コラム・エッセイ
鏡よ、鏡
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子衆議院議員総選挙が終わり、これから数年間の日本の政治の方向を決める体勢が定まった。終息気味とはいえ、まだまだ国民の大きな不安の的になっている新型コロナウィルス感染症への対策、停滞した経済活動の活性化への対策が関心を呼ぶ争点となったが、将来に目を向けると最大の課題はやはり少子・高齢化対策だろう。
特に少子化は日本社会のあり方の全てに関わって来るので、先の先まで考えた適切な政策が必要だ。少子化は医療、年金など社会福祉制度への影響が大きいが、労働人口に直結するので経済活動への影響も勿論大きい。
だが労働人口への影響を考えると、少子化と共に考えなくてはならないのが無業の若者やひきこもり者の問題で、最近の調査では合わせて約200万人に達すると言われている。少子化で絶対数が少なくなるのに加えて、これだけの人達が社会活動に、不本意に参加出来ないでいる。
傷つきやすい繊細な心の持ち主で、周囲の社会に馴染めず、殻に閉じこもるように過ごす人達がこのような状態に陥るきっかけとなっているのが、人と自分との比較だ。自分がしたくても出来ないことをあの人は出来ている。自分はこんな欠点があるのに、あの人にはない。
そんなことを自分が思うだけでなく、周囲からも指摘される。自分はダメな人間だ。人と会うのが怖い。多くの若者と接する中でそんな声を何度も聞いた。人と自分を比較する中で、相手の長所・利点を見、自分の短所・欠点を自覚することは誰にでもあることだが、そのことで全ての人が周囲との交わりを恐れ、殻に閉じこもる訳ではない。
その違いはなぜ起るのだろうと、ずっと気になっている。薄いガラスのように、少しのショックでも壊れてしまう、繊細な心の持ち主だからだろうと思っていたが、それだけでもないと、ふと思い当たった。人は周囲を見ることは出来るが自分自身を見ることは出来ない。
自分の姿は鏡に映して見ることになるので、めいめいががそれぞれの鏡を持っているのだ。その時自分の姿をどの鏡で見るか。思うに人との交わりで傷つきやすい人は、人の鏡に映った自分を見ているのではないのだろうか。
だが、それぞれの人の鏡は同じではない。それぞれ、自分に都合よく出来ているはずで、人の鏡に映った自分は大抵本当の自分より映りが悪い。そう思って周囲を見ると、心傷つくことなく周囲と交わっている人達は、自分の姿は自分の鏡で見ているようだ。
わざわざ人の鏡に映さずとも、自分の鏡で自分を見るようになれば、彼等の心もずっと軽くなるだろうに。そのためにはどうすればよいのか、試行錯誤しながら考えてみたいと思う。
(カナダ友好協会代表)
