コラム・エッセイ
許されざる者
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子同じタイトルのアメリカ映画があったが、これは日本社会での「許されざる者」のこと。第二次大戦後日本社会は大きく変わった。中でも大きな変化は三つあったと思う。先ず、敗戦によって新憲法の下、社会制度が激変した。これは悪だとは言えないが、膨大な犠牲を伴う戦争を引き起こした者達は「許されざる者」に違いない。
次に起こったのが田中政権に代表される金権政治。これによって日本人の価値判断基準が変わった。人の行動基準が「これはしていいことか、悪いことか」ではなく「これをすると儲かるか、儲からないか」となり、かつてなら「そんなことが人にしれたら恥ずかしい」と自らを押しとどめていた力が、「儲かることなら何をしてもいい」という力に圧倒され、それが正当化されて、金が全ての世の中になってしまった。この時代を導いた者達が第2の「許されざる者」となる。しかし、この時代にあっても、人の心を繫ぐ基準はまだ変わらず保たれていたと感じる。金が全ての世の中とはなったが、困難には仲間で力を合わせて立ち向かうという意識は残していた。
そして3つ目がバブル経済崩壊を受けて21世紀に登場した政権。「聖域なき構造改革」を唱えた彼等は、それまで一部の領域に制限されていた派遣労働をほとんど全ての職種に広げ、従業員の多くを、いつでも首切り出来る非正規雇用労働者に変えてしまった。
従業員は会社を支える「者」ではなく、いらなければ買わなくてもよい「物」に変わり、職場の同僚は、力を合わせて仕事をする「仲間」ではなく、あいつがいると自分が首にされるかもしれない「敵」と思えるようになり、人を「者」から「物」へ、「仲間」から「敵」へと変えてしまった、これが日本社会を変える決定打となった。この政権の担当者とその政策の提唱者は第3のそして最悪の「許されざる者」だ。
社会制度を変え、価値判断基準を変え、そして人の心の繋がりを変えてしまった「許されざる者」達。現在の信頼できない政治を許している原因の多くは、こうした「許されざる者」を受け入れ、許してしまっていることにあると思う。
中でも看過できないのは、第3の許されざる政策の提唱者だ。派遣労働市場拡大政策を推進した彼は派遣企業の経営に関わり利益を得、さらに、不安定な派遣雇用から脱落する労働者の支援というマッチポンプ的事業を臆面もなく展開し、最近では大学教員という立場を利用して国策審議の委員会に席を占め、自らの関係する企業への利益誘導を図っているという。
この「許されざる者」の跋扈を封じない限り、悩める若者たちの将来は開けないと、怒り収まらぬ思いでいる。
(カナダ友好協会代表)
