コラム・エッセイ
厳しく躾
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子小学低学年から我が家に集い、今は中学生のHさん。小さい頃から、自分でこうと思うことは相手が誰であろうと一歩も引かず声を大きくして主張するから、年上の腕白坊主達にも煙たがられる存在だった。学習室では一応先生の立場にある我がつれ合いにも容赦はなく、何気なくかけた言葉が彼女の逆鱗に触れると手ひどい言葉の速射砲を浴びせられるので、ついつい言葉を選んで受け答えすることになってしまうと、時折こぼしていた。それでも、仲間同士のおしゃべりの中で学校の先生や親への敬意を欠いた言葉遣いをする時には、これだけは許せぬと語調を強めて諫めるのが、つれ合い殿の唯一の反撃だったようだ。
どんな時も常に自分のペースで、興味のないことには、例え周囲がどんなに盛り上がっていても関わろうとしないから、何事も人は人、自分は自分で、自分に直接関係のないことは人が何をしようと我関せずという考え方なのだろうと思っていた。ところが、Hさんへのそんな人物観を改めさせるような一幕があったと、つれ合い殿から報告があった。
ある日のレッスンの合間、たまたま話題が学校の特別学級のことになった時のことだった。話の輪の中にいたHさんの弟が「特別学級にいる生徒は○○○○(放送禁止用語)ということ」と発言したところ、間髪を入れず、それまで関心なさげに黙っていたHさんから音量一杯の叱責が飛んできた。「あんた!何を言っとるんかね! そんなことは絶対に言ったらいかんことやろう!」「心の中では思っていても、口に出して言っては絶対にいかんことやろう!」烈火のごとく怒る姉に、言った当人は「ごめんなさい」とうなだれ、弟の発言を聞いて「これはまずい。どこかで注意をしておいた方がいいだろう」と思っていたつれ合い殿も、その剣幕に圧倒されながら「そう。その通り」と言えただけだったそうだ。そして、Hさんが他人の話題にあまり関心を示さないのは、周囲と自分との間に壁を作っているからではなく、そこで語られていることが自分にとっては「どうでもいいこと」で、関わる必要がないと思うからだということがはっきりと分ったと言う。
「あれが躾というものだろうな」知識だけでなく、自分だけではなかなか身につかない社会生活上のしきたりを教えるのが躾で、特に、「してはいけないこと」はその場で、間髪を入れず、厳しく糺(ただ)しておくことが肝要だ。それを見事にしてのけたHさんが本当に頼もしく見え、60歳以上も年若い生徒に教えられた思いだった、見直したと、うれしそうに語る我がつれ合い。Hさん、どんなお母さんになるのか、私も楽しみだ。
(カナダ友好協会代表)
