コラム・エッセイ
匠からの便り
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子先週に続いて我がつれ合いにうれしい便り。郵便受けに差し込まれた分厚い封書。どなたからかと差出人を見ると焼き物で有名な愛媛県の砥部町のSさんから。中には映画のポスター、それに砥部町のガイドブック。はて、Sさんは八十路の今も現役の陶工として活躍している人だが、映画と何の関係があるのだろうと訝りつつ見ると、短い便りに「大変ご無沙汰致しおります。お変わりございませんか。砥部焼のストーリーの映画の案内です ―S―」とある。
砥部焼に関わる映画が出来、郷土愛に燃えるSさんが町と焼き物のPRに一役買っているのだとひとり合点し、映画の公式ガイドブック表記されたその冊子を開いた。そこにはストーリーや制作スタッフ、制作に協力した町の人々の紹介や制作にまつわるエピソードが満載されている。
この映画は巨大な聖火台を陶器で作ることに挑戦する陶工の物語なのだが、そのモデルになったのがこの町の実在の陶工で、それがSさんだと記されている。改めてSさんの便りを手にする。「映画の案内です」とだけあるその文面に我がつれ合いは「相変わらず照れ屋のSさんらしい。自分がストーリーの主役だなどと、気恥ずかしくて書けないんだろう。」
Sさんはつれ合いが二十歳を過ぎた頃からの知合いで、参加した合唱団の同じパートで毎週一度練習に通う間柄だった。練習の合間に弾む話の中で、Sさんが窯元で働いている陶工だということを知った我がつれ合い、ある年の夏休み中の1カ月間をSさんの勤める窯元に通って、土選びから土捏(こ)ね、ろくろ、絵付け、釉薬掛けの手ほどきと、炎の調節から発色の理論までの懇切な説明を受けて、課題レポートを作成し、無事単位取得出来たと語る。
卒業と共につれ合い殿は故郷を離れ、Sさんも一念発起して海外に活躍の場を求めと、距離も離れ音信も年賀状ばかりの時を重ねていた。帰国後故郷の砥部町に根を下ろし、独立して窯元となり、斬新な技術で「現代の名工」に名を連ねるSさんに久しぶりに会い、昔を語り、焼き物への情熱を聞いたのは数年前のことだった。
共に歌った頃の、細身で精悍だった面影は、つれ合い殿同様に薄くなった頭とあちこちはみ出しがちの肉付きとに変貌していたが、照れ屋で自分を語る言葉が少ないことは変わらないままだったという。
「この映画でSさんがどのように描かれているのかわからないが、私にとってSさんはいつまでも五十数年前の歌仲間、陶器作りの先生だ。会いたくなったら会えるよう、お互い長生きできることを願うだけだな」と語る我がつれ合い。映画の上映を私も心待ちにしている。
(カナダ友好協会代表)
