コラム・エッセイ
喜びの寿(とし)
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子「人間50年下天のうちを比ぶれば…」とうたわれた頃は「古希」70歳はまさに古代稀な長寿の象徴だったのだろうが、人生100年時代のこの日本では70歳など後期人生始まりの年で、さあ、これからと意を新たにする一里塚のようなものになっている。そしてその後、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿と百歳まで続く謎かけのような節目の年を一つ一つクリアーして行く確率が次第に高まっていて、統計を取り始めた1963年に153人であった日本の百歳以上の高齢者数は1981年には1,000人、そして昨年の敬老の日には7万人を超えたそうだ。
夫婦揃って同じ年の、一月違い生まれの我が家では、これらの節目をいつもほぼ一緒に迎えることになる。先日その一つ「喜寿」を迎えた。特段の感慨はないが、それでも二人揃って、年と共にあちこち不具合を抱えながらも、五体自力で動かせてこの日を迎えられたことは、やはり感謝しなければならないことと思う。
「人間の寿命は3歳までの栄養状態で決まる」が持論の我がつれ合いは「今80歳以上の人達は終戦時にはもう5歳にはなっていた。この人達は大丈夫、これからも長生きして百年社会を築けるだろう。しかしその頃自分はまだ2歳。一番大事な時に戦後の食糧不足でろくに栄養を取れずに過ごしているから、我々の年代は長寿にはならないのではないか」と折にふれ言っていたが、まずはめでたく、二人揃って喜びの寿(とし)を迎えられた。
娘の発案と手配で、二人の誕生日の中頃を選んで祝いの宴を催すことになり、娘の運転で、郊外の高台の中腹にある落ち着いたたたずまいの料亭に向かった。見晴らしの良い座敷に案内されると、腰痛・膝痛で正座が出来ない私のために用意されたテーブル席にはこの日を祝う言葉と絵が描かれた画紙が飾られていて、まず目を楽しませてくれる。
挨拶のような、感謝のような、もごもごと語るつれ合いの言葉で始まった宴では、次々と運ばれてくる、季節感一杯の料理を、部屋付きの仲居さんの説明に一品一品頷きながら、本当に美味しくいただいた。デザートの果物の後に大きな祝いのケーキが出て、これはとても食べきれないと思えたのだが、意外にも口中で溶けるようにスムーズに完食できたのは驚きだった。
仲居さんを交えての会話を楽しみ、数々の料理や光景をスマホに収めて時を過ごし、鯛の塩焼きと画紙をお土産にして店を後にする。帰路の車中、楽しく過ごしたひとときを語り合いながら、これから続く様々な一里塚を、二人揃って、家族一緒に、一つ一つクリアーして行きたいと、心静かに願った。
(カナダ友好協会代表)
