コラム・エッセイ
長のお勤め
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子 とうとうその日が来た。これまでも何度か登場した、我がつれ合いの愛車。愛車といっても人力駆動の二輪車だが、彼の手に渡ってからでも18年以上、初代所有者だった息子の代から数えると確実に20年以上は奉仕し続けていた。
雨さえ降らなければほとんど毎日のように我が家の前の狭い道から出発し、県道を、夏は汗に顔をぬらし冬は手袋に包んだ手でハンドルを握り、徳山駅付近までひたすらペダルを漕ぐ。
あたりで数時間を過ごした後、再び元来た道を逆にたどって帰宅する。判で押したようなワンパターンの行動だが一応の理由はあって、命の危険もあった大手術の後、かなり弱った脚力を何とか維持しようと続けているのだとのこと。
かくして風雪20年。その間、手入れの行き届かない車体や車輪のスポークには錆が目立ち、タイヤ交換、ブレーキ交換、日々の酷使に刃のすり減った変速ギヤーの交換と、乗り手に劣らず大手術を受けながら、一言の不平を漏らすこともなくひたすら奉仕の日々を重ねていた。
「もうこんなに古くなったのだし、脚も弱ってきているのだから、電動式に買い換えたら?坂道も随分楽だそうよ。」と言っても「リハビリのために乗っているのに、楽にしてどうする。力を絞って坂道を登ってこそ意味がある。」と取り合うことなく乗り続けていた。
自転車乗りにとって一番の恐怖は、事故を除けば故障で、少し大きな故障になると自分の手には負えないから修理店のご厄介になることになる。これまでもタイヤ交換、ギヤー交換、ブレーキ交換などお世話になっていたが、時勢の故か近くに数件あった自転車屋さんが1軒、2軒と店じまいし、とうとうゼロになってしまった。
もはや大手術は叶わぬながらせめてこれくらいはとパンク修理キットを購入し、パンクの度に慣れぬ手つきで応急修理を施し、その度にこれで寿命が延びたと喜色満面に乗り継いでいた。
そんな中、何度目かのパンク発生。手慣れてきた手順で修理に取りかかったのだが、パンクの場所が見つからない。いつもはほぼ同じ場所なので苦労しながらも何とか修理できたのだが、パンク箇所を見つける道具がないから、どこを塞げばよいのか分からない。
空気の抜けた自転車を押して何キロメートルも離れた修理店を探して歩く体力も気力もない。最早、刀折れ矢尽きた心境で、この世に姿を現して以来20数年、長のお勤めを果した物言わぬ愛車に別れを告げる決断をし、アフターケアのサポートを確約してくれた自転車店で跡継ぎを購入した。
これも時の流れの宿命だろうが、勤め終えた愛車をどう弔えばよいか、我がつれ合いは思案中のようだ。
(カナダ友好協会代表)
