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おくやみ : 光市のニュース
【光】松岡満寿男さん逝く 89歳・市長や衆参両院議員を歴任 市政と国政に大きな足跡
おくやみ光市山口県の光市長3期や衆院議員1期、参院議員2期を務めた松岡満寿男(まつおか・ますお)さんが9日、死去した。89歳。葬儀は身内で営み、後日「お別れの会」を開く。喪主は弟の元中国工業社長の晋亮(しんすけ)さん。
松岡さんは1934年10月4日、旧満州で生まれた。満寿男という名前は大叔父でのちに外相となる松岡洋右氏が「満州の満、ジュネーブ(寿府)の寿で“満寿男”と名付けよ」と命じたものという。日本は前年、ジュネーブに本部がある国際連盟を脱退しているが、そこで日本の主張を演説したのが日本全権委員の洋右氏だった。
松岡さんは戦後、家族とともに光市に引き揚げ、光高、早稲田大政経学部を卒業して八幡製鉄(現日本製鉄)に入社。父の三雄氏は、戦前は満洲国政府の官僚だったが、引き揚げ後は光市長を務めた。しかし1971年に任期半ばで死去したため、満寿男さんが同社を退職して市長選に出馬、当選した。
市長在職中は市民ホールの建設など多くの功績を残した。83年には参院議員に転身して労働政務次官を歴任。92年の知事選に出馬したが、現職の平井龍氏に僅差で敗れた。93年に衆院議員に当選すると日本新党の代表幹事を務め、8党連立政権の細川護熙首相の側近として政界に影響力を発揮した。
2003年の参院議員の任期満了をもって政界を引退した。14年には地方自治や国政での活躍により旭日重光章を受章した。最近は妻の静子さんと一緒に高齢者施設に入所していた。
一方、松岡さんは秘書を積極的に政界に進出させた。末岡泰義前市長をはじめ、木村信秀市議会議長や森戸芳史市議、故中村賢道元市議会議長、下松市の松尾一生市議など、光市内外で多くの松岡秘書経験者が地方政治の第一線で活動している。
市川熙市長は「市民憲章や県内初の環境保全条例の制定、図書館や文化センター、スポーツ公園の整備、公共下水道の着手など市の発展とまちづくりの基礎を築かれた。ご功績をしのび、衷心より哀悼の意を表する」とコメントを発表した。
末岡前市長は「光市にも国政にも大きな足跡を残した偉大な政治家だった。後進の育成にも熱心だった。謹んでご冥福を申し上げたい」と話した。木村議長も「一時代を築いた政治家で、たくさんのことを教えていただいた。ただただ感謝しかない」と訃報を惜しんでいた。