コラム・エッセイ
国家の大罪
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子日々の話題の中に思い出話が多くなったつれ合い殿の、ある日の昔話。学生時代の恩師から伺ったものだそうだ。
その恩師がまだ学生だった頃、所属していた研究室の研究発表会で一人の先輩学生が実験結果をまとめたグラフを示したのだが、自分の予想に外れた都合の悪いデータを一つ隠してグラフを描いていた。そのことを知った研究室の先生(その分野では日本第一人者の高名な教授)は即座にその学生を研究室から追放したそうだ。
その学生がいくら詫びても頑として許さず、籍が戻ることはなかったという。たった一つだけなのに、何と厳しい処分かと驚く。しかしそれは事実を歪めたことだ。それによって何が起るか。
まず、その隠したデータは、何か新しい発見に繋がるものだったかもしれない。そのデータを除くことで折角の研究結果を間違った方向に導いてしまったかもしれないのだ。次に、もっと重大なことは、自分に都合の悪いデータを隠すということが分かると、その人のこれまでのデータ、これからのデータ、それらを用いて出来上がった成果が全て疑われることになる。
その人だけではない、それを見逃した研究室の成果も疑いの目で見られることになる。たった一つ、たった一度のことではないか、では済まない話になるのだ。その先生もそこが許せなかったのだろうと恩師は感慨深く語られたそうだ。
こんな話を長々と記したのは、最近報じられた国交省の統計資料書き換え問題を思うから。GDPを算出し、国の政策を定める基本資料となる数値を誤った方法で書き入れしかもそれに気付いていながら、自分が責任を問われることを逃れるため知らんぷりをしてそのまま続けていたらしいからそれだけでも大問題であるのに、それが明らかになった後に追求されると「GDP算出には他のデータも合わせて用いるのだから、書き換えの影響は少ない」、だからそんなに目くじらを立てることではないと言わんばかりの声が関係者から発せられているようだが、問題はそんなことではないことは冒頭の昔話からも分かるだろう。
誤っていても都合がよければそのまま続けるということが他の統計資料でも起っているかもしれず、都合の悪いデータは隠す、書き換えることもあるだろうと疑いは尽きなくなり、国の政策の根拠が信用されなくなるのだから、国内ばかりでなく国際的にも日本の政治への信頼を失わせかねない大罪だと思う。
モリ・カケ事件の文書改ざんといい、今回の書き換えといい、問題を矮小化する声ばかりが大手を振ってまかり通っている現実には、為政者・官僚の矜恃の喪失を嘆かずにはいられない。
(カナダ友好協会代表)
