コラム・エッセイ
年代輪切りの不条理
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子月が変わり、そろそろ秋風の気配も感じられる頃になった。若者支援の相談窓口事業を受託して丁度1年が過ぎた。事業の内容は、自分では解決できないでいる様々な悩みを持つ若者を適切な支援機関に結ぶ仲立ちをする「相談窓口」で、電話や来所で、必要に応じて訪問して相談内容を聞くことで始まる。相談内容は色々だが、最も多いのは、様々な原因で周囲との人間関係がうまくいかず、周囲社会との繋がりを保てないことに基づくもので、ひきこもりと言われるような深刻なケースもあり、本人よりも現状や将来を心配しながらどうしてよいか分らない家族からの相談が多い。
そして、相談を受けて感じることは、問題を解決困難にさせている原因の多くは相談者自身よりも周囲社会の方だということだ。自宅にひきこもって外に出られない、親さえも避けて自室に閉じこもる。こう聞けば救いようのない深刻さを感じるに違いない。しかし、親の言うことにはことごとく反発し会話もしないという状態は、思春期の子どもを持つ家庭では、望ましいことではないが、珍しいことではないし、特別深刻な社会問題にもなっていない。問題を深刻にさせるのは周囲の目、周囲の目への恐怖だ。
外に出たくないから閉じこもるのではない。外に出られないのだ。「あれ?今日は休日でもないのにこの子はなぜ学校にも行かずにこんな所にいるの?」と、口には出さずとも不審と好奇の目が自分に注がれるのを敏感に感じ取り、他人の目があるところに出ていくことが出来ない。昼間は身を潜め夜に活動するという昼夜逆転生活に追いやられる。周囲と隔絶された生活が長引くと自分への評価が低まり、行動する意欲も失ってしまう。
こうして、自分だけでなく家族も含めて、自力では解決の難しい状態へ追いやられているのが多くのケースなのだが、そうさせている大きな原因が「同じ年代に属するものは同じ状態にあるべき」とし、それから外れた状態にあるものを「異常」とする見方、すなわち「学齢にある者が学校に行っていないのはおかしい。」「就労年代にある者が働いていないのはおかしい」とする見方がひきこもり問題を長期化させ、当事者を家族を苦しめている。
安定した社会構造が続いてきた日本では、全体社会を年代輪切りで捉えるという見方が疑問視されることがなかったのかもしれないが、これが他国に比べて突出して多いひきこもり者を日本にもたらし、問題を長期化させている大きな要因になっていることは間違いない。「みんな違って、みんないい」と歌った金子みすゞさんの思いが社会全体に共有されることを心から願っている。
(カナダ友好協会代表)
