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[金曜記者レポート]なぜ?下松だけ戦没者追悼式なく 護国神社の春季例大祭で慰霊
地域その他周南市、光市は市主導で追悼式
第2次世界大戦での日本の犠牲者は約310万人といわれる。日本は戦後、現憲法の下で78年間、一度も戦争に巻き込まれず、1人の戦死者も出さず、唯一の戦争被爆国として国際平和のための役割を果たしてきた。そんな中で平和の礎たる英霊が周南3市でどう祀(まつ)られているのか、戦没者慰霊の実態を追った。(山上達也)
下松は日石、日立に空襲被害
第2次世界大戦の末期、周南3市は米軍の爆撃機から激しい空襲を受けた。とくに周南市や光市は海軍工廠などを狙った空襲で工員や動員学徒だけでなく、多くの一般市民が空襲の犠牲になった。
下松市は両市ほどではなかったが、軍需産業だった日本石油や日立製作所が空襲の被害に遭い、工員を中心に犠牲者が出た。しかし一般市民の被害者は周南市や光市ほど多くなかったと見られる。
下松市議会、追悼式開催求める発言ゼロ
3市のうち周南市は市の主催で、光市は市長が委員長を務める実行委員会の主催で「戦没者追悼式」を毎年開いている。半面、下松市には市が関与する追悼式はなく、過去にも開かれたことがない。なぜだろうか。
市役所に半世紀勤務した森田康夫元副市長(80)は取材に「追悼式をやろうという話は50年間、市役所で一度も出たことがない」という。やはり半世紀以上勤務した河村敏雄元収入役(92)も「追悼式などの慰霊行事を開こうという話は市の協議の中で聞いたことがない」と言い切る。
市議会でも確認する限り、戦没者追悼式を開くよう求める発言や質問はなかった。1974年から連続13期目の日本共産党の渡辺敏之議員(79)でさえ「私自身、戦没者追悼式を求める質問はしたことがないし、他の議員も質問したケースはないと思う」という。
しかし下松市でも戦没者の慰霊行事がないわけではない。末武上の高台にある下松護国神社では、軍人を中心に幅広い戦没者を悼む「春季例大祭」が毎年4月に開かれてきた。
春季例大祭には歴代市長が毎年出席
春季例大祭は市連合遺族会の主催。市総務課によると、2019年まで歴代の市長が出席してきた。20年から昨年まではコロナ禍もあって市長の出席は見送って市長のメッセージを届けてきたが、今年はメッセージの送付を見合わせた。市から市連合遺族会には今年度も交付金11万4千円を支出している。
下松護国神社は180段の石段を登ったところにあり、車道はない。足が弱い人や不自由な人の参拝は困難な場所にある。
ここには1863年の馬関戦争をはじめ、禁門の変、戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、第2次世界大戦で殉じた1,044柱が祀られている。境内には「下松市(大東亜戦争)戦没者芳名碑」があり、約400人の名前が刻まれている。
これを機に恒久平和願う追悼式を
柳井市や防府市でも戦没者追悼式が毎年開かれている中、下松市では一度も開かれず、これまで市執行部や市議会で全く話題にすらなったことがないことは、不思議としか言いようがない。
これを機会に下松市として戦没者を悼むあり方を再考することはできないだろうか。どんな形式でもいい。日本で78年も続く平和に感謝し、さらなる平和と繁栄を祈念し続けるために。