条英機などはおめおめ敵国米国に捕まった。

日本の誇る武士道を語って、兵士たちを突撃させた指導者が生き残ったのはどうしても理解できなかった。自害するつもりならどうとでもなっただろうに。責任者が誰か追及しないままこの国は戦争に負けた。天皇陛下も参拝に訪れることができない靖国神社の問題も未だに解決できない。あの戦争は全て敵国米国が悪かったのか。原爆投下に文句が言えない国家に誰がしたのだろうか。戦後76年の夏は終わった。

(中島 

櫛ケ浜駅に坪700万円の建設費

~大豪邸並みのトイレか~

周南市徳山駅前図書館と周辺工事で約50億円、南北自由通路で55億円、市役所の新庁舎建設で約110億円、ここ数年で周南市は街中に大きな投資をした。これで市民生活などはどう変化したか、それぞれの立場で見方も、感じ方も違うだろう。効果を言う人は一番に駅前図書館へ何百万人もの人が訪れ、街中への賑わいが現れたと。疑問視する人は、結局人は集まったが、実際の経済効果はほとんど無かったと。結論的には建物はもうできてしまって、今更解体もできるわけでなし、建設のよしあしを論議することが無益なことは間違いない。

一つ言えるのは、膨大な建設費は、そのほとんどを大手ゼネコンが受注したもので、地元の建設関連業者への波及は極めて限定的だったことだ。工事を請け負った広成建設や五洋建設は、工事しただけで、地域の商工会議所活動に参加するわけでもなく、さっさと工事が終わればおさらばする企業だ。広成建設は完全なJRの子会社で、駅前図書館などは駅に近いと言うだけで独占的に請け負った。確か計画時、駅からもう1メートル離していれば自由競争で、もっと安く建設できると主張する人もいた。

今回、長年の市民の願いだった櫛ケ浜駅のトイレがリニューアルすることになった。信じられないが多くの人が利用する駅のトイレが今までポッチャン式トイレだったことだ。いくらJRに頼んでも無視されてきたトイレだが、ようやく周南市が負担するからと改装することになった。蓋を開けると、入札に参加したのは広成建設1社だけ。最初からの出来レースだったのか、わずか9坪に満たないトイレが6,400万円だった。素人でもこれだけ出せば大豪邸が建つと想像できる。

一体JRと市はどんな打ち合わせをしてきたのか。ちなみに3月完成した新南陽駅は8,800万円だった。面白いのは岩徳線の周防花岡駅は1千万円足らず、周防久保駅は837万円だった。この二つは地元の業者が施工した。さすがに田舎の駅にはJRも興味を示さなかったのか。なぜこんな高額の予定価格になるのか、なぜどこも広成建設1社落札になるのか、なぜ地元の業者は入札に参加しなかったのか。本来駅のトイレはJRが建て替えるべきではないのか。

なぜ地方自治体が大金を投じないと駅のトイレがきれいにならないのか。鉄道の運行に何の支障もないはずのトイレをきれいにするのに、JRの横暴さは驚くより怒りさえ感じるのは私一人か。周南市も実態を明らかにするべきだ。貴重な市民の税金を使っているのだから。何を怖がっているのだろうか。御殿のようなお金をかけたトイレは楽しみだ。

(中島 

若者定住は絶大な効果

~徳山大学公立化に一言~

地方の課題は、若者定住と少子化対策が最重要課題だと断言できる。高齢者福祉も大事だが、地域が元気になるには若者が増えることが一番の大切な要素だ。言葉遊び的な「幸せを感じる地域」「助け合える地域」など悠長なことでは衰退しかない。5、6年前から周南市の企画課、徳山商工会議所に声をかけ、徳山大学の改革案を持ち込み、非公式だが当時の学長などと議論を交わしてきた。一番は同大に地元から進学する学生があまりにも少なかったからだ。卒業生の多くは他県からが圧倒的で、地域の企業に就職してもほとんどが離職、地元に帰っていたのが実情だった。
議論がかみ合わず、半ばあきらめかけてた時、理事長が変わり、学長も変えた。リーダーが変わるとこうも変わるものかと思った。内部体制も一気に変えて行き、外部から人を求め、責任を明らかにし、職員への指導も強化していった。その時期と同じくして藤井市長が当選し、公立化に向けて急速に動き出した。私たちは学生の質の向上を強く訴えていたが、人数合わせの学生採用を止め、全国から優秀な講師陣を集め、定数にこだわらない取り組みも始まった。
ある統計資料によると、一人若者が定住すると生涯で5千万円以上の税金が地方自治体に入る。所得税はもちろん消費税、ガソリン税など、多くの税金を払う。家でも建てれば固定資産税も生涯払う。若者定住に1人200万円、300万円使っても充分元が取れる計算だ。人手不足で悩む地元企業にとっては切実な問題だ。地域経済への効果も計り知れない。
山口県から他県への大学進学者は60%に及ぶ。就職者はもっとその比率が増える。かくして山口県の若者の流出は止まることを知らない。若者定住に無策が続いた山口県は衰退の一途を歩んできた。ハローワークの情報では、毎年5千人の若者が県外に出ているとのことだ。地元の若者が地元の大学に進学、そして親元か、その近くに住む。もう少しそんな若者が増えればと願うばかりだ。
徳山大学へ提言したころ、当時県議だった藤井律子市長と、当時県教育委員長だった山県俊郎氏と共に県教委を訪ね、高校現場でもう少し県内の大学進学をと指導できないかと頼みに何度も足を運んだ。答えは「山口県は昔から上(かみ)に上(あが)り出世しようとする教育が主流で、現場の教師の意識を変えるのは難しい」とのことだった。しかし徐々に流れも変わってきた。藤井市長の公立化への思いはそのあたりが原点だったのかも知れない。

(中島 

観光案内所は公共施設?

~役所全体で論議せよ!~

周南観光コンベンション協会第3弾。観光案内所の件。周南市は徳山駅前図書館(徳山駅前賑わい交流施設)の指定管理者としてCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)を選択した。今回の飲食施設だが、防府の店に決定したことは、あくまでCCCの管理者としての責任において決定したもので、行政側は一切関与していない、との立場だ。この担当は産業振興部中心市街地活性化推進課だ。駅前図書館建設時、観光案内所を同施設内に設置するかどうかを検討したが、CCC側の要望なのか、担当部署の判断なのか、結局新駅ビル内には設置できなかった。ちなみに観光案内所は地域振興部の管轄だ。

特産品を共に販売しようと計画、内装は行政が補助金を出して観光案内所と併設でみなみ銀座にまちのポートができた。同協会の特筆すべき活動が「平和の島プロジェクト」だった。それまで大津島の回天記念館は教育委員会の管轄で、記念品一つ作れず、何も売れなかった。プロジェクトチームは一気に海軍カレーなどからクリアファイルなど回天に関するグッズを多数開発、サービスエリアなど各所で販売するようになった。

 特産品販売は、まずは農林課などの産業振興部の管轄で「しゅうなんブランド」として認定している。また周南3市と田布施町で周南地域地場産業振興センターが設立、運営されているが、ここでも周南ものづくりブランドが認定され、多くの特産品が開発された。周南市の将来像を描くのは企画部だ。地場産業の将来を含めて青写真を描く。そこでは観光案内所や特産品売り場は公共施設とみなさないのか。

v 観光案内所とまちのポートの設置場所を決めるのは一体どこの部署なのだろうか。周南市民の所有する駅前図書館だが、CCCを指定管理者にしている。しかし、今回の飲食施設は離れ小島のような位置で、契約の見直しをすればなんとかなると思うのは素人の考えなのか。それにしても周南地区の来訪者へのおもてなし窓口一つが定まらないのに、コンベンションシティやシティプロモーションなど標榜するのは理解できない。庁内に合同で話し合う場面はないのだろうか。各部の連携はどう取っているのだろうか。ここは市議会議員もしっかりして欲しいところだ。縦割り行政はどう解消するのか。そういえば、南北自由通路のトイレにトイレットペーパーをと訴えて、1年後にようやくトイレットペーパーが付いた。おもてなしの心のない街に賑わいも、発展も見えてくるわけがない。

(中島 

上から目線の行政にがっかり

~観光案内所はどこに設置するのか?~

観光案内所は、旧徳山駅ビルの1階にあるのはごく自然で、当たり前の光景だった。駅ビル建て替えと周南観光コンベンション協会が発足する時期が重なり、みなみ銀座に特産品売り場の「まちのポート」と併設で場所が変わった。あくまで仕方なく場所を選んだもので、当初から駅ビル内と思っていた。徳山駅は全ての交通の結節点で、下松市、光市、ともすれば防府市、柳井市までの市民が利用している。逆に他県からの来訪者もほとんどが徳山駅を利用している。だから、南北自由通路か、駅ビルに観光案内所があるのは当然だ。地域への来訪者を迎える一番地だ。

周南市は観光も、スポーツも二重行政の形になっている。行政には観光交流課、文化スポーツ課があり、職員が何人も関わっている。一方、周南観光コンベンション協会、周南市体育協会が業務の委託を受け、観光行政、スポーツ行政のほとんどをこなしている。文化も実際は周南市文化振興財団と周南文化協会が文化行政の主たるところは担っている。最低限の補助金の中で、それぞれの団体は多くのボランティアの力を借りながら、市民を巻き込む啓発活動など、工夫に工夫を重ねてきた。

私は以前から担当課の職員を減らして、減ったお金の半分、いや3分の1でもいいから補助金を増やしてくれと頼んできた。周南市の職員の平均給与は約700万円だ。職員の人数を減らすことは地方自治体の最大の課題だ。少しでもこの民間の力を借りて減らすことが大切だと訴えたが、未だに実現しない。箱モノは行政が作り、運営は民間が担うことで、地域の活性化につながると言ってきた。しかも各団体の職員の待遇は市役所の半分か、それ以下だ。

今回、周南コンベンション協会の願いをはねつけた周南市だが、では一体観光案内所はどこに設置するつもりなのか。せっかくの地域の特産品を内外の人に販売する施設はどこに設置したいのか答えが是非聞きたい。とりわけ観光行政はどこで、どんな将来像を描いているのか聞きたいものだ。2階改札口隣の空きスペースを活用したらと提案したが、あっさり拒否した。今回行政に聞くと「コンベンション協会から何のお願いも聞いていない」との返答だった。周南4商工会議所がJRに請願したのは知っているはずだ。

補助金を出しているからなのか、上から目線の対応にさすがにがっかりした。行政はこれら団体のお陰で市職員ができないことをしてもらっていると認識すべきで、これでは周南市はますます衰退するのは間違いない。役人天国であぐらをかいている地方自治体には将来がない。

(中島 

藤井市政はどこに向かっているのか?

~活動する市民を置き去りにするな!~

先月25日、周南地域地場産業センターで「周南ものづくりブランド」の認定書交付式があった。認定されたのは下松市来巻の農事組合法人21世紀フラワーファームの「パパイヤドレッシング」「パパイヤ茶」、周南市新町のイタリアン食堂Bambooの「Bamboo frozen Meal」など5点。同センターだけで過去の認定品は100種類を超えている。周南市農林課管轄の「しゅうなんブランド」も100種類は超えている。

相当の数を認定してきたが、いざ手に入る場所と言えば、道の駅「ソレーネ周南」か周南観光コンベンション協会の「まちのポート」しかない。もちろん全てではないが、それなりに買うことが可能だ。再開発で移転させられた「まちのポート」が苦労している。行き止まりの路地になって、店の前を人が歩かない。観光案内所と併設しているが駅前からは見えにくい場所だ。

周南観光コンベンション協会は2013年に設立された。市役所内の観光課に事務局があった観光協会を民間で運営することで、もっと大胆に、もっと効果的な活動をと、周南市内の商工会議所、大企業、会社、個人がお金を出し合い、一般社団法人として活動を始めた。職員は数人だが、活動の多くを集まったボランティアたちが支えている県内でも珍しい団体だ。最初の「まちのポート」は、山田石油から「そうした団体なら」との理解で破格の家賃で貸してもらって何とかスタートした経緯もあった。

駅前図書館のフルーツパーラーが撤退して、同協会は何とかその後に入れないかと模索したが、家賃が高いからと断念した。そんな中、家賃が12万円台でプロポーザル形式での募集となり、早速参加を表明して応募した。結果は防府市に店舗がある店が入居することになった。私はがくぜんとした。一体周南市はどこを向いて行政を展開しようとしているのか。あれだけの周南ブランドを誇らしげに認定してきたが、街中で唯一の販売拠点をさておいて、防府の料理店に貸すというのだ。

コロナ禍の中で周南地区の生産者たちは懸命に特産品を開発し製造してきたが、その唯一の販売場所を「公平を期すため」にと他市の店を優遇するとは。一体市長をはじめ行政マンたちは何を考えているのだろうか。観光案内所も人目の付かないところで充分と思うその心境がわからない。

同協会の役員などメンバーは多額の会費を払ってまで、地域の観光を盛り上げよう、地域の産品を少しでも売って支えて行こうと頑張ってきた。地域の中で無償の奉仕の気持ちで活動してきたメンバーたちの「がっかりです」の声に、市長はじめ執行部は何と言って慰めるのだろうか。

(中島 

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