コラム・エッセイ
女性蔑視?
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子オリンピック組織委員会会長の女性蔑視発言に端を発した一連の騒動。会長辞任でひとまずの区切りはついたが一件落着にはほど遠く、実務担当者の苦悩を傍らに置き、格好の政争の具として好き勝手に利用する政治屋達の無責任な喧騒がしばらくは続くことだろう。
思うに今回の発言(失言?)は女性を見下す意図があってのことではなく、日頃うるさい存在と思っている特定の女性理事を念頭に置いてのことだったのだろう。しかし固有名詞を出すことはさすがにはばかられ、一般化してぼかそうとして「女性は」と言ってしまったのが真相ではなかろうか。そして大炎上してしまった。
今回の問題の本質は、ご本人が女性蔑視の性差別観の持ち主だということではなく、言ってはいけないことを、言ってはいけない場で言ってしまったことにある。性差別に限らず、様々な他者差別観を持っていることが社会活動失格者とされるなら、人類のほとんど全ては失格者となるだろう。およそ生存競争にさらされて生きる生物なら、自分より弱い他者を攻撃する、自分よりも劣ると思われる相手を支配しようとするのは本能的なもので、それを辛うじて押さえているのは教育と経験の結果に過ぎない。
人の心の中は他人にはわからない。その人の言葉・行動・表情・仕草から判断・推測されるだけである。たとえ本質は性差別者であっても、そう判断される表情も仕草も言葉も行動も示さなければ、その人は性差別者とは思われない。内心はいじめ肯定論者であっても、言葉にも行動にも表さなければ、いじめっ子ではない。
まだ10代だった頃、ある先生が何かの話の中で「猫をかぶるのはいいこととは言われないが、一生猫をかぶり続けるなら、それはその人そのものになる」と語ったことを思い出す。
あの会長の発言で問題だったのは、ご当人が性差別者であったかどうかではなく、そう思われるような発言をしたことで、この人が、していいこととしてはいけないことを判別できない「わきまえのない人」であることが明らかになってしまった。こんなわきまえのない人が組織のトップに君臨していたことの方が問題で、後継者は女性がいい、若い人にすべきと議論するよりも、どんな場合にも自分がすべきことをきちんとわきまえている人を選ぶことに力を注ぐべきなのだ。
ちなみに今私が関わっている事業では、どれも多くの女性が業務に関わっていて会議も多いが、議論はいつも活発だし、それで時間が無駄に費やされていると感じたことは一度もない。
(カナダ友好協会代表)
