コラム・エッセイ
出藍の誉れ
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子根本対策のないままに、新規感染者数に一喜一憂(このところ一憂ばかりだが)のくり返し。姿の見えない相手には唯々触れ合う機会を作らないようにと、ひたすら我が家に、わが町に、わが県に閉じこもるのも、やむを得ない対処法だが、いつまでも続けられるものでもない。
世の中に辛い苦しいことは数多くあるが、目標を持たないで時を重ねることを強いられるのは、耐え難いことだ。どんなに過大でも、目標があれば、そこに向かって努力するから、例え目的が達成されなくても、努力したことが自分を納得させてくれる。だが、いつまで行動自粛を続ければよいのか、それを実現させる方法はあるのか、分からないままの現状維持は、特に若い人達にはやりきれないに違いない。耐えきれずに破れかぶれの行動を起こしたところで解決につながらないことは分かっているから、ひとときの気晴らしにしかならず、後は空しい。
そんな時に救いの光になるのは「明るい話題」だ。コロナウィルス禍の中で医療崩壊を起こすまいと必死に頑張っている医療現場の人達や、ウィルス禍最中の豪雨災害で途方に暮れる被災者の支援に尽力するボランティアの話は人の心の美しさと強さを再認識させ、感動と勇気を与えてくれるが、それにも増して救いとなるのは「明るい話題」。感動と勇気を高める話は自分の気持ちを純化させてくれるが、緊張はほぐれない。一方「明るい話題」は緊張をほぐし、気持ちを和やかにしてくれるから、ほっとするのだ。どうすればよいか分からない現状には「明るい話題」は何よりの癒やし薬だろう。
そんな「明るい話題」の筆頭は将棋の藤井聡太新棋聖。彗星のごとく現れ、あれよあれよという間に、信じられないほどの活躍を、年代通りのあどけなさと高校生とは思えない大人びた対応で、期待通りにやり遂げているのだから、将棋の世界とは全く縁遠い私も含めて、多くの人に癒やしと和みを与えてくれている。彼を育てた師匠も様々な場で、目を細めながら喜びを語っている。
まさに「出藍の誉れ」を実感させる話題に、形こそ違え先生と言われて生徒に接している我がつれ合いもいたく心を動かされたようだったが、こんな感想を述べた。「生徒達が努力し、運に恵まれて、功成り名遂げて活躍する姿を目にするのは、教え導いた者にとって、大きな喜びに違いない。」「でも、そんなことにならなくても、いつまでも覚えてくれていて、伴侶を決めたと言って、子どもが生まれたと言って、連れだって訪ねて来てくれる。それで十分だし、その方が私にはうれしい。藍が青にならなくても、同じ色でいい」 そうだね。それでいいねと私も思う。
(カナダ友好協会代表)
