コラム「一言進言」
市民目線の職員に
~職員の人間力が地域を創る~
■異動の季節は公務員にとってドキドキの瞬間だ。人はだれしも好き嫌いがあって、事務処理の得意な人、折衝ごとが好きな人など向き不向きもある。しかし、公務員は技術職はともかく、どこに配属されるかわからない。より良い公務員とは、どこに行こうが常に勉強する姿勢と、より良い施策を考え出す作業ができることだ。
■昨年1年以上かけて「杜は見ていた」というシティーケーブル周南の番組制作を手伝った。旧徳山市の戦前戦後の移り変わりを追いかける番組だ。黒神公直遠石八幡宮名誉宮司が語り部の長編となった。
■先人たちの回顧録や、資料に目を通しながらの制作だったが、そこに見えたのは、地域を創るのは市役所と言う組織ではなく、当時生きていた人間力だったことが分かった。長谷川藤七市長、黒神直久市長、高村坂彦市長、河野通重市長、小川亮市長と、希代まれな市長に恵まれたのもあるが、その下で形にしていった幾多の市職員の苦悩と葛藤が生み出したものだと確信した。
■黒神市長時代、当時の担当者は市長命令といえど、よくぞ見たこともない競艇場を作り、動物園を作った。単に小学校を作るのとはけた違いな代物だ。高村市長時代、わずか16年で、60万坪を超える周南団地を作り、15kmのバイパスを通し、新幹線を街中に走らせた。部下たちの奮闘ぶりは単に苦労話ではすまない。用地確保に最後まで抵抗する住民の説得や、国からの予算確保に確約をもらえるまで帰れなかったり、全職員が必死で仕事に打ち込んだ。
■私の父も黒神、高村両市長に仕えたが、住民課長時代、全国に先駆けて日曜窓口を開設した。のちに聞くと労働組合の大反対で大変だったそうだが、全国紙の社会面を飾り、大学生だった私も友に見せて胸を張ったものだ。当時の職員の武勇伝には事欠かない。
■当時我が家には父の同僚などが常に集まり、口角泡を飛ばしての大激論をしていた。どうしたらもっと徳山が良くなるかがテーマだった。古き良き時代と言ってしまえばそれまでだが、みんなの目線は確実に市民だった。3市にも新人職員が多く入った。彼、彼女たちが10年後、20年後に初心を忘れないままで頑張っていてくれたら。
(中島 進)