コラム・エッセイ
№41 人物考2・若者に郷土の偉人を知らせずによいのか…「郷土偉人館」の創設を
独善・独言31稿で周南地区の偉人に触れたが彼らが地域民に理解が得られているのか気になって調べた。
A表は郷土の偉人の知名度調査である。これは、①あげた11人は私が恣意的に選んだものであること、②アンケートの回答者は下松市民、あるいは下松勤務の人のみであること、③調査日が8年前であること、など絶対的なものではない。それでも一定の傾向は認識できると考えて私見を述べる。
㊀伊藤博文公はほぼ満点の知名度、また、まどみちおも年齢に関係なく認知されている。 ㊁佐藤、岸両人が若い年代に忘れられるのは致し方ないことか。 ㊂長岡外史の小中学生得点が多いのは下松市の教育成果がうかがわれる。周南市民対象の調査なら児玉源太郎大将も同様になろう。 ㊃7位以下はこれでよいのかとの傷みを感じる。ことに小中生の低数は無視できない思いがする。 ㊄私的には下松の恩人、久原翁の認知度が市民にこの程度では私の望みの大河ドラマどころではないなと落胆している。(大河ドラマは「坂の上の上の雲をつかもうとした久原房之助ほかの企業人たち」という大層なものであるが後稿で)。
㊅若い年代ほど総合点が下がるのはぜか。歴史への、郷土への興味がなくなったのか、言い伝える機会や仕組みがなくなったのか…真剣な検討が必要ではないか。
江戸時代後期の長州藩は財政窮乏の挽回策として二つ取り組んだ。ひとつは「産業育成」。領民は山を削り海を埋めて農地をつくり米や塩や紙や蝋などの「防長四白」を育てた。何年も何年もかけて藩も領民も辛抱を重ねて倒幕の軍費を備えるまでに変貌する。
もう一つは「学問奨励」である。藩校の明倫館だけでなく地域の教育にも力を注いだ。当時、地域の官立学校である「郷校」の数は日本で2番目、庶民対象の寺小屋の数は全国一と言われている…長州は日本一学問をする藩になった。
以上、当地の辛抱の気質と学問重視の気風は維新の原動力になるとともに明治以降もA表の偉人をこの地に生む素地を遺した。寺子屋が圧倒的に多かった旧熊毛郡内から3人の首相と宮本顕治、松岡洋右の政治リーダーを輩出したのには理由があるのである。
上記調査の認識度合いからして郷土に関わる偉人の業績を知らしめるための、偉人を生んだ郷土の気風や誇りを掘り下げて考えるための…そのような場が必要ではないかとの思いを皆様に伝えたい。
伊藤博文公の旧邸のそばに3市協調で「郷土偉人館」の創設を提案する。軍服も判読不能の手紙類もいらない…アニメでの紹介の個室があればよい。
単独では限界がある児玉源太郎や長岡外史の顕彰もこういう形なら投資も維持も容易になるし、別人物目当ての来館者に新たな興味が生まれるという効果も期待できるのではないかと考えるのだが。
…どうでしょうか。
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講演請負業 阿武一治 kazuharu.anno@gmail.com
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