2026年04月19日(日)

コラム・エッセイ

渋沢栄一と一橋大学(続)

随想 猫の目 吉原 雍

 《前だれ、そろばんでは世界経済に勝てない》

 栄一は埼玉の農家出身だが豊臣秀吉並みの大出世をした。

 それは「本人の才能と、幕末動乱の時代と、一橋慶喜」の3点セットの産物だと僕は思う。

 以下ちょっと長いがその3点をご紹介。

 ①栄一は志士気取りで「打倒幕府」を志すが挫折し、京都に出奔(23歳)。

 ➡京都がラッキーだった♬

 ②当時の京の守護役が次期将軍の声高い一橋慶喜だった。

 だが一橋家の財政は苦しく側近や武士さえ手薄状態で「百姓でも良い、やる気がある人材」を募集中だった。

 ➡会津藩お抱えの新撰組もその一つ♪

 ③意気に感じた栄一は、倒幕から親幕府に鞍替え、一橋家に仕官し武士に(24歳)。

 ➡変わり身の早さ♬

 ➡初就職先が超ラッキー♪

 ④以後3年、栄一は経理で腕を振るい、一橋家の財政を黒字化し有名になった。

 ➡初仕事で才能開花、高評価、天職発見♬

 ⑤1866年暮れ、慶喜が将軍になり、栄一は旗本に(27歳)。

 ⑥翌春、パリ万博使節団の一員に抜擢、パリ渡航(27歳)。

 団長・徳川昭武は慶喜の弟で最後の水戸藩主。維新後は明治天皇側近。

 ➡慶喜周辺の人材不足がラッキー♬

 ➡昭武に仕えた経歴もラッキー♬

 ⑦約1年半のパリ在留中は庶務、経理係の傍ら、お供で数カ国を歴訪、各国要人らと会見。

 西洋の近代的産業設備(鉄鋼、造船、鉄道)や経済制度(銀行、株式、郵便)、自由、平等な文化などに感動した。

 ➡帰国後は将軍を支えて、やることが山ほどあるぞ♬

 ➡しっかり見聞して帰ろう♬

 ⑧だが1868年、突然の明治維新により、急きょ帰国(28歳)。

 慶喜の隠居先の駿府(静岡)に赴き万博の報告。

 再仕官し、藩の財政再建のため日本初の「合本組織運用」を提案、「静岡商法会所」を設立し頭取に(29歳)。

 ➡慶喜から「長い間ご苦労。もう主従ではない。自分の道を行け」と♬

 ➡パリで見聞した「合本組織」を日本経済に役立てたい♬

 ⑨新政府の大隈重信から出仕招へい。「慶喜公の名を汚さないためにも大蔵省で腕を振るえ」(29歳)。

 井上馨大臣の下で第一国立銀行設立など尽力したが、やがて井上と共に退官し実業界に(33歳)。

 ⑩以後、第一国立銀行(現みずほ)頭取就任(35歳)…同年、森有礼の依頼で一橋大学の前身の私塾「商法講習所」の世話役を引き受けた。

 余談だがその時栄一は思ったに違いない。

 「自分は無学歴だが、こんな学校で勉強したかった」

 「日本の前だれ、そろばん商法で、欧米の経済には勝てない」

 「官尊民卑でない、実力ある者の時代、自由平等の時代が必ず来る」

 その翌年、東京会議所会頭就任(36歳)、そして栄一はこの銀行と会議所を拠点にして「株式制度」「日本資本主義」を広めていった。

(ギャラリー三匹の猫)

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