一言進言

これで良いのか優先順位?

~何よりワクチン確保を~

2021年度が始まる。新型コロナで明け、暮れた20年度だった。目に見えないウイルスにおびえ、恐怖した1年間だったが、収束は一向にまだ見えない。医療従事者へのワクチン接種が始まった。一般の人たちへの接種の見通しも立っていない。

高齢者から優先的に接種が始まる。周南市は大津島の島民が最初らしい。100歳以上の人も優先順位が高い。感染した場合の重症化や死亡する率が高いからだ。難しいテーマだ。誰から接種するかを決めるのは。一人親の人に聞くと、「私たちは感染するとたちまち子どもの食事も作ってやれなくなる。働かないとたちまち生活もできない」近くに子どもの世話ができる人がいないと、子どもはどうするのだろうか。

インフルエンザで死んでいく高齢者は減少していると聞く。命を守る順番はつけられない。子どもを飢えさせることを我慢して、高齢者を救うことを優先する。誰も文句を言えない。ある派遣社員は「私たちは感染すると同時に雇い止めになる。経済を動かす人が働けないとどうなるのか」と聞いてくる。

ある零細企業の経営者は言う「大企業は1人2人感染者が出ても大丈夫だが、うちんとこは感染者が出ると仕事すべてが止まって倒産じゃ」。悩みは尽きない。それでも重症化する確率が高い高齢者が先だ。インフルエンザで死ぬ確率より低くてもだ。先の一人親家庭が言う「お年寄りは出かけることも少ないのに。感染する率が高いのは圧倒的に若い人たちでしょ」。

ある医者が言う。「百歳以上の人を感染させるのは子どもからだ。風邪をひいても死ぬ確率高いから、接種でむやみに外に出さない方が良いかも」。なんとも百人百様思いがある。しかし、数が無尽蔵にあるワクチンではない。優先順位を付けざるをえない。高齢者から順番に、が無難なところだろう。しかし、たちまち子どもの世話をする人がいなくなる一人親家庭には、数があるなら並行して接種してあげて欲しいものだ。

と言う私は社内で接種優先順位1番だ。正直譲れるものなら子どもにでも譲りたい気持ちだ。私の周囲にも同じことを言うお年寄りは多い。いろいろな思いが交錯するワクチン接種だが、今でも予定が決まらない状況はどうなっているのか。ワクチン開発が進んでいない日本は情けない。優秀な研究者はどこに行った。国を守る基本を捨てて何にお金を使ってきたのか。次回はどんなウイルスが襲うのか。

(中島 

あれから10年!頑張れているか私たち

~日常で薄れる記憶~

「あーーっ」テレビ画面から流れる悲痛な叫び声と、妙にゆっくり感じる家や車が流されている映像は、未だに記憶が鮮明に残っている。あの日、珍しく周南市議会の記者席で、これまた初めての経験の百条委員会を傍聴していた。記者席がどよめき始め、東北で大変なことが起こっていると知った。あわてて車に戻り車中の小さなテレビを見た。どれくらい見ていたか記憶にないが、大変長く夢中で見ていた。

それから1カ月は毎朝、新聞をむさぼるように読み、夜はテレビの前から動けなかった。それはまだ記憶に強く残っていた17年前の阪神・淡路大震災の光景と比較する必要もないが、強烈さは異常としか言いようがなかった。震災から数日後たまたま徳山商工会議所で議員総会が開かれ、すぐに現地へ救援物資を届けようと決議された。当時の会頭は徳山海陸運送社長の藤井英雄さんだった。さっそくその徳山海陸の大きな倉庫を開放し、あっという間に倉庫いっぱいの救援物資が集まった。

救援物資を満載したトラックが出発したのが3月19日だった。被災から1週間余りで準備完了した。運転は現会頭の宮本治郎さんと現副会頭の原田康宏さんだった。現地ではガソリンもないだろうと山田石油の協力でタンクローリーも一緒だった。2人は一昼夜寝ずに運転を続け、寸断された道、がれきの山の中、翌日の夜に福島県の会津若松商工会議所にたどり着いた。もちろんタンクローリーの運転していた人も大変危険な思いをしていただろう。

戊辰戦争以来、宿敵と言われたこともあった長州から、いち早く救援物資が届けられて、会津の人たちは心から喜んでいたとの報告を聞いて、歴史を乗り越える多少の手助けができたのかと思ったことを思い出す。

あれから10年。日本中が悲しみに沈み、思いを寄せた東日本大震災だが、次々起こる各地での災害や、事件で日常の中から忘れないまでも、記憶の片隅になりかけている。災害も少ない、穏やかな瀬戸内の一角で生活している私たちは、もう少し踏ん張って良い地域にすることが、東北をはじめ災害をこうむった人たちへの応援歌になるのではないか。気持ちを新たにする3月だ。 

(中島 

県民と接触がない県庁マン

~戦前より怖い国家公務員?~

多くの国家公務員を志望する人たちは、青雲の志を持っていたに違いない。いつの間にかそのころの気持ちを忘れていくようになって、上司の顔色をうかがいながらの業務に追われるようになった。以前は国家公務員の不祥事は主に贈収賄がらみが多かった。最近はモリ・カケ問題始め、時の権力への忖度(そんたく)した結果の不祥事になっている。

昔、城山三郎作の「官僚たちの夏」という小説がよく読まれた。当時一人の男が夢を持ち、政財界の思惑や利害に左右されてはいけないと気概を持ち、次官まで昇っていく官僚の物語だ。映画にもなりヒットした。権力者のため人間一人が死んでもお構いなしに、公文書を改ざんした佐川宣寿元国税庁長官に是非この映画を見てもらいたかった。

もっとさかのぼれば、戦前はもっとひどかったと想像できる。軍部に逆らうことはご法度だったに違いない。日本人がこぞって戦争にまっしぐらに向かっていただけに、国家公務員の非力化はいかほどであったか。戦争が終わり、解放された公務員たちは大張り切りで仕事をしていたに違いない。しかし、ある意味、軍部への恐怖から服従した戦前よりも、今の自らの判断で権力者に忖度して、事実までをねじ曲げている公務員の方が怖い。

一方、地方公務員はどうだろうか。市役所の職員と、県庁の職員と違いが大きい。日ごろ県民と接触する機会がすこぶる少ない県庁マンたちは、実感として県民の存在を意識する度合いが少ない。知事を守るために県会議員にはやたら丁寧な対応をする。「先生」「先生」と持ち上げ、疑問を発する与党議員には即刻説明に伺う。決して議会で追及するような質問をしないように。新人県議の中には、何か錯覚して自分がえらく偉い人になった気になる議員も出る。

今回「県民不在!」と県の市民を全く無視した対応を取り上げた。徳山ポートビルの完成を、市民が見ることもないホームページに載せただけの処置に驚いたからだ。そこにはフェリーの乗客を一人でも増やし、経営を助けよう、観光客をもっと増やそうなどの発想はかけらもなかった。業者以外の県民と接する機会のない県庁マンたちの実態が如実に出た案件だった。

コロナで連日悪戦苦闘する保健所の職員を想うと、同じ公務員とは思えない県庁マンだが、すべての県庁マンではないことが救いだ。なぜ周南地区では期待の大きかった徳山ポートビルが、何の変哲もない物件になってしまったのか、周南市も含め、大いに反省すべきことは後日触れよう。やれやれと疲労感しか残らないポートビル騒動だった。

(中島 

オリンピック精神は日本では無理?

~自民党県議団で女性は1人だけ~

1998年、当時の二井関成知事は山口県初の女性副知事を迎えた。「現代好色5人女」と言う小説も書いた女性、大泉博子さん(71)だった。東大出身でユニセフや政府の役人を歴任してきたキャリア豊富なやり手だった。そのころ県庁にもしばしば出入りしていたので彼女と話す機会も何度かあった。初対面でいきなり「なぜ山口県はこんなに後れているの?」と聞かれた。専業主婦の割合がこんなに多い県はだめだ、と彼女は熱く語っていた。社会参加する女性の少なさに驚いていたのだ。

その後大泉さんは、山口県で2回国政選挙に出馬、落選した。驚いたのは、次に茨城県で見事当選を果たしたと知った時だ。しかし、その次は落選、今度はつくば市の市長選にチャレンジ、これも惨敗した。何ともバイタリティーあふれた女性だ。20年前、山口県のような完全な男社会の中では、彼女のような存在は受け入れてくれる余地はなかったろう。

森喜朗さんの発言で、今やマスコミは上や下への大騒動だ。「性差別」発言は、今は流行語だ。山口県の中年以上の男性のほとんどが驚いただろう。日頃自分たちが平気でしゃべっていた内容でこれほど世界中からもバッシングを受けるなんて。先日、食事をしていたら、隣の年配夫婦の会話が耳に入ってきた。「ねえ?なんで森さんの言うたことにあんなに騒ぐん?」「それいのう、わしもわからんにいや」。これが山口県の一般的な会話なんだろうか。

かつて、山口県は弘兼憲史の漫画「課長島耕作」を採用、株式会社山口県の代表取締役を島耕作とした。聞いたときは耳を疑ったが、県のえらいさん達は自慢げに発表の場に並んでいた。「課長島耕作」は数々の女性を踏み台にして出世した男性の漫画だ。案の定、観光客は一向に増えず、掛けた大金を数年後には水に流した。

今もそうだが、何十人もいる自民党県議の中で唯一ひとりだけの女性議員だった藤井律子周南市長は、「なんで女性の敵のような主人公を社長にするのか」と注文付けたが、男性県議たちは一応にニヤっとしただけで、とりあう県議も、役人も現れることはなかった。聞くと議事録からも削除されたという。

これが山口県の実体だ。未だに、数多い自民党県議団の中で女性議員は1人だけ。周南3市で保守系市議の中、女性議員は何人いるだろうか。森喜朗さんも世間から叱られて、「なんで?」と思ったに違いない。コミュニティー組織のトップ、安全協会や、体育協会、実に地域でも多くの団体、組織があるが女性のトップは何人いるだろうか。日本でオリンピック精神を広げるのは至難の業だ。

(中島 

議会制民主主義守れるか

~若者よ社会参加を~

40年前、こちらにUターンしたころは、国会議員と言えば地域の人たちにとっては別格の人で、地域の中では国会議員と親しくしているのが自慢の種だった。我が家の結婚式に出席してもらえれば鼻高々で、一族の誇りになる感覚がまだ残っていた。国会議員とのツーショット写真は家宝のような扱いだった。

県会議員も市会議員もみんなが「先生」と呼んでいた。地域の行事でもみんな上座に座り、「先生」に市民たちは頭を下げていた。それは選ばれた人の特権のようなありさまで、議員たちも泰然と座っていた。就職も仕事も「先生」のところに頼みに行く人が多かった。当たり前の風景だった。

いつのころからか議員と言う人たちから権威が薄れていった。並行して投票率は下がり続けた。地方議員に「先生」と呼ぶ人も少なくなった。地方も封権的な空気が薄れていった。一方で利己主義的な人が増え、地域の行事に対しても、常に批判的な人が登場してきた。朝のラジオ体操一つとっても騒音クレームで廃止せざるを得ない地区が続出した。

そんな中、若者たちの社会参加が急激に減少した。もちろん人数が減少したのが大きな要因だが、青年団など若者たちが学び活躍できる場所がなくなった。潜在的に若者はボランティア精神が高い。青年団には企業で働く若者、郵便局で働く若者など多様な職場の若者たちが集っていた。今は若者たちが集う場所が限定的になった。

社会と関わらない若者が増えるにつれ、投票率も急激に低下していった。ほとんどの地域で20代の若者の投票率は20%台ではないだろうか。健全な議会制民主主義を維持するには、これからは大変な時代を迎える。地方選挙で投票率が50%を切ってきたが、この調子だとあと10年後には40%を、20年後には30%を切るかも知れない。これで市民から選ばれた市長、議員と言えるのだろうか。民主主義の土台が崩れかかっている。

この1年間でも実に不細工で汚い生態を見せつける国会議員の多さに、若者たちが自分の1票が役立つなど思いもしないだろう。自民党の公認や推薦さえ受ければ当選するという今の政治家の生きざまに、若者たちが社会へ参加しようとは思いもしないだろう。地方でも1票ではなんら変わらないと思う若者が急増した。

震災などであれだけ多くの若者がボランティアに参加した。まだまだ捨てたもんじゃない。若者の社会参加を促すために何ができるか、大人たちは若者と真剣に向き合う時だ。地方選挙で40%を切ったら無効にするぐらいのことは考えなくては。

(中島

周南市内の中高生の部活しばらく休もう

~教育委員会として的確な判断を~

周南市を中心にコロナ禍の波は収まりそうにない。高校の剣道部でのクラスターはその中でも深刻だ。一生懸命練習に励んでいた高校生たちが感染した。彼ら彼女らに何の責任もない。かなりの防護策をしていた上での拡がりと聞いた。学生の親たちは総じて働き盛りの年代だ。職場など関連する場所が多い。

周南市は早速対策会議を開き、教育長は、部活は基本的に継続すべきと発表したが、判断を各校長に委ねた。市内中学校の校長会は全ての部活を一時中止すると判断した。県教委は、高校の部活はしっかり対策をして実施するとしている。同じ地域の中での取り組みがバラバラになった。何が問題かと言うと、知事や市長は教育の現場に物が言えないことになっていることだ。市の教育委員会は協議でもしたのだろうか。

感染者の多いところと、少ないところと県内でも地域差が激しい。この1カ月、周南市は他の地区に比べてかなりの数が出ている。今回でも20世帯以上に濃厚接触者が存在する可能性があった。一体最終的には何人の検査が必要になるのだろうか。不安の中、600人の検査を実施した。休校でもないのに、部活を一時休む決断を校長一人一人に委ねることは酷としか言いようがない。

県教委も地域によって判断を変える柔軟性がないと、このコロナ禍の中、適切な対応にはなるまい。まるで国と地方自治体の関係のようだ。そもそも全国一律の対応は適切ではなかった。関東地区だけでも早く隔離し、ロックダウン並みの対応していれば、かなりの拡散を防げたと思うが、間違いか。年明けになってようやく地域を限って宣言を出した。

先日、周南市の65歳以上の市民に2万円補助する制度を使ってPCR検査をした。総合スポーツセンターの駐車場に向かうと、広い駐車場にぽつりと検診車が止まっていて、私以外の車は1台もなかった。係員4、5人が手持ち無沙汰のように立っていた。早速問診票に記載、すぐに鼻に検査棒を突っ込まれ、あっという間に検査は終わった。その日検査に来たのは5人と言う。確かに検査を受けるのは恐怖心がある。

無心に竹刀を振って練習していた高校生たちの気持ちを想うと胸が痛くなる。なぜ自分が感染したのか?大切な家族への想いもつらかろう。「部活を継続するのが基本」だと教育長は語るが、せめて全体像が明らかになるまで市内の中高生の部活は休んでもよかったのではないか。ちなみに私の検査は陰性だった。

(中島 

伝え方はもっと工夫を

~心に響く表現を~

菅(すが)内閣の評判がガタ落ちしている。気のせいか菅首相の目がうつろになった感じがする。たまたま惨事の時の首相はある意味、気の毒だ。阪神淡路大震災は村山富市首相、東日本大震災は菅(かん)直人首相だった。村山首相は自衛隊への出動要請が遅すぎたと随分責められた。菅(かん)首相は原発事故対策など自民党からこっぴどく攻撃され、しばらくして政権を明け渡した。その時その時の政権は必死で対応していただろうが、国民の目からは不十分だと感じることは必至だ。

直接聞いたわけではないが、ドイツのメルケル首相の演説はやたら人気がいい。人々の心を打つ演説で、あれだけ感染が広がっても、批判はメルケル首相に向いてこない。ニュースでその場面を見たが、誰かさんのように台上の原稿を読み上げている姿と大違いだ。映画のワンシーンを見ているようだ。

菅首相は、給付金であれだけ世間を騒がすほど多額の税金を使った電通がお友達だ。なぜ電通に頼まないのか。ショービジネスを知り尽くした電通なら、首相の話し方、目のやり場、顔の表情、いくらでも指南してくれるだろうに。内閣府のまわりにプロデューサーはいないのか。政治家は発する言葉も大きな武器だ。国民の痛みを共有している言葉、態度が今こそ大切なことはない。

私はこの地方選挙でもボイストレーニングに励んでいた立候補者を何人か知っている。安倍前首相は当初「アベノミクスで国の経済を再生させる!」と台本なしで熱く語っていた。国民の心を引き付ける力があった。高い支持率は政策の中身より、語り掛け方だったような気がする。大平正芳首相の時代は新聞全盛の時代だ。「アーウー」と何を言っているかわからず、ぼそぼそと語っていたが、信頼は強かった。活字では話し方は伝わらなかった。

もちろん、語り方より政策の中身が一番大事なのは当然だ。しかし、政策の中身を詳しく知る有権者は少ない。新聞を読む人が激減して、わずか100文字程度の情報で判断する。誠に残念な状況だ。批判する側はよりそのあたりを研究すべきだろう。れいわ新選組が注目されたのは、代表の山本太郎氏の表現力によるところも大きい。だから街頭演説中心で全国を回る。政策だけで国民を説得する時代は終わりかけている。伝え方を工夫する時代だ。地方もそうだ。

(中島 

再開発組合の皆さんにお願い

~周南市民一人1万円以上の負担を思い出して!~

周南3市でもコロナの猛威は止まらない。感染拡大を肌で感じる毎日になった。一年も続くと生活様式も大きく変わった。出入りの宅配業者に聞くと通販系の荷物が大幅に増えたと言っていた。紙面でも紹介したが、周南市民の買い物動向は、ゆめタウンなどの大型商業施設か、広島への買い物が20%を超え、6割以上が広島資本に流れている。市内の専門店での買い物はわずか7%だ。

そんな中での徳山駅東側の再開発は、ほとんどの店舗が移転して、夜は歩くのが怖いほどの景色になった。昨年末、地域の専門家たちが集まり、再開発の問題点などを話し合い、多くの提案をした。コロナ後も見据え、地方の街のこれからを考えた提案だった。地に足の付いた再開発を願うものだった。

地権者の人たちだけで作った再開発組合にお願いがある。昨年来、その中身が明らかになるにつけ、この事業の困難さを感じるようになった。一番は売却する土地の値段設定だ。1坪約100万円と言う。正直地元で店舗を持とうとする若者には、坪100万円の土地代の上では困難だ。若者の起業を促す施設にはならない。

どうか再開発組合の皆さん、何とか土地の売却単価をもう少し低く抑えてもらえないだろうか。今回の計画は地権者だけの組合で作られたものだ。そこに地元の声は入り込む余地はなかった。土地を買い取る会社に、山口銀行が早々と30億円の融資を決めたことで、計画は前に進むことになった。この地域の中では破格の高値の土地代になった。山口銀行はこの価格で勝算があると踏んでのことだろうが、同行の山口経済研究所の買い物動向などのリポートからは悲観的にならざるを得ない。

再開発組合の収支計画書は知る由もない。しかし、この再開発にはすべての周南市民のお金が一人当たり1万円以上差し出すことになっている。国税の15億円も加えると2万円以上のお金を提供することになっていることを、どうか理解して欲しいものだ。鹿野や熊毛に住んでいる人々も等しく多額のお金を費やす計画だ。

民間事業だからと口を挟む余地がないまま決められた事業だが、市民の血税を直接的には赤ちゃんも高齢者も等しく1万円以上差し上げる事業だと、今一度認識してもらえないだろうか。再考の余地は無いと言われるが、そこを何とかならないものか。本当に市民の利益につながるものか、主導した清水芳将周南市議は市民の負託に充分応えられる事業と説明できるのだろうか。地権者の皆さん、再開発組合の皆さん、心底お願いいたします。

(中島 

明けましておめでとうございます

~まずは徳山大学公立化を~

読者、スポンサーの皆様、明けましておめでとうございます。昨年末以来、周南地区でもコロナ感染者が急増、重苦しい年末、年始を経験した。初詣でも例年とは比べようのない有様で、特別な感覚のお正月となった。成人式もすべて延期になった。

そんな中、各行政も公務始め式が中止になり、各市長の意気込みを直接聞く機会もなくなった。ないない尽くしで縮こまった今年の船出にどんな対処方法があるのだろうか。2月末からワクチン接種も始まるという。今は自粛で仕方がないが、夢を語ることはできる。

周南市だけでなく、周南地区全体では徳山大学の公立化がある。地元からの入学生が極端に少なかった徳山大学に、新学部増設や、学費の大幅値下げなどによって多くの地域の高校生が入学することに期待が膨らんでいる。流れ的には地元で就職する学生が増えることも期待できる。

今多くの周南地区の企業は人手不足で悩んでいる。中堅、幹部候補の若者も圧倒的に足りていない。新商品を作り出すにもそれなりの人材が必要だ。マーケティングや多少のIT関係が理解できるような人材も必要だ。企画力も必要だ。

高齢化に突き進んでいる光市や周南市では、介護、看護の分野での人材は、限りなく足りていない。看護学科の新設は、渇望している高齢者施設、医療関係者にとっては何よりの朗報だ。働く場所は限りなくある、これから高齢者はもっと増えてくる。

具体的な若者定住策となり得る徳山大学公立化だが、中には公立化でまた多くの税金が必要になるのでは?との声もよく聞く。大丈夫だ。奨学金の対象となっているスポーツ入学生や、外国人留学生の1割ていどが一般入試に代わるだけで、健全経営は可能だ。5、6年前から大学改革を提言してきた私たちには大学の中もよくわかっている。

親の近くで生活することが、どれだけ精神的にも、生活面的にも豊かに暮らせるか、高校教育の現場でもっと教えていくことも必要だ。山口県の高校教育は今まで、上へ上へと関東に行くことを進めていた。明治維新の名残のようだ。最近になってようやく山口県も変わってきた。近くに家族が住んでいる幸せ感は、震災やコロナでさらに理解できるようになった。間違いない。

(中島 進

来年は希望を持てる年に

~コロナで始まりコロナで終わった1年~

コロナで始まり、コロナで終わる1年になりそうだ。年末でお店を閉めると言う声も漏れ聞こえる師走になった。終わりが見えないコロナとの闘いは、年配の経営者にはきつく、耐えがたいだろう。すでに閉店した店舗も何店かある。

東北の大震災も目を覆う光景を目のあたりにして呆然とした。「想定外」が流行語のように使われた。コロナ禍もまさに想定外だった。世界中がこの想定外の危機に直面して、実に多くの命を失った。また多くの人が職を失った。

国も地方自治体も懸命で救済策を練り出してきたが、この長丁場で息切れする人たちも続出した。周南3市でもそれぞれが救済策を打ち出した。中には「周南市はいいね」とうらやむ声が下松市や光市から聞こえた。周南市は第5弾まで救済策を打ち出したが、市の財政規模の違いは致し方なかった。

しかし、少々の救援策で満足に補えるわけもなく、不満はあちこちから沸き起こっている。ただ、そんな中、人気店は工夫もし、客足もコロナ禍前の手前まで戻っている。そうした店ではテイクアウトでも工夫をし、来店客へのサービスも今まで以上に気を使っている。

一体いつまで続くのかわからないが、たぶん来年夏ごろにはかなり落ち着くだろう。そろそろコロナ後を語る準備も始めるべきかも知れない。しかしそっくり元通りになるとも思えない。家族のきずなが深まった人もいるだろう。人とのつながり方が変わった人もいるだろう。人それぞれだが、生活様式の多少の変化はあっただろう。

来年はできれば3市が連携した、若者定住、少子化対策に取り組むスタートを切ってはくれまいか。帰省できなかった家族の関係、友人たちとの交流、これからの時代にはどれだけ大切かコロナ禍で教わった。周南3市の共同で、地元企業の就職ガイドブック作成や、空き家対策の推進など取り組むべき課題は明確だ。徳山大学の公立化による若者定住の流れも大きな力になるだろう。

子どもの医療費も3市が同じ基準で均一化を図ることも大切だ。将来を担う若者が定住することで、夢は大きく膨らむ。新しい年を迎えて希望を見出すことに集中することだ。コロナで鬱積(うっせき)した感覚を解き放す施策を模索しよう。我が社も新しい年に向けて、着々と準備を進めている。

今年一年、読者、スポンサーの皆様には、随分助けられた。来年の紙面で恩返しをしたい。ありがとうございました。

(中島