コラム・エッセイ
認知症に思う。
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子免許更新のための高齢者講習の案内が届いた。これが2回目。高齢者講習と言えば代名詞のような認知症検査が待っているが、念入りの予行演習が功を奏して、満点に近い成績で、まずはひと安心。だが、油断はならない。今日大丈夫でも、明日は分からない。性別・学歴・社会的地位、その他諸々、どんな活動歴があろうと、有名人であろうと、そんなことには関わりなく突然に、容赦なく訪れるようだから。
我がつれあいの、昨年亡くなった旧友もそんな一人だった。中学以来の付き合いで、居所は離れていて余り往き来はなかったが、親しさは変わらず続いていた。大企業の幹部職を経て、退職後は大学で教鞭を執り、奥さんと二人ゆとりの生活を送っていたように見えたが、5年前突然の脳出血で半身不随となった。
手足の麻痺が残り、言葉も不自由になり、懸命のリハビリ生活を続けていた友人を、我がつれあいは年に数度、上京する度に見舞っていた。社会人時代の交流が殆どないその友人と交わす話は専らふるさとの昔話。お互いに盛り上がり、毎回同じ話が尽きることなく続いたという。
会う時はいつも同席する奥さんから、2、3年前からは認知症の気配が出ていて、話が通じないことや、突然不機嫌になって対応に苦労することが多くなったと聞かされたが、そんな感じは全くしなかったという。
闘病中、訪れる人も次第に少なくなったその友人は、つれあいが尋ねて来るのをいつも楽しみにしていて、前日から、明日は何時頃来るのだと確かめるのが常だったという。そんな友人を訪ねた時は、時候の挨拶も体調伺いも抜きで交わす話は、いつも変わらずふるさとの昔話。微に入り細にわたる思い出話はよどみなく交わされ、認知症の気配など全く感じられない。
さては今日は体調が良く、状態が良くなっているのかと帰りがけに尋ねると、今日もいつもと変わらないとのこと。恐らくその日その時間、幼かった日々の思い出を限りなく共有している二人の間では、心に浮かぶあらゆる事が、何のためらいも警戒心もなくほとばしり出て、その友人も安心できる自分の世界を過ごしていたのだろう。
認知症では、自分の状態に対する不安が強いストレスになって病状を悪化させるという。そんな時、気配りや不安を感じることなく共有できる世界を持てる相手があれば、そのひとときだけでも、本人にも周囲にも安らぎの時が得られるだろう事を知った気がする。その友人が逝って1年余りが過ぎた。自分にもやがて訪れるかもしれないその時に互いに十分に語り合えるように、思い出を蓄えておこうと思う。
(カナダ友好協会代表)
