一言進言

総裁選はコップの中の嵐

~ 一億総保守化の日本人 ~

山口県が保守王国であることは自他ともに認めるところだ。数多くの総理大臣はじめ、大臣も数えきれないくらい輩出した。安倍首相が辞任を表明したが、保守の地盤は揺るぐことは決してない。辞任にあたり様々な論評が新聞各紙に展開されているが、基本的な国の在り方は何も変わってこなかった。

衆院の中選挙区時代は、社会党や民社党の国会議員も登場したが、ここ最近は県内では国会議員全員が与党の状態が続き、保守の岩盤を崩せる気配も極めて薄くなった。山口県だけを見ると政権交代など夢のまた夢の感が強い。だからかどうか、投票率も激減し、2人に1人しか投票しなくなった。

山口県だけの問題ではない。日本中が国政に鈍感になってきた。モリ・カケ問題での公文書改ざん、桜を見る会のずさんさ、検察トップ人事の不祥事、広島の河井夫妻の多額の選挙買収問題など、ここ2年の国政の不祥事は目を覆わんばかりだが国民は怒らない。国会議員自体が論議することを避け、国政を語らない有様にマヒしてしまった。

みんな安倍首相におんぶにだっこで、ひたすら恩恵をこうむろうと言わんばかりの言動は不思議でならない。アベノミクスに感動して我を忘れたかのようだ。「地方創生」「一億総活躍」など次々とスローガンを掲げ、経団連に賃金を上げるよう要請するなど野党の付け入るスキのないスローガンで権力を盤石なものした。不祥事に内部から批判する議員はごく少数だった。

考えてみれば政権を取った民主党も、主なメンバーは元自民党が多かった。急進的な政治家は早い段階で民主党を去った。自民党の支持率は未だに40%を超えている。野党は散々だ。日本人は基本的に村社会で成り立っている。革新的な変化を求める民族ではないかもしれない。島国らしく安定した社会が何より大事だと思っている。

思い返せば、日米安保に反対する声は70年代で消滅してしまった。以降は経済大国の掛け声に押され、国民の大半が日常の生活に埋没した。格差が広がろうが、理不尽な政治家が多少現れようが、政権を変えるような選択肢はなくなった。かくして総裁選はコップの中の嵐とでも言おうか。大騒ぎするほどでもない。できればもう少し人口を増やすこと、少子化を防ぐことに熱心になればいい。地方で望むことはそれだけだ。

(中島 

女性の活躍増やす計画を

~総合戦略見て~

地方創生の単語をめっきり聞かなくなった。地方が元気がなくなると日本も元気がなくなると、大層な取り組みをするかと思っていたが、ちょこまかとお金を配り、大して地方は変わることはできなかった。相変わらず少子化の波は止まることを知らず、東京一極集中は止まる気配もない。

この度、周南市では「第2期まち・ひと・しごと創生総合戦略」案を作り、議会でも議論された。よくできた案で、教科書的なプランだ。目標数値もちゃんと入り、文言もしっかりしている。そのまま他市が使っても使えるような模範的な案だ。最大の課題は人口減少だと最初に訴えているのも納得できた。

従来のプランとの大きな違いはどこかなと見ていたら、藤井市長らしさが出ていたのが徳山大学公立化だった。また別冊で「人口ビジョン」も出されている。若者定住や、子育て支援など重要な課題はしっかり押さえている。しかし、女性の転出は他市に比べても相当多いとある。

全国で人口減少を何とか食い止めたり、むしろ増やしている市町村も数は少ないがある。出生率も全国ランキングで上位を獲得する市町村もある。それは何故か。市職員への暴言で一躍有名になった明石市の市長は、定住者も増やし、子どもも増やすなど精力的な人物だったようで、出直し選挙で圧勝した。

近畿のある市は、人口は増やし、定住希望者も多く、ボランティアの数が群を抜いて多い。市長は「自治体職員は地域のプロデューサーであれ」と市職員を積極的に地域活動に参加させ、地域のリーダー作りに熱心で、大きな成果を上げている。岡山県のある町は、若者定住が進み、出生率も全国でトップクラスだ。町営の勤労者住宅を増やしたが、若者夫婦が共稼ぎできるように、必ず車2台分の駐車場を完備、子育てしやすいように3DKの広いスペースを確保した。

いずれも手厚い子育て支援があるのは当然だ。各市町村でこの種の計画案は作られる。個性的なリーダーは、自分の色をどう出すかに腐心する。私が調べた範囲では、成果を少しでも上げているところのリーダーは総じて職員へ厳しい人物が多いようだ。職員に求めるものが明確だ。私の感覚だが、女性の流出が多い周南地区では、女性が活躍できる場面をどう増やせるかが鍵になるかも知れない。そして具体的なプランだ。

(中島 

団塊の世代よ!もう一肌脱ごう!

~戦後75年を生き抜いて~

私は団塊世代だ。団塊世代とは作家の堺屋太一がネーミングした造語だ。しっかり定着、昭和21・22年生まれから27・28年生まれの戦後のベビーブームで生まれた世代を指す。戦後まだ焼け跡が残る中、日本人はがむしゃらに復興に向けて働いていた。町中にはまだまだ戦争の傷跡が多く残っていた時代に団塊の世代は育った。

広島では多くの被爆者たちがバラック住宅で生活をしていた。窓ガラスは無く、張り合わせた板につっかい棒で窓ガラス代わりに風を取り込んでいた。街の歩道には白い衣服の傷痍軍人らしき人が足を無くし、腕が無い姿で物乞いをしていた。子どもたちの多くは貧しく、常に腹をすかしていた。

しかし、東京オリンピックが開催される頃、日本の復興は極めて成果著しく、そこここが活気あふれていた。戦争が無かったかのように、好景気に酔いしれた。団塊世代が社会人になるころは、まさに神武景気と言われる時代で、サラリーマンたちは、仕事ができるできないにかかわらず、毎年相当な額のベースアップがあり、生活も一気に贅沢になった。

確かに団塊世代は、経済が急成長する中、大量の労働力として日本を支えてきた。しかし一方で独創的でもなかったし、努力もさほどせずにご飯が食べれた。経営者として成功した人、政治家として活躍した人が、人数の割に圧倒的に少ないのが団塊世代だった。戦後75年、極めて平和な75年のほとんどで生きてきた団塊世代が、あと数年で全て後期高齢者の仲間入りをする。世代として何を残してきたのか、残念な思いも残る。

中学2年生の時、同級生が亡くなった。白血病だった。徳応寺での葬儀でお母さんが棺に抱きつき「ごめんなさい。私が殺してしまった」と号泣している姿を忘れられない。被爆二世と知ったのはそのあとのことだ。広島に行き、被爆二世たちと交流を持った。彼ら、彼女らは、就職もままならず、結婚も反対で諦めていた。戦後75年はあっという間だったが、戦争の傷跡は果たしてどこまで消え去ったのだろうか。

戦争の痕跡を生々しく記憶している最後の世代だ。もう一肌脱いで、戦争が起こらない、起こりにくい世の中にするにはどうしたらいいか、団塊の世代が最後の出番だ。


(中島 

お年寄りだけに自粛要請を

若者と分離しては?

「なんてことをしてくれたんだ!」―今年の山口県の流行語大賞になりそうだ。未熟で稚拙な若者の行動が大きな波紋を呼んだ。留置場の留置人まで感染させて、格好のワイドショーネタになった。その後も全国で感染者が急増、水曜日は1千人を超えた。終わりの見えないコロナとの闘いは、闘い方も変えて行きそうだ。

テレビの画面では、コメンテーターたちが暗そうに「どうなるんでしょうね」とコメントか何かわからないセリフを語るだけで、Go To キャンペーンにも賛成か、反対か、どうすべきかはっきり語るコメンテーターもいなくなった。経済か、感染防止かどっちも欲しい人間の欲が、結論を出せない状態になった。

若者はその辺はお見通しで、自分たちは感染しても無症状か、軽症だとしっかりわかっている。この辺の夜の街でも居酒屋から多くの若者の団体が出てきて、店の前で楽しく会話している。もちろんマスクをしているのは少数だ。

ブレーキとアクセルを同時に踏むのだと政府は言い放つ。一体、車だとどうなるのか。前に進むのか、停止するのか、車は壊れないのか。誰もその行く末がわからないまま、同時に踏んだ。結果はまだまだわからない。

要するに重症化率の高いお年寄りと、若者たちと分離することだ。お年寄りは最近病院にも行かなくなった。とにかく不特定の人たちとの接触を避けるようになった。若者が出入りするお店には行かない。だから日頃からお互い行動がわかっている者同士だけで楽しめばよい。老人だけの集いで感染者が出る確率は極めて低いはずだ。

少々の軽症感染は認めて、日本は若者たちの世界と、お年寄りの住む世界とを分けてしまえばいい。食べに行く店も、飲みに行く店もしっかり分離して、若者と同居しているお年寄りだけは定期的に検査をする。電車もお年寄りの専用車両を設ける。若者は多少気を使いながら経済活動も含め人生を楽しめばよい。どうせお年寄りの年金は若者が稼いだお金が頼りだ。少しの我慢ぐらいはお年寄りが背負わないと。

全国民に外出自粛を言うのはもう無理だ。半面、年金生活者、リタイアしたお年寄りだけに自粛を要請するのは可能だ。重篤化する感染者が減れば、医療の崩壊も防げる。こんな暴論を書く私もなかなかの年寄りで、現役だ。若者との接触も多い。感染する覚悟を決めなくては。

(中島 

消滅しそうな舞台芸術

~何とか演奏会をできないか~

「もう廃業するしかない」イベント関係業者のうめきは、声に抑揚さえ失った、棒読みのようなその台詞は重い。田舎でコツコツとイベントの裏方をこなし、舞台の袖で、出演者がどうしたら引き立つか、光のあて具合、音の響き方、田舎だからと妥協を一切せずに舞台を作り上げてきた。もう4カ月仕事がない。これから先秋まで1件も予定が入らない。

街のバーで開催されていたジャズなどのライブも皆無になった。全国のお店やライブハウスで活動している数えきれない数のアーティストたちも、出番が全くなくなった。彼、彼女らはいったいどうやって生きているのだろうか。ささやかな出演料で、全国のコアなフアン相手に楽しませてくれたアーティストたちはどうしているのだろうか。

ユーチューブで配信している人たちは、世界中で一体どれくらいいるのか。何千万人、いや何億人になるだろう。生の音楽を取り上げたコロナは、人々の生活にどんな影響を与えているのか想像できない。せめて、再開された学校で、密にならないようにしながら演奏会などを開けないものか。政府も文化的なものにもう少しお金を使えないものか。

観光業界も大切だ、飲食業界も大切だが、文化を守ることも同じように大切だ。先日、三味線メーカーが製造を止めると報道があった。ギターメーカーも遅かれ早かれ淘汰されるだろう。ささやかでも良い。せっかく宣言解除されたのだから、少しばかりの出演料を補助してでも生の音楽が楽しめることはできないか。

観客は多くは望めない。しかし、舞台を創るにはお金がかかる。いくばくか補助をして、せめて学生たちにでも良い音楽を提供できないか。美術館は再開した。今度は音楽だ。舞台アートの世界が壊滅的にならないうちに、地方でもできることはあるはずだ。音響も、照明も業者がいなくなると大変だ。知恵と工夫で乗りこえられる。


(中島 

どうする地域経済

~議会と行政がタッグを組め~

この稿を書いているとき、東京ではまたもや100人を超える感染者が連日発生している。全国でも収束に向かっているとは言えない現状だ。宣言解除後、巷には少しずつだが人の姿が見えてきた。車の数も急速に増え、移動を始めたなと感じた。しかし、多くの人の心の中は穏やかでない。大丈夫なのかと一抹の不安を抱えている。これで一挙に自粛モードになりそうだ。

周南地域での秋までの行事は殆どが中止になった。経済を回さないと、と一方では悲痛な叫び声も聞こえてくる。確かに、この状態があと数カ月続くと地方の、いや全国のサービス業は持ちこたえられなくなりそうだ。中心市街地の活性化など叫べば叫ぶほど言葉が空中遊歩する。夜の街に出かけるのは悪いことのように言われることにも慣れた。

そんな中、周南市は7月10日以降、5千人までの集まり、50%の収容率なら大丈夫と発表した。3密を避け、広域的な集まりでなければ良い、とのことだ。しかし、主催者の人たちは迷う。都会での感染者報道が相次ぐ中、開催を決断する勇気はなかなか持てない。「どこに相談すればよいのか?」一様に悩む。

ここは、どう言っても行政と議会の出番だろう。行政主催の行事の再開を決める、議会も全員でその協議に参加、全員一致で賛同して、なんとしてもイベントを開くことだ。議会もコロナ対策の特別委員会を作って、行政としっかり協議を重ねる場面を作るべきと書いたが、まったく反応しなかった。6月議会では、個々の議員が総じてコロナ関連質問をしている。今小さなことをいちいち聞いている場合ではない。どうしたら市民生活が元に戻れるか、行政と知恵を出し合い、プランを作り、実行に移すべき時だ。

今、人を集めるイベントは誰もしたくない。必ずクレームを言ってくる人間がいるからだ。「何故収束してないのに開くのか。責任とれるのか?」こんな言葉に耐えられる人はそんなにいない。ここは、行政と議会がタッグを組んで、みんなで渡れば怖くない!方式をとるしかない。年末まで続くと地域の店の多くは消滅しそうだ。

(中島 

タイムスリップした河井夫妻

~政治倫理を守れ~

金権選挙が公然とはびこっていたのは、かれこれ30年以上前か。保守系の国会議員の陣営は当たり前だったが、社会党も国会議員の秘書たちはお金の問題で頭を抱えていた。何しろ年頭の各労働組合の旗開きのセレモニーに呼ばれていたが、必ず金一封を持参しないと話をさせてもらえないと嘆いていた。一か所50万円が相場だった。

もちろん保守系はもっと露骨で、ある県議は前回より票を減らして悔やんでいた。話を聞くと「あの町長に渡すのを100万から50万へ半額にしたからのう」と、きっちり半分の票しか出なかったと言うのだ。思わず大笑いしたのを覚えている。国会議員や県議が工事や、公務員採用などで口を利くことは常態化していた時代だった。

田中角栄時代を頂点に、様々な疑獄事件が続出、世間は金権政治に厳しい目を浴びせるようになってきた。全国の地方議会が政治倫理条例を制定、徐々に厳しい世論が形成された。鹿野町議選の取材で鹿野町を回っていたころ、交番の前の家を1軒1軒お酒を配って回っているので、お巡りさんに注意したら、「あんなことで取り締まっていたら鹿野で交番勤務はできなくなる」と言われて、妙に納得したことが嘘のようだ。

それにしても、広島の河井克行、案里夫妻の愚行は一挙に30年以上前にタイムスリップしたようだった。官邸主導で進んだ選挙戦だったが、かけるお金も膨大なら、配った人数も想像を絶する。しかも安倍首相は河井克行衆院議員を法務大臣にまで任命した。第一次安倍内閣の時はあれほど身体検査をして大臣起用をと言われていたのに、同じ自民党の地元の地方議員から情報収集は一切しなかったんだろうか。お金をどう使ったか、想像力が働かなかったのだろう。

周南地域の地方政治家には今のところ表面上は目立った動きはない。しかし、噂話としては、ちらほらと入ってくる。県がらみで多いのは昔からだ。市議レベルでも、特定の業者との密接度を問題視する話も入ってくる。公共工事で言えば、建物的な話はあまりないが、上下水道や道路などのインフラ整備はこれから最も注目されるだろう。疑いをもたれることがないように、くれぐれも。

(中島 

来年には14万人を切る!

~新市議会議員たちに期待する!~

ずいぶん長くこの仕事に就いていると、今まで数えきれない政治家、特に市議会議員を見てきた。記憶に残るのはそんなにいないが、未だに覚えている人は何人もいる。多くが鬼籍に入っていて、いまだに付き合いがある人は殆どいなくなった。

農村地区から出ていた旧徳山市議のK市議もその一人。本紙から「4年間無言の市議」と揶揄されたが、顔を合わせても平気の平左で、我関せずの風だった。一般質問も4年間一度もないし、委員会での発言は「おい、もうそろそろ飯にしよういや」が定番だった。夏になると軽トラックいっぱいにスイカを積んできて、市役所でも会う人会う人みんなに配っていた。しかし、地元では絶対的な人気を誇っていた。農村が抱える問題を議場外で解決して回っていた。

出光出身のK市議は、こよなく多くの市議に好まれていた。言葉を荒げた場面は一度も見たことがなかった。何期も市議をしたが、最後の最後に総務委員会で委員長をした。企業出身の市議が役職に就くべきではないとかたくなに拒否し続け、市議最後に受けた。国からの表彰を受け祝賀会が開かれたが、共産党の市議までがお祝いに駆け付けた。

言い合いもよくしたが、よく一緒に飲みもした。仲がいいのか悪いのかわけがわからなかった。派閥争いも激しかったが、埋め立て問題など、一度議決されると、反対していた議員であっても懸命に地元の説得にあたっていた。市全体の一体感は確かにあった。さて新議員が誕生した。30人の市議たちはどんな活躍を見せてくれるだろうか?。

願わくばもっと研鑽を積み、多くの知識を身に着けて欲しい。引き出しが多いほど、有効なアイデアは生まれやすい。このままでは周南市は、あっという間に14万人を切る。来年にはそうなる。旧徳山市ほどの人口にすぐなる。旧新南陽、鹿野、熊毛がそっくりなくなるほどの人口減少だ。

議会も、行政も危機感を共有すべきだ。これから何をなすべきか?言い合って、仲良く。

(中島 

「何か困ったことは無いですか?」

~市議選への投票を!~

選挙があることさえ知らない人がいた。コンビニの入り口で若者たち3人の会話。「なんか車が走りよるが、あれはなんかいの」「選挙じゃあないんか」「ほんとか?誰が出とるか知らんし」「くじで決めたらええんじゃろう」「金かからんしの」特別変わった若者3人ではない。

以前、新人の市議が訪ねてきた。「どんな活動をしたらいいですかね?」と。「とにかく、会う人に必ず何か困ったことないですかと聞きなさい」とアドバイスした。市民の悩みや、課題を知ることが市議の活動の第一歩ではないかと話した。解決するために役所に出向き、どこに聞けばよいのか、どんな法律があるのか、どんな矛盾が起こっているのか、勉強することが入り口だ。

行政は申告、申請制度で成り立っている。ほとんどが市のホームページを見て下さいだ。課題が生じたとき、自ら解決策を見つけ処理できる人がどれだけいるだろうか。市議の果たすべき役割も多い。老人福祉から若者定住、子育ての問題など、市政の取り組むべき課題は膨大だ。

市議の役割は何か。行政官と最も違うのは選挙で選ばれた公人であることだ。市民から負託を受けた「公選公務員」だ。市政調査権もある。だから、年間700万円前後の税金が費やされる。単なる就職活動とはわけが違う。市政のプロとして問題解決にあたることができる人材と思って投票するのだ。選挙公報や「日刊新周南」の候補者アンケートなどでしか候補者の人物が見えない。今回は判断材料が乏しい。

いびつな選挙戦しかできない市議選になったが、候補者の選別は誠に難しい。地縁、血縁が多い候補ほど優位な選挙になった。新人候補者には苦しい戦いだ。ポスター掲示板の前で、じっとたたずんで丁寧にポスターを見ている年配の女性の姿が目に焼き付く。

今回は各候補者が街宣車から降りて、どんな周南市を思い描いているか、何を市議としてやりたいのか、熱い心情を語って欲しいものだ。材料が足りないかもしれないが、市民一人一人の投票で向こう4年間の議会の有様が決まっていく。何としても投票に行って欲しい。切実な願いだ。


(中島 

どこで市役所は汗をかくのか?

~市民に寄り添う行政を求める~

宣言解除直後、街の居酒屋の前に10数人の若者が集っていた。もう本格的に外出をしているのかと思ったが、まだまだ一部の居酒屋だけで、ほとんどのお店には客の姿はまれだ。街に出ない習慣は定着しているようでもある。テイクアウトを始めた店は周南市だけで200店近いというから、生き残りをかけて懸命なのがわかる。

理美容はもちろん、自動車、印刷、石油、あらゆるところにコロナ禍は襲っている。そんな中、特別定額給付金の本紙の記事は、大きな波紋を投げかけた。「周南市は県外業者に丸投げ」と報じた。何人もの読者から本紙にも驚きの声が届いた。開封作業から、市民からの問い合わせも業者がすべて応じる内容だった。「こんなにみんなが困窮しているのに、どこで市役所は汗をかくのか」と辛辣な反応が圧倒的だった。

下松市や光市は多くの職員が懸命に申請書郵送の袋詰めをして、一日でも早く市民に届けたいと頑張っているとの記事があっただけに、周南市の対応は奇異に感じる人が多かった。特に、書類に不備があれば、委託を受けた印刷業者が直接市民に連絡するとあった。これはまずいと思った。印刷、発送を一括して業者に託す自治体は全国でも多少はある。市民は今回の業務の煩雑さや、難解さはわからない。せめて市民への窓口は行政スタッフが担うべきだ。

光市や下松市ができるのに、職員の数もはるかに多い周南市がなぜできない、と市民は単純に思う。いかに早くできるかを考えて発注したのだろうが、そこに市民の感情を想う想像力が欠如していた。説明も市民感情を害するだけになっていた。今回の件で、あの大きな災害になった時の、災害対策本部を立ち上げなかった周南市の体質を思い出した。対策本部があっても災害は防げなかったかもしれないが、市民の感情を感じ取る感性がなかった。

市長の発案ではなかったと議会でわかったが、行政マンたちと市長の思いが一致する難しさも感じた。サービス業などにせっかく他市より数段と手厚い給付をいち早く進めてきた周南市だけに残念だったが、何とか修正して、3市ともに給付のめどがつきそうだ。

何もかも初めての体験で、事務方の苦労も大変だが、市民にとって頼れるのは行政だけだ。そのために市役所がある。火災の時に消防署だけが頼りなのと一緒だ。市民に寄り添うということは、今回のような事案の時にくっきり現れる。保健所の職員の残業が総じて100時間を超えて、中には200時間を超える人もいた。よくないことだが、戦争時と言われるほどの事態だ。市役所挙げて取り組む姿勢に、市民は全幅の信頼を置く。

(中島