一言進言

地域主義の宣言を

~地元のお店を救え~

徐々に人の動きは活発になってきた。週末にはほぼ満席のお店もある。若い人が中心で、年配客が多い店は、まだまだ苦戦をしている。人と会うとほとんどが「一体いつまで続くんかね」があいさつ代わりになった。コロナ禍の行方は未だ誰にもわからない。年を越すのは間違いなさそうだ。

今年の年末は今までの感覚とは全く別物になりそうだ。忘年会はまさに典型的な例で、まったく様変わりの忘年会になりそうだ。20人も、30人もが一堂に集まった忘年会は絶望的だ。リモート忘年会など、自宅滞在の忘年会になるのだろうか。飲食店への影響が心配だ。一年で一番売り上げが期待できる期間だけに、そのダメージは想像を超えるかも知れない。

毎年数百万人と言われる明治神宮の参拝客はどうなるのだろうか。この近郊の神社への参拝はどうすればいいのだろうか。さすがにお正月は帰省する人は多いだろう。都会から帰省すると家族間のクラスターも心配だ。行政は国にならって、5千人を超える集まりもオーケーとした。なら初詣もオーケーなのか。正月の帰省も大丈夫なのか。

結局は個人の判断で動くことしかない。多くの規制が解除され、何が正しいか決断は自由になった。一方、まだまだ自粛する人が多い中、地域の飲食店などは、年末までの閉店を考えている店主も多い。結婚式も葬式も自粛ムードは消えない。地域経済のダメージが大きい。ここは正念場だ。行政も、商工会議所も地元経済をどうしたら支えられるか、知恵の出しどころだ。

先ずは地元のお店を利用することを訴えることだ。全国チェーンのお店ではなく、できるだけ地域のお店を支える市民を増やすことだ。徳山商工会議所では岡田幹矢会頭時代、地元のお店で買い物をと呼びかけていた。近鉄松下百貨店が閉店するとき、多くの市民が「無くなったら困る」と嘆いた。日頃郊外のショッピングモールや、広島や博多に買い物に出かけていたのにだ。

トランプ大統領の自国主義が話題になっている。この周南地区は地域主義で生き残ろう。全国チェーンは儲からない、とすぐに撤退する。儲けは全て本社だ。行政も、各商工会議所も歩調を合わせ、地域主義を高らかに宣言しよう。プレミアム食事券などは地元の店だけに通用するので良い。グローバリズムなどくそくらえだ。


(中島 

難解なシティプロモーション

~地域の自慢探しを~

全国の地方自治体がシティプロモーションに取り組んでいる。自分たちの市や町を知ってもらいたいと懸命だ。知ってもらうことで何を産もうとしているのか各地思いが違う。中には定住者を増やしたいとか、特産品をもっと販売したいとか、地域によって目的も異なる。何をもって成功とするかも各地域で違う。

よくあるのがプロモーションビデオの作成だ。ユーチューブで配信し、アクセス数で評価される。中には有名人を使って多額の経費をかけ、ストーリー性など工夫を凝らして作成するところもある。光市もかつて作って、それを見て移住希望者が1人だか、2人だか出てきたと話題になった。下松市はフイルム・コミッションを立ち上げ、何本か映画も作った。

周南市も新たに多くの参加者を募り、シティプロモーションに取り組み始めた。それはそれで良いことだ。確かなのは、この地域の自慢できること、この地域の良さを再発見する作業そのものが大切だ。この周南地区は観光地ではない。観光で多くの人を呼ぶのは至難の業だ。全国的に有名な観光地には勝てない。

地方で一番肝要なのは、ずっとここで住んでいたい、ここから離れたくない人がどれだけ多くいるかだ。人それぞれ判断基準が違う。便利さを求める人、隣近所が面倒でないこと。子育てが楽なこと。などなど色々な要素がある。しかも厄介なことに、年代でその求めるものが大きく違うことだ。例えば過疎地で住民アンケートを取ると、ほとんどの人は「住みやすい」と応える。若い人がいないから夜中にバイクの音が鳴り響くこともない。お年寄りには知り合いに囲まれ、静かな地域が最高だ。

周南地区の若者にアンケートを取ってみればよい。「あなたの市はどんなところですか?何が自慢の市ですか?」。多分かなりバラバラな答えになるだろう。要するにシティプロモーションがいかに難しいか、どこもするからするとは思いたくないが、難解な事業だ。そもそもシティプロモーションは、自分たちが誇りにできる地域を創ることが大きな目的だ。知名度なら、野犬の問題で全国版になった。


(中島 

コロナ後はどんな世界に

~再開発は本当にうまくいくのか?~

ひと昔前、徳山の商店街は人であふれていた。歳末などは人とすれ違うのも気を使うほど人波は止まることが無かった。昔を知る人たちはノスタルジックにあの賑やかさをもう一度と願う。かなわぬ夢だとわかっていても、もう少し何とかならないかと思う。だから徳山駅前再開発事業を否定する声はほとんど無い。

どんな再開発か、ほとんどの市民は知らない。事実、今の時点でわかるのは、旧近鉄松下百貨店などの建物が壊され、徳山商工会議所が駅前に移転することと、マンションが建設されることだけだ。商業施設やホテルは中身が皆目わからない。どんなホテルか、どんな商業施設ができるのか、市民が一番関心を持つ部分は今後の課題としてそっくり残っている。

そんな中、再開発の区域内では賃貸している店舗の立ち退き交渉が始まり、すでに多くの店舗などが移転を始めた。そもそも再開発組合は10数軒の地権者が作った組合だ。区域内で何十年も営業していた人たちは発言できない。立ち退き交渉開始は事実上再開発事業の開始だが、15億円の負担を担う市民には一切告知もないスタートだった。

約半世紀もその地で店舗を守ってきた商店主にとっては、移転先の立地条件は死活問題だ。組合からは移転先の告知も、応援体制も十分ではなかった。わが社は一店一店取材して記事にすることしか応援ができない。一方、地権者が経営していた店舗はほとんどが閉店するという。長年歯の抜けた商店街で、賃料を払い続けて何とか歯を食いしばって頑張ってきた商店主への配慮はないに等しい。15億円の周南市民の血税と、15億円の国の税金を使う事業だが、地権者たちの論理だけの再開発が果たしてうまく行くのだろうか。

今、新型コロナ禍の中、福岡市の開発事業は延期、徳島県からは百貨店が撤退、など全国で商業関係の暗雲は想像以上だ。コロナ後商業の在り方そのものが暗中模索の状況だ。どんな世界になるか誰も見当つかない。ここ徳山の中心市街地だけが例外になるとは思えない。従来のままの計画でうまくいくのか。検討した跡が見えない。地権者の早くお金が欲しい意欲がそうさせているのか、日本中で物販の世界が変わろうとしているときに、誰にも告げずに事業をさっさと始めることは、理解不能だ。議会も行政も口をつぐんだだけだ。15億円もの血税の使い方に、少しは議論があってもよかろう。「民間のすることですから」と議会、行政の言い訳はこの一言だ。この事業の失敗は許されない。市民のマインドが徹底的に落ち込む。

(中島 

総裁選はコップの中の嵐

~ 一億総保守化の日本人 ~

山口県が保守王国であることは自他ともに認めるところだ。数多くの総理大臣はじめ、大臣も数えきれないくらい輩出した。安倍首相が辞任を表明したが、保守の地盤は揺るぐことは決してない。辞任にあたり様々な論評が新聞各紙に展開されているが、基本的な国の在り方は何も変わってこなかった。

衆院の中選挙区時代は、社会党や民社党の国会議員も登場したが、ここ最近は県内では国会議員全員が与党の状態が続き、保守の岩盤を崩せる気配も極めて薄くなった。山口県だけを見ると政権交代など夢のまた夢の感が強い。だからかどうか、投票率も激減し、2人に1人しか投票しなくなった。

山口県だけの問題ではない。日本中が国政に鈍感になってきた。モリ・カケ問題での公文書改ざん、桜を見る会のずさんさ、検察トップ人事の不祥事、広島の河井夫妻の多額の選挙買収問題など、ここ2年の国政の不祥事は目を覆わんばかりだが国民は怒らない。国会議員自体が論議することを避け、国政を語らない有様にマヒしてしまった。

みんな安倍首相におんぶにだっこで、ひたすら恩恵をこうむろうと言わんばかりの言動は不思議でならない。アベノミクスに感動して我を忘れたかのようだ。「地方創生」「一億総活躍」など次々とスローガンを掲げ、経団連に賃金を上げるよう要請するなど野党の付け入るスキのないスローガンで権力を盤石なものした。不祥事に内部から批判する議員はごく少数だった。

考えてみれば政権を取った民主党も、主なメンバーは元自民党が多かった。急進的な政治家は早い段階で民主党を去った。自民党の支持率は未だに40%を超えている。野党は散々だ。日本人は基本的に村社会で成り立っている。革新的な変化を求める民族ではないかもしれない。島国らしく安定した社会が何より大事だと思っている。

思い返せば、日米安保に反対する声は70年代で消滅してしまった。以降は経済大国の掛け声に押され、国民の大半が日常の生活に埋没した。格差が広がろうが、理不尽な政治家が多少現れようが、政権を変えるような選択肢はなくなった。かくして総裁選はコップの中の嵐とでも言おうか。大騒ぎするほどでもない。できればもう少し人口を増やすこと、少子化を防ぐことに熱心になればいい。地方で望むことはそれだけだ。

(中島 

女性の活躍増やす計画を

~総合戦略見て~

地方創生の単語をめっきり聞かなくなった。地方が元気がなくなると日本も元気がなくなると、大層な取り組みをするかと思っていたが、ちょこまかとお金を配り、大して地方は変わることはできなかった。相変わらず少子化の波は止まることを知らず、東京一極集中は止まる気配もない。

この度、周南市では「第2期まち・ひと・しごと創生総合戦略」案を作り、議会でも議論された。よくできた案で、教科書的なプランだ。目標数値もちゃんと入り、文言もしっかりしている。そのまま他市が使っても使えるような模範的な案だ。最大の課題は人口減少だと最初に訴えているのも納得できた。

従来のプランとの大きな違いはどこかなと見ていたら、藤井市長らしさが出ていたのが徳山大学公立化だった。また別冊で「人口ビジョン」も出されている。若者定住や、子育て支援など重要な課題はしっかり押さえている。しかし、女性の転出は他市に比べても相当多いとある。

全国で人口減少を何とか食い止めたり、むしろ増やしている市町村も数は少ないがある。出生率も全国ランキングで上位を獲得する市町村もある。それは何故か。市職員への暴言で一躍有名になった明石市の市長は、定住者も増やし、子どもも増やすなど精力的な人物だったようで、出直し選挙で圧勝した。

近畿のある市は、人口は増やし、定住希望者も多く、ボランティアの数が群を抜いて多い。市長は「自治体職員は地域のプロデューサーであれ」と市職員を積極的に地域活動に参加させ、地域のリーダー作りに熱心で、大きな成果を上げている。岡山県のある町は、若者定住が進み、出生率も全国でトップクラスだ。町営の勤労者住宅を増やしたが、若者夫婦が共稼ぎできるように、必ず車2台分の駐車場を完備、子育てしやすいように3DKの広いスペースを確保した。

いずれも手厚い子育て支援があるのは当然だ。各市町村でこの種の計画案は作られる。個性的なリーダーは、自分の色をどう出すかに腐心する。私が調べた範囲では、成果を少しでも上げているところのリーダーは総じて職員へ厳しい人物が多いようだ。職員に求めるものが明確だ。私の感覚だが、女性の流出が多い周南地区では、女性が活躍できる場面をどう増やせるかが鍵になるかも知れない。そして具体的なプランだ。

(中島 

団塊の世代よ!もう一肌脱ごう!

~戦後75年を生き抜いて~

私は団塊世代だ。団塊世代とは作家の堺屋太一がネーミングした造語だ。しっかり定着、昭和21・22年生まれから27・28年生まれの戦後のベビーブームで生まれた世代を指す。戦後まだ焼け跡が残る中、日本人はがむしゃらに復興に向けて働いていた。町中にはまだまだ戦争の傷跡が多く残っていた時代に団塊の世代は育った。

広島では多くの被爆者たちがバラック住宅で生活をしていた。窓ガラスは無く、張り合わせた板につっかい棒で窓ガラス代わりに風を取り込んでいた。街の歩道には白い衣服の傷痍軍人らしき人が足を無くし、腕が無い姿で物乞いをしていた。子どもたちの多くは貧しく、常に腹をすかしていた。

しかし、東京オリンピックが開催される頃、日本の復興は極めて成果著しく、そこここが活気あふれていた。戦争が無かったかのように、好景気に酔いしれた。団塊世代が社会人になるころは、まさに神武景気と言われる時代で、サラリーマンたちは、仕事ができるできないにかかわらず、毎年相当な額のベースアップがあり、生活も一気に贅沢になった。

確かに団塊世代は、経済が急成長する中、大量の労働力として日本を支えてきた。しかし一方で独創的でもなかったし、努力もさほどせずにご飯が食べれた。経営者として成功した人、政治家として活躍した人が、人数の割に圧倒的に少ないのが団塊世代だった。戦後75年、極めて平和な75年のほとんどで生きてきた団塊世代が、あと数年で全て後期高齢者の仲間入りをする。世代として何を残してきたのか、残念な思いも残る。

中学2年生の時、同級生が亡くなった。白血病だった。徳応寺での葬儀でお母さんが棺に抱きつき「ごめんなさい。私が殺してしまった」と号泣している姿を忘れられない。被爆二世と知ったのはそのあとのことだ。広島に行き、被爆二世たちと交流を持った。彼ら、彼女らは、就職もままならず、結婚も反対で諦めていた。戦後75年はあっという間だったが、戦争の傷跡は果たしてどこまで消え去ったのだろうか。

戦争の痕跡を生々しく記憶している最後の世代だ。もう一肌脱いで、戦争が起こらない、起こりにくい世の中にするにはどうしたらいいか、団塊の世代が最後の出番だ。


(中島 

お年寄りだけに自粛要請を

若者と分離しては?

「なんてことをしてくれたんだ!」―今年の山口県の流行語大賞になりそうだ。未熟で稚拙な若者の行動が大きな波紋を呼んだ。留置場の留置人まで感染させて、格好のワイドショーネタになった。その後も全国で感染者が急増、水曜日は1千人を超えた。終わりの見えないコロナとの闘いは、闘い方も変えて行きそうだ。

テレビの画面では、コメンテーターたちが暗そうに「どうなるんでしょうね」とコメントか何かわからないセリフを語るだけで、Go To キャンペーンにも賛成か、反対か、どうすべきかはっきり語るコメンテーターもいなくなった。経済か、感染防止かどっちも欲しい人間の欲が、結論を出せない状態になった。

若者はその辺はお見通しで、自分たちは感染しても無症状か、軽症だとしっかりわかっている。この辺の夜の街でも居酒屋から多くの若者の団体が出てきて、店の前で楽しく会話している。もちろんマスクをしているのは少数だ。

ブレーキとアクセルを同時に踏むのだと政府は言い放つ。一体、車だとどうなるのか。前に進むのか、停止するのか、車は壊れないのか。誰もその行く末がわからないまま、同時に踏んだ。結果はまだまだわからない。

要するに重症化率の高いお年寄りと、若者たちと分離することだ。お年寄りは最近病院にも行かなくなった。とにかく不特定の人たちとの接触を避けるようになった。若者が出入りするお店には行かない。だから日頃からお互い行動がわかっている者同士だけで楽しめばよい。老人だけの集いで感染者が出る確率は極めて低いはずだ。

少々の軽症感染は認めて、日本は若者たちの世界と、お年寄りの住む世界とを分けてしまえばいい。食べに行く店も、飲みに行く店もしっかり分離して、若者と同居しているお年寄りだけは定期的に検査をする。電車もお年寄りの専用車両を設ける。若者は多少気を使いながら経済活動も含め人生を楽しめばよい。どうせお年寄りの年金は若者が稼いだお金が頼りだ。少しの我慢ぐらいはお年寄りが背負わないと。

全国民に外出自粛を言うのはもう無理だ。半面、年金生活者、リタイアしたお年寄りだけに自粛を要請するのは可能だ。重篤化する感染者が減れば、医療の崩壊も防げる。こんな暴論を書く私もなかなかの年寄りで、現役だ。若者との接触も多い。感染する覚悟を決めなくては。

(中島 

消滅しそうな舞台芸術

~何とか演奏会をできないか~

「もう廃業するしかない」イベント関係業者のうめきは、声に抑揚さえ失った、棒読みのようなその台詞は重い。田舎でコツコツとイベントの裏方をこなし、舞台の袖で、出演者がどうしたら引き立つか、光のあて具合、音の響き方、田舎だからと妥協を一切せずに舞台を作り上げてきた。もう4カ月仕事がない。これから先秋まで1件も予定が入らない。

街のバーで開催されていたジャズなどのライブも皆無になった。全国のお店やライブハウスで活動している数えきれない数のアーティストたちも、出番が全くなくなった。彼、彼女らはいったいどうやって生きているのだろうか。ささやかな出演料で、全国のコアなフアン相手に楽しませてくれたアーティストたちはどうしているのだろうか。

ユーチューブで配信している人たちは、世界中で一体どれくらいいるのか。何千万人、いや何億人になるだろう。生の音楽を取り上げたコロナは、人々の生活にどんな影響を与えているのか想像できない。せめて、再開された学校で、密にならないようにしながら演奏会などを開けないものか。政府も文化的なものにもう少しお金を使えないものか。

観光業界も大切だ、飲食業界も大切だが、文化を守ることも同じように大切だ。先日、三味線メーカーが製造を止めると報道があった。ギターメーカーも遅かれ早かれ淘汰されるだろう。ささやかでも良い。せっかく宣言解除されたのだから、少しばかりの出演料を補助してでも生の音楽が楽しめることはできないか。

観客は多くは望めない。しかし、舞台を創るにはお金がかかる。いくばくか補助をして、せめて学生たちにでも良い音楽を提供できないか。美術館は再開した。今度は音楽だ。舞台アートの世界が壊滅的にならないうちに、地方でもできることはあるはずだ。音響も、照明も業者がいなくなると大変だ。知恵と工夫で乗りこえられる。


(中島 

どうする地域経済

~議会と行政がタッグを組め~

この稿を書いているとき、東京ではまたもや100人を超える感染者が連日発生している。全国でも収束に向かっているとは言えない現状だ。宣言解除後、巷には少しずつだが人の姿が見えてきた。車の数も急速に増え、移動を始めたなと感じた。しかし、多くの人の心の中は穏やかでない。大丈夫なのかと一抹の不安を抱えている。これで一挙に自粛モードになりそうだ。

周南地域での秋までの行事は殆どが中止になった。経済を回さないと、と一方では悲痛な叫び声も聞こえてくる。確かに、この状態があと数カ月続くと地方の、いや全国のサービス業は持ちこたえられなくなりそうだ。中心市街地の活性化など叫べば叫ぶほど言葉が空中遊歩する。夜の街に出かけるのは悪いことのように言われることにも慣れた。

そんな中、周南市は7月10日以降、5千人までの集まり、50%の収容率なら大丈夫と発表した。3密を避け、広域的な集まりでなければ良い、とのことだ。しかし、主催者の人たちは迷う。都会での感染者報道が相次ぐ中、開催を決断する勇気はなかなか持てない。「どこに相談すればよいのか?」一様に悩む。

ここは、どう言っても行政と議会の出番だろう。行政主催の行事の再開を決める、議会も全員でその協議に参加、全員一致で賛同して、なんとしてもイベントを開くことだ。議会もコロナ対策の特別委員会を作って、行政としっかり協議を重ねる場面を作るべきと書いたが、まったく反応しなかった。6月議会では、個々の議員が総じてコロナ関連質問をしている。今小さなことをいちいち聞いている場合ではない。どうしたら市民生活が元に戻れるか、行政と知恵を出し合い、プランを作り、実行に移すべき時だ。

今、人を集めるイベントは誰もしたくない。必ずクレームを言ってくる人間がいるからだ。「何故収束してないのに開くのか。責任とれるのか?」こんな言葉に耐えられる人はそんなにいない。ここは、行政と議会がタッグを組んで、みんなで渡れば怖くない!方式をとるしかない。年末まで続くと地域の店の多くは消滅しそうだ。

(中島 

タイムスリップした河井夫妻

~政治倫理を守れ~

金権選挙が公然とはびこっていたのは、かれこれ30年以上前か。保守系の国会議員の陣営は当たり前だったが、社会党も国会議員の秘書たちはお金の問題で頭を抱えていた。何しろ年頭の各労働組合の旗開きのセレモニーに呼ばれていたが、必ず金一封を持参しないと話をさせてもらえないと嘆いていた。一か所50万円が相場だった。

もちろん保守系はもっと露骨で、ある県議は前回より票を減らして悔やんでいた。話を聞くと「あの町長に渡すのを100万から50万へ半額にしたからのう」と、きっちり半分の票しか出なかったと言うのだ。思わず大笑いしたのを覚えている。国会議員や県議が工事や、公務員採用などで口を利くことは常態化していた時代だった。

田中角栄時代を頂点に、様々な疑獄事件が続出、世間は金権政治に厳しい目を浴びせるようになってきた。全国の地方議会が政治倫理条例を制定、徐々に厳しい世論が形成された。鹿野町議選の取材で鹿野町を回っていたころ、交番の前の家を1軒1軒お酒を配って回っているので、お巡りさんに注意したら、「あんなことで取り締まっていたら鹿野で交番勤務はできなくなる」と言われて、妙に納得したことが嘘のようだ。

それにしても、広島の河井克行、案里夫妻の愚行は一挙に30年以上前にタイムスリップしたようだった。官邸主導で進んだ選挙戦だったが、かけるお金も膨大なら、配った人数も想像を絶する。しかも安倍首相は河井克行衆院議員を法務大臣にまで任命した。第一次安倍内閣の時はあれほど身体検査をして大臣起用をと言われていたのに、同じ自民党の地元の地方議員から情報収集は一切しなかったんだろうか。お金をどう使ったか、想像力が働かなかったのだろう。

周南地域の地方政治家には今のところ表面上は目立った動きはない。しかし、噂話としては、ちらほらと入ってくる。県がらみで多いのは昔からだ。市議レベルでも、特定の業者との密接度を問題視する話も入ってくる。公共工事で言えば、建物的な話はあまりないが、上下水道や道路などのインフラ整備はこれから最も注目されるだろう。疑いをもたれることがないように、くれぐれも。

(中島