コラム・エッセイ
No.75 人物考8・にしきのあきら、童門冬二、栗原小巻、なかにし礼、山田久志…私に迫ってきた人々
独善・独言世間で名の通った方とすれ違った五つの私話し。いくらか伝わるものがあれば・・・。
㊀歌手…大学時代の50年前、歌謡ショーのアルバイトをした。役割の一番は会場整備でなく「にしきのあきら」めがけてステージにあがろうとする熱烈女性ファンの侵攻を食い止めることにあった。
にしきのは「空に太陽がある限り」がヒットし始めていた若者、ほれぼれするようなマスクであった。その日のメインの都はるみもデビュー直後の乙女、小柳ルミ子も色あせるような存在感であった。
男の顔に見惚れたのは「仁義なき戦い」のなかで武田明役を演じた「小林旭」と二人だけである。
㊁作家…勤務時代に経営者セミナーの世話係をしていて何人かの著名人と接点をもった。最近亡くなった「童門冬二」は当時はメジャーになる寸前で、例の小説『上杉鷹山』を売り出し中、講演の内容も鷹山ストーリーであった。
私は昔も今も“節約経営”に興味を持っていないが、上から目線でないおだやかな語り口は他の講師とは違った趣をみせており、我々下働きの人間にも崩すことはない人間性に好感がもてた。その後、歴史作家のトップに昇りつめたことに、あの人ならと同慶の思いをもって多くの本を読んだ。
㊂女優…20年前のこと、ある会から「栗原小巻」を新下関駅から催し物会場までタクシーで送る役を依頼された。50歳過ぎであった女優にはかつての輝きが窺えなかった。否、今になって振り返っても当代一、「コマキスト」に取り巻かれたこの女優の出演場面は「関が原」のガラシャ夫人役しか思い出せない。
一方、対抗的存在「サユリスト」の「吉永小百合」もあれだけの女優でありながら鮮烈に残る記憶は「青春の門」と「夢千代日記」くらいで、ここ数10年の出演作はいずれも面白くもおかしくもない駄作といえば言いすぎか。
私の一番は「倍賞千恵子」。なんといっても「しあわせの黄色のハンカチ」。しかも歌声の方がもっと清冽(せいれつ)であると思う。あの「学生時代」を聞いてみてほしい。
㊃作詞家…4大作詞家の一人と思う「なかにしれい」の講演を周南市文化会館に聴きに行った。講演中に地震が起こり天井の電燈が大きく揺れて聴衆は一目散に会場を飛び出した。10分後再開、拍手に迎えられて「何の拍手ですか」と笑わせた。若く溌溂(はつらつ)としていた。
講演のなかで語られた無名の時代からの「石原裕次郎」との交流、その集大成として作詞した『わが人生に悔いなし』…「長かろうと短かろうとわが人生に悔いはない」というフレーズが二人とも亡くなった今になってはせつない。
なお、当日の地震は2001年3月24日の「伊予灘地震」。震度5弱で私はその後これ以上の地震に遭遇していない。
㊄野球…阪急ブレーブスの「山田久志」が日本シリーズで王選手に逆転サヨナラホームランを打たれてガックリ膝をついた場面を覚えておられるか。二度話す機会があってそのことを二度訊ねた。
美祢市の名球会で「あの前の打者長島のセンター前ヒットはショート阪本は捕れませんでしたか」と話すと『ウー』とつまっていた。
10年後、少数の食事の機会に「10年前にも訊いたのですが」ともう一度質問したら…『これでゲームセットと思った。センター福本選手の前でとまってしまうような弱い打球であったので、阪本選手は緊張で動けなかったのでしょう』と気負いのない口ぶり。
続けて、『私はこのころは打たれる気がしなかった。しかし、王さんに打たれたことで目が覚めた。で、さらに精進することを誓った。生涯284勝のうちその後252勝できたのは長島さんに打たれ、王さんに打たれたおかげです』と…、爽やかな気分になった。
以上は著名人とのすれ違い話し。いくらかは共感いただけたか。
・・・どうでしょうか。
