一言進言

活字文化復活の拠点に

活字文化復活の拠点に~ツタヤ図書館に期待しよう~(8月25日掲載)
周南市の新しい徳山駅ビル問題はカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)を指定管理者にようやくスタートした。未明までの議会を経て、賛成多数で決まった。駅ビル問題は当初から議論がかみ合わなかった。いわゆるツタヤ図書館を目指してのスタートだった。すぐ近くに中央図書館を持つ周南市と、中央図書館の運営を依頼した佐賀県の武雄市とでは、そもそもの条件が違う。木村市長の強い想いが実現したが、駅ビルに何を持ってくるか、議論は正直希薄だった。議会からの現実的な提案もなかった。従来の駅ビル、市民交流センター的な発想しかなかった。
病院やホテルなどの提案はあったが、具体的にアタックする人はいなかった。商業施設への期待も強かったが、無理だと決めつけた。結局、図書館に決まったが、最後に指定管理者の決定にあたって未明までの議会がおまけになった。決まった以上、何ができるかに議論を集中すべきだ。
文化は形に表せない難しいテーマだ。市文化会館がオープした時、こけら落としはN響のコンサートだった。本格的なオーケストラのコンサートは初体験の市民が多かった。演奏中、せきをする人、隣の人と会話する人などもいた。それが何年か経て四重奏のコンサートに行くと、素晴らしいマナーで、確実に音楽を楽しむ風景があった。これが文化だと思った。今では市民のオーケストラもスタートしている。
今度は活字を通してどんな文化をもたらしてくれるか。全国展開する本屋さんだ。著名な作家たちを周南に招く力がある。活字文化に興味を持たせる仕掛けはいくらでもある。単にカフェで雑誌を読む空間を作るだけでは、年間1億5千万円以上もかける必要はない。中央図書館も子どもたちへの読み聞かせ運動など、地道だが、相当の活動をしている。差別化を図り、もっと活字に興味を持たせる活動を期待する。
活字を扱う仕事を30数年してきたが、近年の活字離れはすさまじい。新聞を読まなくなり、本の売れ行きも激減している。ツイッターなどごく短い文章で伝える時代だ。向田邦子のように流れるような文章に感動する世代にとって、何とも悲しい時代だ。単に集客だけなら、家賃をタダにして東急ハンズなどを誘致すればよい。1億何ぼもお金をかけなくてすむ。駅ビルに図書館を選んだ責任はそこにあると思うが、どうだろうか。(中島 進)

経営以前の体制

経営以前の体制~決算もできない道の駅「ソレーネ周南」~

誰1人責任を取るつもりがない組織で運営されている周南市の道の駅「ソレーネ周南」が迷路に入った。なんと山口銀行が監査して報告された決算が、経営者たるツーリズム協議会に何ら報告がない段階で、市に決算に間違いがありましたと通告され、開催予定だった市議会の委員会も延期になった。江本伸二駅長にすべての権限を与えた協議会も無責任なら、その協議会を作った行政も無責任、ここにきて江本駅長の独断専行の業務にも大きな疑問符がついた。
この話にはまだ落ちがあって、監事、つまり監査をする人は山口銀行と西京銀行からの2人に決まっていた。しかし、今回の監査は山口銀行だけで、西京銀行は参加していない。西京銀行に聞くと、昨年、江本駅長から監事の依頼があって、対応していた。しかし、今回の決算は案内もなく、蚊帳の外に置かれた。
社団法人の監査が、監事が2人いるにもかかわらず、1人にしか依頼せず、しかも監査報告までさせて、結果、間違いがありましたはひどすぎる。引き受けた監事にすこぶる失礼で、案内もしなかったというのは、法律にも抵触するような業務だ。またそれをとがめず、決算を承認した協議会は、経営者の資格さえ疑われる。700万円もの経費の問題だと言うが、果たして決算の数字そのものが正確なのか。
年間1,400万円もの税金が注がれる施設だ。業務委託費は一体どう使われているのか。こんな団体、体制で信用できるのか。行政は、作ればもう自分たちには関係ないと高をくくっていたのではないか。働いている人への補償は誰がするのか。納入業者へどう弁明するのか。とりわけ、税金を納めている市民にどう説明するのか。市民の1人として怒りが収まらない。地産地消、福祉の駅など、掲げた理想とはかけ離れた、ずさんな経営に、木村市長はじめ関係者の責任は重い。
そもそも道の駅は、島津元市長時代の発案だった。市役所にいた知人は担当を命じられ、無理だと感じて早期退職をした。木村市長は道の駅構想はやめると公約に掲げて当選した。しかし、当初の予算を削ったことを理由に設置を正当化した。議会もそれを承認した。やり方によっては黒字化できるかもしれないが、少なくとも今の責任者のいない経営体制ではいけない。責任を取れる確かな経営母体を早急に見つけることだ。(中島 進)

働く人、納入業者の不安を払え

働く人、納入業者の不安を払え~道の駅赤字に経営陣、行政は?~

□中小企業の経営者は、もしもの時は家屋敷を投げ出す覚悟で経営している。借り入れはすべて個人保証だ。オープン前、随分と周南市の道の駅「ソレーネ周南」について書いてきた。周南ツーリズム協議会なるものを市役所主導で作り、そこに管理を業務委託する構造に、果たして責任は誰が取るのかと疑問符を投げてきた。わずか10万円の出資で社団法人を作った。何億円の商いをするというのに、11団体の110万円の資本金なのだ。
□どう考えても無茶な話だった。赤字の時は市が補てんしてくれると信じての設立だった。市はそんなことは言ってないと言うが、江本駅長は設立前の市の臨時職員だった時、市役所の立場ではっきり「10万円以上絶対に負担することはない」と言ったと証言している。つまり、お金が足りない時は市が補てんすると言う意味だ。こんな子どもじみた話で周南ツーリズム協議会はスタートした。業務委託管理を引き受けた。
□3年程度はいいだろうが、徐々に苦しくなるだろうと予想はしていたが、2年目にして2,200万円もの赤字を計上した。テントを買ったり、臨時の出費が増えたからと江本駅長は説明している。江本駅長を責める気はない。一従業員だ。経営責任は経営側のツーリズム協議会にある。突然の決算報告で赤字を知った各団体は一応に驚いたようだ。
□月々の試算表作成は当然のことだ。出費が多い時、止めるのは経営者の務めだ。経理が手薄でちゃんと把握できなかったという説明だ。会社経営で最も重要な経理がずさんで、もうかっているか、赤字を出しているのか、まるでわからなかったのは、江本駅長だけの責任ではない。経営者としての自覚がツーリズム協議会になかった。根本はそうした団体を作り、経営にあたらせた行政に責任がある。
□借り入れをするにも誰も保証人になる人はいない。資産は皆無に近い。もし、資金不足で従業員への報酬が滞ったらどうするのか。納入業者への支払いが遅れたらどうするのか。当たり前の予測を片側に置いて、道の駅はスタートした。決算は終わっているはずの6月議会で、行政はすこぶる順調ですと胸を張った。また、こんな団体に委託することに市議会も目をつぶった。関係者全員が他人事のように感じていた。そこに働く人への配慮も、納品する業者への思いも至らなかった。
□犠牲者が出ないと問題にならない行政。無責任な議論で予算や指定管理の議案を通過させた議会。簡単に働く場、ものを扱う場を請け負った団体。日本の縮図を見るような無責任な構造に不安を覚えるが、また弁明の渦が巻きおこりそうだ。木村市長の本当の手腕はこんな時に出てくる。公約違反までして開設した道の駅だ。働く人、業者に不安を持たさないことを期待したい。(中島 進)

デジタルアート展に嫉妬する

デジタルアート展に嫉妬する~もっとわくわくするイベントを~

□「ポケモンGO」は国内でも一気に広がった。私も少しやってみたが、確かに現実の場面でモンスターを捕まえるのは面白い。周南市の永源山公園に多く出るとか、下松市のザ・モール周南の中にレアものが見つかったとか、話題はどんどん拡散していく。交通違反が6日間で400件を超えたとか、奇妙な社会現象になった。長く続くとは思えないが、しばらくは盛り上がるだろう。1、2件事故が起こると禁止令が出るかもしれない。
□任天堂の株価が急騰するなど、経済効果が先に出たが、スマートフォンの充電器も飛ぶように売れているらしい。持って歩くから充電が追い付かないそうだ。ジュースも伸びている。人を集めるツールには使えそうだ。商店街ではお金を出してレアなモンスターを購入、集客に利用するところも出てきた。周南地区でも今のうちにやってみる価値があるかもしれない。早い物勝ちだ。
□お隣りの防府市では現在「チーム・ラボ」によるデジタルの“学ぶ!未来の遊園地”が開かれている。自分が書いた魚が壁面を泳いだり、最新のデジタル技術を駆使した会場は連日にぎわっている。デジタルアートの技術は速いスピードで進化していて、大阪城を炎上させたり、プロジェクターを使った映像世界は国内外で大きな反響を呼んでいる。
□周南地区では手づくり感いっぱいのイベントは多々ある。それはまたいいが、最先端のデジタル技術が楽しめる場は新鮮で魅力的だ。コンビナート企業がひしめくここ周南で、たまにはこうした最先端の技術を使ったイベントが開かれてもよかろう。テレビ画面も有機ELを使った布状のものまで出現している。確か出光あたりが関わって開発したはずだ。各社が持つ最先端技術を使ったイベントも開催可能だろう。
□原料を供給しているが、その先の製品は世界中に広がっている。周南地区のそのすごさを具現化できたら、立派な展覧会になろう。周南地区に若者を呼び戻すきっかけづくりにどれだけ貢献できるか。旧徳山市時代に開いていた産業祭は企業のブースも設営され、地場企業の技術やものづくりが市民の目にふれる機会を作っていた。
□ステンレスで作った名刺は驚くような薄さだった。女性は鏡変わりに使えて、なかなか便利だと評判になった。半導体の原料もあれば、デジタル機材に欠かせない原料も作っている。デジタルアート展が周南地区ではなく、防府市で開かれたことに嫉妬する。宇部市のときわ公園でも「チーム・ラボ」によるイベントが開かれている。冬のツリーまつりのイルミネーションも珍しくなくなってきた。ここらあたりで、わくわくするようなイベントができないものか。(中島 進)

ツタヤ図書館で文化度向上?

ツタヤ図書館で文化度向上?~回遊できる街中できるか~(7月20日掲載)
■ 周南市の新徳山駅ビルの指定管理者がTSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)にほぼ決まり、ツタヤ図書館がいよいよ起動する。佐賀県武雄市から始まった図書館プラスカフェの流れは全国に広がった。抜群の集客力は若干陰りも見えるが、いまだに集客力に自信を持っている。スターバックスというカフェが持つ力も衰えていないようだ。
■ オープン当初は相当の人が集まるだろう。しかし、テーマはツタヤにどれだけ人が集まるのかではなく、集まった人がどれだけ回遊するかだ。また、大きな問題は、図書館を作り、管理をCCCに任せることで、市の文化度がどれだけ向上するかだ。
■ 現在の中央図書館で市民の不満を聞いたことはそうない。目と鼻の先に同じような図書館を作ったのでは、税金の無駄使いだ。市民は新図書館に何を求めるのか。市民に何をもたらすのか。図書館は何のためにあるのか。そもそも論から議論を深めることは極めて重要だ。市議会でどれだけ議論され、今後どんな議論が展開されるのか。課題は大きい。
■ CCC側からは旅行や料理に特化した図書館との声も聞いたことがある。本当にそれが年間1億5,000万円をつぎ込む価値のあるものなのか。文化にははかりがない。仕掛け方が多様でないと目に見えた効果は現れない。
■ 光市長を務めた松岡満寿男氏は絵画にも造詣が深く、市民が本格的な陶芸ができるようにと、市民窯を作った。そのおかげか、光市には陶芸家が続々生まれ、彫金の山本晃さんのような人間国宝まで生まれた。ここ周南地区で光市が他市より文化人が多いと感じている人は多い。ツタヤ図書館によって、どんな文化を広めていくべきか。興味は尽きない。
■ 駅ビルにいくら人が集まっても意味がない。地元への経済効果が問題だ。街中に足を延ばしてもらう仕掛けをどうするか。最大の難問だ。ここ数年、街中に40店あまりの出店があった。しかし、街中を回遊させるパワーはまだ足りない。誘導装置もない。商店主たちの意識改革も急務だ。銀南街でディスプレイコンテストを実施するなど、おしゃれな空間創造への取り組みも必要だ。中央街もバザール的な改変もあるかもしれない。デザイン力で街を変える決意が必要だ。駅ビルに人が集まっただけで胸を張っていてはいけない。(中島 進)

どこに向かう民進党

どこに向かう民進党 ~地方政治に入り込め~(7月14日掲載)

■ 「幼児化する日本人」とある評論家が最近の世相を嘆いている。物ごとを白か黒だと決めつける。一方的に他を攻撃する。思いやりのある言葉が極端に少なくなった。政治家も一緒で、言葉に寛容さがなくなった。55年体制を懐かしむわけではないが、議場ではやりあうが、議場外では意外につながっていた。政権を担った自民党も、野党の社会党の意見に耳を傾けた。だから世界でも有数な福祉国家に成長させた、相手をとことんやり込める雰囲気はなかった。
■ 参議院選挙は予想通り与党が圧勝した。当然と言えば当然だ。民主党が民進党に党名変更した時点で勝負はあった。大企業の労組や自治労など組合頼り政党の枠から抜け出すことが終始できなかった。大企業寄りの政策を進める自民党に対抗するには、大企業労組と一定の距離を置かない限り、大多数の庶民とはつながらない。大手企業の恵まれた労働環境にある組合は、今や自民党より資本家寄りだ。
■ 周南市は県内で最も平均個人所得が高い。370万円だそうだ。公務員は700万円に手が届きそうだ。山陰側の各地は270万円とさらに低い。しかし公務員に地域格差はほとんどない。いけないと言うのではない。今や公務員や大企業で働く人たちの中に、資本と労働という対立感覚はほとんどなくなっている。そうした人たちの代弁者は今や自民党だ。企業に賃上げを促す自民党に対抗する手段を失った民進党に勝ち目はない。
■ もう一つ、共産党と組んだ時点で、民進党は政権を担う意気込みを捨てたと感じたのではないか。共産党は、その存在感は認めても、政権を託すのを不安視する人は多い。共産党の票が欲しいだけで共闘を組む姿に失望した人も多かった。結局、投票に行かないことで意思表示をしたのではないか。いったい、民進党はどこに向かって活動しているのかが見えない。
■ とりわけ地方での存在感のなさは抜群だ。地方議員が皆無に近い状態では、政権を担う政党要件はない。地方自治に対する指針を持たない。市営住宅一つ、かくあるべきと主張できるのか。地域医療、介護政策に確固たる方針を持っているのか。市民活動の取り組みはどうするのか。とりわけリーダー養成への指針がない。政党支部に一般の人がどれだけ参加しているのか。自民党の底力はその辺りにある。与党圧勝はある意味怖い。政権交代の危機感がなくなると不安だ。(中島 進)

20年先の日本を語れる国会議員は?

20年先の日本を語れる国会議員は? ~空恐ろしい将来に向かって投票を~(6月15日掲載)

■ 22日に公示される参議院選挙から18歳から投票できるのは知れ渡った。政治に関心がある高校生は少数だろう。何しろ世の中の仕組みを教わっていない。現代社会を習う前にほとんどは授業は終わっている。受験生ならなおさらだ。だいたい高校の先生が今の時代をどう伝えるのか疑問だ。中小企業の実態を知っていて、確実に伝えられる先生はいかほどか。介護現場を語れる先生はどれだけいるのか。我が国の問題点を指摘できる先生がいるのだろうか。
■ 高校の先生だけでなく、10年先、20年先の我が国の未来予想図を描ける大人がどれだけいるのか。国会議員からも、誰一人、このまま政治が続いた延長線上の姿を聞いたことがない。目の前の消費税先延ばしはわかるが、その先はどんな国になるのか、誰も語らない。より良い社会になるのか、どんな社会を目指しているのか。評論家も目先のことしか言わない。統計的には多くの自治体が消滅するという発表があった。そんな未来に向かって、何を基準に投票先を決めればいいのか。
■ 私が徳山に帰って新周南新聞社をスタートさせたころは、まだバブルの最後期で活気が残っていた。あっという間にバブルははじけ、知り合いの経営者の多くがこの地から姿を消した。建設業だけでなく、大企業も接待交際費は上限がないかのように、毎晩街に繰り出していた。しかし、日本沈没の様相で、経済が縮小、加速度的に冷え込んだ。団地から子どもの声が聞こえなくなったのもそのころからだ。20数年経て、子ども会も作れなくなった。
■ 我が国の現実はどう変わったのか。より良い社会を目指して大人たちは工夫してきたのか。30年前と比べて何が進化したのか。車の音がしなくなった。ハイブリッドカーのお陰だ。通信手段が多様化した。携帯電話が始まりだった。もう一つ、長生きになった。医療の進化のお陰だ。政治は常に将来を見据えて、国民が等しく幸せになるよう、知恵を駆使して対策を考えるものと思っていた。しかし、実際はその場限りの人気取り政策ばかりで、結局は一部の勝ち組以外は全員、敗北だ。選挙で選んだ国民のお陰だ。
■ 少子化対策も待機児童ばかり目につく。今、地方から子どもを関東の私立大学まで行かせるには、1人2,000万円はかかる。2人だと4,000万円。3人だと6,000万円。こんな教育費を払える家庭が全国にどれだけあるか。18歳から20歳までの若者にどんな将来像を訴えるのか楽しみだ。消費税の先延ばしは、結局、今の若者たちの将来の負担を増やすだけだ。社会人になったころ、保険料や税金は恐ろしいほど押し寄せてくる。子どもを育てるにはとても無理な状況だ。長いバラまき政治のつけを払うのは誰か。答えがわかっているだけに、空恐ろしい。(中島 進)

10年後、会社、店は消滅の危機

10年後、会社、店は消滅の危機 ~低調な周南市議選、何が問題か~(5月25日掲載)
■ 地方政治が危機的状況だ。下松市議選や市長選は無投票かどうかが焦点になり、周南市議選も前代未聞の53.35%と、2人に1人は棄権する散々な結果だった。次回は50%を割る可能性も出てきた。市民の大半が地方自治に関心がないか、期待していないか、ひどい状況だ。最も身近なはずの地方自治が市民から乖離(かいり)している。
■ まだ実績もない若手市議や、名もなき若手新人が大量得票をした。既存の地方政治に飽き飽きしている市民が大量に存在している証だろう。棄権するのは今の地方政治にノーを突きつけている。今の周南市にあきらめている市民が多い証拠と言えるだろう。
■ 地方自治、政治が地域を変えてくれる実感がないのか。それとも国民全体が快楽的になったのか。豊かになって、政治に不満がなくなったのか。地方から若者が流出し、高齢化が急速に進むが、むしろ地域は静かになり、騒音もなく、穏やかな生活を楽しめると感じているのか。駅ビルが、市庁舎がどうなろうが、公共施設の再配置と言うが、生活に影響する実感がなく、議会も執行部案をそのままスルーする。誰を選んでも変わらない。そう感じる市民が多くなったのか。
■ 18歳から選挙権が与えられ、若者の票は確実に増えるが、投票には行かないだろう。どうしたら地方自治に興味を持ってもらえるのか。難題だ。周南市だけで数百億円の合併特例債が使われたが、目に見えて環境が変わったわけではない。人様のお金の感覚が強い。きれいになった公共施設を迷惑と思う人もいない。
■ 問題は10年後、20年後に訪れる。若者がいなくなった周南市で、お年寄りを世話する人たちが激減する。今の有権者には実感がない。すでに高齢者の施設が働く人の不足で大変だ。これがもっと進むと経営が成り立たない。居酒屋をはじめサービス、小売業も人手不足は深刻だ。今若者を増やす施策を考えないと、到底地域は持たない。
■ 「1年、2年後のことではなく、10年20年後のことを考えて」と若手候補者は語っていた。老練候補は「住みよいまち」がテーマだ。高校の統廃合が発表されるなど、若者が激減することを前提に施策が考えられる。増やす施策は何か。若者を帰らせる施策、大胆な少子化対策、若者定住に大掛かりな施策を。できることはいっぱいある。宣言する。10年後、人出不足で閉める会社、店が続出する。さあどうする。(中島 進)

停電の怖さを忘れた

停電の怖さを忘れた ~サイクル早めた大地震~(5月19日掲載)
■ 地震、雷、火事、おやじと昔から言われてきた。かように地震は恐ろしい。防ぐことはできず、逃げ場に困る。この20年で大きな地震を3回経験した。いずれも想定外だった。戦後ごろからいえば、3つの大地震が起きるまでの災害は風や雨が中心で、足元から崩れるような類はなかった。多少防げるものもあった。川のはんらんもそれなりに対応できただろう。しかし、地震だけは対応のしようがない。耐震化と言っても限界がある。
■ 南海トラフがよく語られる。大地震のサイクルが縮まっている。地殻変化が急速に早まっている気がしてならない。目に見えないだけに不気味だ。静岡県に住む知り合いは、テレビやたんすなどをすべて金具で壁に固定している。周りの家も多くはそうしているそうだ。南海トラフ対策もあるが、日ごろからよく揺れているから、自然にそうしたのだ。瀬戸内地域はその点、のん気だ。
■ 1991年、台風19号が周南地区では経験上最大の天災だった。1週間以上停電し、我が社も電気が使える場所にパソコンを持って移動し、編集して、他社に印刷を頼んで新聞を発行した。強い風による塩害が大きな原因だった。電気が使えないつらさを思い知った。父がマンションの9階に住んでいたので、毎日水を抱えて階段を昇ったが、文明のぜい弱さを思い知った。
■ 思い知ったが、いつからか頭の中からスッポリ抜けてしまった。震災が起こるたびに、もう少し備えをと思うが、それもつかの間、日常に埋まってしまう。懐中電灯、電池、水など常備しておくものは多い。瀬戸内に住む人々は、天災に遭う頻度が極端に少ない。熊本も近くに阿蘇山とか雲仙など火山地帯だが、地震は起こらないだろうと思っていたようだ。
■ こんな穏やかな地域に住む人は何ができるか。ひたすら不測の事態に対応できる最低限の備えをしておくことぐらいか。行政はと言えば、震災に遭遇した地方自治体を見習い、同じ過ちを犯さない、しっかりした対策を持つことだ。周南市は今回、ハザードマップを整備したが、とにかく的確な情報と日常的な広報活動を怠らないことだ。先日のような誤報を決してしないことだ。市民から信頼される役所が何より一番だ。それにしても我が家が危ない。(中島 進)

「子どもの声が騒音」保育園断念

「子どもの声が騒音」保育園断念 ~個人の権利乱用に怒り~(5月9日掲載)

■ 暴走老人が増えたと聞くが、最近のニュースで1番の“びっくりポン”は、保育園建設が地元の反対で断念するケースが増えたことだ。驚くだけでなく怒りがこみ上げる。何という国になりつつあるのか。反対する多くがお年寄りだ。「子どもの声がうるさい」「車が増えて迷惑だ」反対の理由は一致する。都会では苦情に対応して園の周囲に高い防音壁まで設置している。
■ 自治会のボス的なお年寄りが反対すると、地区の住民はみんなだんまりを決め込む。パターンはほぼ同じだ。「子どもは宝」は死語になりつつある。少子化なんか関係ない。若者が目の前をチョロチョロするだけで目障りだ。ましてや、よその子どもの声なんか聞きたくもない。寂しいお年寄りは怒りだけが増幅する。
■ 自分が若いころ、自分の子どもが近所の鉢植えを壊して謝ったこと、近所のおじさんやおばさんから優しい言葉をかけられたこと、今では自分とは関係ない世界だ。自分の子どもは遠くに行って、めったに帰ってこない。自分はその寂しさに耐えているのに、なぜ、近所に子どもを連れてくるんだ。お年寄りの怒りは爆発する。
■ カウンター越しに大声で目の前の若者を叱責しているのは、たいがいがお年寄りだ。齢を重ねると丸くなるなど大ウソだ。コンビニエンスストアで年齢確認を求められたと暴れた年寄りがいた。暴走老人は近い将来、自分が施設に入ったり、介護される側になることなど念頭にない。若い人たちの高い保険料負担で、年金をもらっているなんて、露ほど感謝の気持ちなどない。
■ 周南市内でも、ある老人施設が建設された際、周囲の高齢者が反対の声を上げ、それに市会議員までが加わったそうだ。かくも寛容さを失ったのはなぜか。園児の笑い声が騒音に聞こえる国民になったのはいつのころからか。公民館では、お年寄りの下手な楽器の音はよくて、若者のバンドの音は騒音だと禁止になる。
■ マスコミも、客観的とばかりに保育園建設断念のニュースで反対住民の声を取り上げる。保育園の周りの刑務所の塀のような防音壁。そんな中で子どもを育てろと言うことに個人の権利とは言わせない。将来を担う子どもたちが声も出せない環境を、公正に報じられるのか。私は断固としてそうした住民の声に反論する。個人の権利を主張するのにも限界はある。子どもの声がうるさいと言うお年寄りは、震災で若いボランティアには救いを求めないのだろうか。高度成長時代のつけが今ごろやってきた。(中島 進)