コラム「一言進言」
クラブ松本の灯りが消えた
〜時の流れのように〜
□「三社参り」「五社参り」。35年前、こんな会話が旧徳山の夜の街で使われていた。当時、クラブが五店もあった。わずか人口11万人の街で、クラブが五店は全国でも珍しかった。飲食店の数も人口1人当たりでは全国屈指を誇っていた。スナックのキープ棚には、高級ブランデーがずらりと並び、高級すし店に客が途切れることがなかった。バブルがはじけるまで、徳山の夜の街は不夜城のようだった。
□企業の接待交際費は底なしの感があった。官官接待も公然とあり、建設省(現国土交通省)の役人などは公然と接待されていた。三菱銀行支店長だったH氏が音頭を取って、東京に「ふくの会」が結成された。周南地区に勤務した企業幹部たちが、徳山は良かったと、100人近く集まった。
□私も数回参加したが、転勤先で周南地区は一番楽しかったと異口同音に語っていた。食べ物も格別おいしいし、夜の街はどこも活気にあふれていたのが大きな要素だ。ゴルフをするにも近場に多数あって、気軽にプレーできた。何しろ転勤時、新幹線ホームに女性たちがずらりと並んで見送ったものだ。
□あれから35年。当時を象徴する最後のクラブが灯りを消した。今年になってクラブ松本がクラブ部門を止めた。当時は最高級のクラブとして大企業の社長たちは必ずと言って良いほど集まっていた。中庭の見事なしだれ桜は、高級クラブとしての存在感を見せつけていた。時代の流れと言えばそれまでだが、地域の活力が衰退しているのを肌で感じる。
□松本智子ママと閉店後初めて話をした。相変わらずの存在感で、ほっとした。中庭を挟んだモディリアニの方で営業は継続するそうだ。華やかな夜の社交場で、男たちはどんな世界を作っていたのか。商談がまとまる契機になっただろう。友を作る場所になったろう。さまざまなドラマが作られただろう。
□徳山最後のクラブは、多くの男たちの情熱を抱え込んで、灯りを消した。
(中島 進)