コラム・エッセイ
No.124 老境3・「千曲川旅情の歌」は「島崎藤村」は「山口洋子」は… 私は信州を旅して老境と諦観と挽歌を自己確認した
独善・独言「老境」の3つめは自らへの「挽歌」を語りたい。
㊀早春に信濃路を走った。まさに藤村のA表「千曲川旅情の歌」の真っただなかにいる。千曲川も浅間山も小諸や上田の山裾の街も「千曲川スケッチ」の小道具のように映る。信州は藤村の存在があってこそ、この歌詞があってこそだということを確認しながら走る。
㊁「千曲川…」は高校時代から諳んじていた私の青春詩である。視界に千曲川と浅間山しか目に入らない川沿いに停車しこの詩の解釈をAIに求めた。
『この詩は風景の賛美に見えてその実は自分の人生を千曲川の流れに重ねている。過去を振り返るという視線で読むと判りやいす』というのである。
私は詩の風景をもう一度目の当たりにしながら、詩に接した若い頃の自分を、あるいは信州や藤村とのこれまでのあれこれを想い起そうとしている。なるほど、AIの指摘どおりこの詩は私にとって《老境の歌》なのである。
㊂もうひとつ信濃路の歌といえば山口洋子作詞「千曲川」である(B表)。こちらは《秋の風立つススキの径を歩む》文句なしの老境の歌である。『呼べどはるかに都は遠く』の都は“都落ち”⇒叶わなかった立身、栄達、野望を回顧していると解釈できるし、『寄するさざ波暮れゆく岸に』という正に老境心情投影の後には『里の灯ともる』⇒我が老境心のなかの「諦観」を示していると私は受け止めるのである。
㊃山口洋子は一度も当地を訪れることなく作詞したという。この藤村の2作品や「落梅集」「初恋」「惜別の歌」等を参考にし、付近の万葉集を加え…結果として《佐久の草笛》《浅間の煙》《遠くなった都》を散りばめ、末尾を『里の灯ともる信濃の旅路よ』と結んだのであろう。ドラマチックではないか。最後に灯がともって救われる。
㊄この歌は五木ひろしも悪くないが完成度が高いせいか聞くのも歌うのもつらくなる。カバーした青江三奈の高音にシビレてている。今回も村上一族の居城、荒砥城の小高い城跡に登って千曲の蛇行の流れを見下ろしながら、しみじみ3番まで歌ってきた。満ち足りた老境の時間である。
㊅信濃を旅するうちに私は「挽歌」を強く意識した。それも死者を悼む挽歌でなく、ここまで生きてきた自分自身に捧げる「自らへの挽歌」である。そこで「千曲川」とともに私の胸に迫る3つの《私の挽歌》を紹介したい。
1.『これがまあついの住処か雪五尺』西田敏行演じる家族を亡くしたしみだらけの一茶老人が、この句を吟じているシーン…これが一茶の諦観の挽歌なのだと今の歳だから気づく。切ない。
2.小椋佳の作詞の「愛燦燦」⇒『少しばかりの運の悪さを恨んだり』『思いどおりにならない夢を失くしたり』『心秘かな嬉し涙を流したり』しても『それでも過去たちは優しく睫毛に憩う』というのである。そうであってほしい、無理矢理でもそう願いたい。
3.私の挽歌一番は阿久悠作詞のC表「舟唄」。昔は『あの頃のあの娘を偲んで飲む』というよくある男女歌とみていたが、今は過去を心穏やかに振り返る挽歌になる。
極めつけは挿入歌である。
『沖の鴎に深酒させてヨいとしあの娘とヨ朝寝するダンチョネ』は過去からのしがらみや未練、悔恨から解放されて今からを生きていくのだという諦観を語ってはいないか。「ダンチョネ」とは“断腸”という意味らしい。
私の今回の信濃路は老境を自己確認させてくれた旅であった。ただ『心がすすり泣く』ようなつらい回顧でなく『心に灯がともる』ような正しいアキラメのロマンであったのである。信州千曲川には二度と行くことはあるまい。
講演請負業 阿武一治 kazuharu.anno@gmail.com
| A表:島崎藤村作詞「千曲川旅情の歌」 |
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| TD小諸なる 古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ 緑なす はこべは萌えず 若草も しくによしなし しろがねの ふすまの岡辺 日に溶けて 淡雪流る |
| B表:山口洋子作詞「千曲川」 |
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| 2番 明日はいずこか 浮き雲に 煙たなびく 浅間山 呼べど遙かに 都は遠く 秋の風立つ すすきの径よ |
| 3番 ひとりたどれば 草笛の 音色哀しき 千曲川 寄するさざ波 くれゆく岸に 里の灯ともる 信濃の旅路(たび)よ |
| C表:阿久悠作詞「舟唄」 |
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| 2番 ほろほろ飲めば ほろほろと 心がすすり 泣いている あの頃あの娘を思ったら 歌いだすのさ舟唄を |
