コラム「一言進言」
市民と「共に」決めよう
~市章抹消から駅ビル名称まで~
■周南市のホームページから市章が消えていたのは気付かなかった。昨年7月からだそうだ。合併して15年。もめにもめて、何とか2市2町が一緒になった。そのシンボルとして市章が制定された。ホームページからなくなっても文句を言う市民はほとんどいないだろう。日常では縁はない。しかし問題の本質は、市章をないがしろにする行政の体質だ。苦労して合併作業に従事した職員もいるはずだ。
■まだまだ旧新南陽と旧徳山地区との確執は深い。合併は気持ちを一つにすることが一番困難な作業だ。商工会議所も別々のままだ。大げさに語れば、1つのシンボルマークの下で一体感を持たせることが肝要だ。アメリカでは多くの民族が一体感を持つために、国旗が存在している。
■木村市長が作った「共に。」をシンボルマークのように使っている。そのため市章は追いやられた。「共に。」は市長の掛け声だ。全国に公募してできた市章とは違う。旗を降ろした集団に団結力はなくなる。団結を呼びかけることが大事だ。
■「共に。」は木村市長だけのもので、次の市長は使わない。ほとんどの公用車に市章ではなく「共に。」を描いている。市長が変わる度にシンボルマークを変えるのだろうか。
■議場には大きく市章が掲げられている。議長はそれを背に議事進行する。国家で言えば国旗と一緒だ。市章をホームページから抹消した重大さに、議会の反応も鈍い。多くの地方自治体職員は、市章をデザインしたバッジを付けている。今では「しゅうニャン市」バッジだ。
■合併の立役者でもある河村和登元市長も驚いていた。あれだけ多くの人が汗をかき、苦労して周南市が誕生したのに、その歴史を捨てるような風潮に肩を落とす。徳山駅ビルの名称も、いつの間にか決まっていた。「周南市立駅前図書館」だそうだ。設計者とCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)だけで決めていた。「共に。」のスローガンが泣いている。市民の姿は見当たらない。よそ者にすべてを任すのも悪くはないが、決定のプロセスこそが地方行政の要だろう。
■最近の周南市は、どこかで決まったことが突然発表されることが多すぎる。誰と「共に」決めているのか不可解だ。外部に知恵を借りることに異論はない。しかし、最終的には市民と「共に」決めることだ。面倒でも手間ひまかける作業が大切だ。木村市長と「共に」市民がいる。職員だけではない。
(中島 進)