ニュース
地域 : 周南市のニュース
[第7回平和の島スピーチコンテスト]最優秀賞 今の私たちにできること
地域周南市1945年8月6日、午前8時15分。広島の街は、一瞬にして光と炎に包まれた。笑顔、思い出、命。アメリカ軍が投下した原爆はたくさんの人々から全てを奪った。当たり前だった日常が、当たり前ではなくなった。
私たち日本の子供は、学校の平和学習を通してあの日の出来事を学んだ。原爆の恐ろしさ、被爆者の苦しみ。平和の大切さ。そして、もう二度と同じ過ちを繰り返さないという決意。それは日本という国の決意でもある。
しかし、私たちは大人になるにつれて平和の大切さを忘れかけている。平和であることを当たり前だと思っている。もう二度と同じ過ちをくり返してはならない。そのために、今の私たちには何ができるのだろうか。
小学5年生の時、私は初めて原爆資料館を訪れた。私は声が出なかった。水を求め続け、無残な姿になった人。真っ黒に焦げて、ボロボロになった衣服。それらはどれも見ていて苦しかった。この人たちはどんな思いだったのだろう。そんなことを考えながら一つひとつの展示に目を向けていると真っ黒に焦げた三輪車に目が留まった。それはあの日、自宅前で三輪車に乗って遊んでいて被爆した「伸ちゃん」のものだった。あの日、伸ちゃんは三輪車からどんな風景を見たのだろう。どれだけ苦しかったのだろうか。他の被爆者たちも私達には測り知れないほどの苦しみと戦ったと思う。私は資料館を出るときに、平和の大切さを改めて実感した。そして、平和であることを当たり前だと思っていてはいけないと強く思った、はずだった。
それから4年。私は中学3年生になった。一学期、国語の授業で私はある戦争の詩に出会った。それは石垣りんさんの「挨拶―原爆の写真に寄せて」という詩だった。その詩には「広島の原爆によって起きた悲劇を忘れず、同じ過ちを二度と起こしてはならない。」というメッセージが込められていた。授業で勉強していくうちに私はあることに気付いた。それは私自身が、今平和であることを当たり前だと思っていたことだ。この詩に「地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか」という一節がある。私はハッとした。今なお、世界にはたくさんの原爆が存在している。戦争が起きているところもある。そんな中で私は、平和な日々を当たり前と思い、許されない「油断」をしていたのだ。
あの日、広島に落ちた原爆は、世界で最後の原爆ではないかもしれない。世界で最初の原爆になる可能性だってある。今、世界には当時よりもさらに多くの核爆弾が存在し、いつ投下されてもおかしくない状況だ。そんな世界に私たちは生きている。私たちは原爆投下時の人々が知らなかった原爆の恐ろしさを知っている。だから私は、決して許されない「油断」をしていたのだ。それは大人になるにつれて大きくなっている気がする。
今、原爆の恐ろしさを知る私たちに何ができるのだろう。総理大臣にお願いすること、他国との関係をよくすること。そんなことは中学生の私たちにはできない。私たちにできることは「考えること」だと思う。一人一人が戦争を起こさないためにはどうずればいいのか。あの日と向き合い、平和について考えること、平和であることを当たり前だと思わないことが大切だ。私たちはいつも死の危険と隣り合わせにいる。それを一人一人が意識することが平和につながると思う。
この世界に「絶対」という言葉はない。「絶対死なない」。「絶対大丈夫」。あの日の広島の人々もそう思っていただろう。私たちはその「絶対」を信じるのではなく、「絶対」にそうならないために、今考えなければならない。広島や長崎の原爆を最後の原爆にするために。
下松市久保中3年 新田花穏さん
