コラム・エッセイ
No.74 あれから20年…あなたはリーマンショック、東北震災、コロナ、そしてスマホの20年間をどう振り返る
独善・独言本紙の「20年前の周南」というコーナー(以下本稿)を読んでおられるか。そのなかで私の琴線に触れた“ふた昔前”の記事を取り上げて皆様の胸中に刺激の矢を放ちたい。《 》で20年前の内容を示す。記載の日付は省く。
㊀《ベトナムの研修医下松で学ぶ》は20年前の記事。一方、本年3月4日の本紙1面には『30年の日越医療交流の礎高く』とNPO法人国際ボランティアIMAYAの岩本功理事長らがハノイの病院と旧交を温めるという記事をみた。なんと営利目的でもない、その関りがなくても何の問題も起こらない=ボランティア事業が30年も継続されてきたのである。
本稿を読むと「あぁそんな組織もあったな」「あの事業は終わったんだな」と寂寥(せきりょう)感を禁じ得ない記事も多い。そのような中でハノイの医療界での交流の成果を想起すると…“継続”がもつ重さにグサッとくる。
㊁《赤坂善通会長「無我夢中」出版》 赤坂様には様々ご指導をいただいたなかで一番の恩義は私が勤めた西京銀行の佐藤昌良元頭取の追悼の会を発起していただいたこと。その会には黒神公直先生や井川成正前下松市長も賛意をいただいた。ほかにもこの20年の間に山田宏様や岡田幹矢様など当地のスーパーリーダーを失った。地域発展へのご尽力と個人的なお付き合いの両面で、あらためて6人の方々への謝意があふれてくる。
㊂《国道2号線付け替え完工式 210億円かけて久保5キロ2車線大河内まで》 そういえば以前は久保駅前を経由していたなと思い返す。慣れてしまえば“公共への感謝”など忘れ去ってしまっている。本稿のなかでも徳山駅前の再開発や椿峠の複線化の計画が発表されている。これらもできてしまえば当たり前になりありがた味がなくなる。
少し外れるが高額医療制度の騒動で思うこと…今では当然の権利になったこの制度だが始まった時点での国民の歓迎はいかばかりであったか…感謝の声は聞こえない。
㊃《河村市長5年間で250人削減計画》 20年前には周南市と光市の合併にともなう記事があふれている。A表は20年間の両市の人件費データーである。様々な事情があって単純な評価はできないが、合併効果は数字に示されている。殊に競艇事業が最も低迷している時期と重なった河村和登元市長のご辛苦はいくばかりであったか。
㊄《ガソリン高値に悲鳴 鉄道、自転車に》 ガソリン高値の影響で徳山駅前市営駐輪場は満車になっているという。しかし、その時点のガソリン価格は120円前後、今の3分の2にすぎない。今日なんだかだと言いながらも街中で車が減ってきたなという実感はない。それでも車に依存せざるを得ない地方のなりわい…地方の衰退はこのようなところにありはしないか。
㊅《西京銀行ライブドアと提携》 世間をアッと言わせた当時の大橋頭取の“先走り”はホリエモンの逮捕で一次的には失敗に終わった。
西京銀行は今年新規口座キャンペーンでまた全国的な注目あびた。この超常識の試み…成否の判断はもう少し先になろうが、“やれることはなんでも踏み込む”という大橋イズムの遺産のように受けとめた。多くの金融機関はこんな真似をしない、否、常識に縛られた企業文化上マネができない。それでも山口県とは市場効果が比較にならない都市圏の金融機関が二番煎じを試みることに注目している。
私はこれら“ふた昔前”でしかない記事に愛惜のロマンと後悔の未練を想い起こす。それでも20年間生きてきたという爺様らしい感慨にふける。
あなた様は…どうでしょうか。
