コラム・エッセイ
試練の後で
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子明日からは弥生3月。寒さもオミクロンコロナもピークを過ぎた気配に、日常生活には少し安堵の気持ちが戻ってきたが、高校受験生たちには緊張の糸の緩まない日々がもう少し続く。
長かった選択と挑戦の最終章を、安堵と満足で締めくくられるようにと寸暇を惜しんで励んでいる彼らの努力が望む形で報われることを祈るばかりだ。
自分以外に頼る者はなく、結果は全て自分一人が受け止めなければならない入試という試練は、人間形成が未完成な時期の若者には酷な気もするが、希望者全てを受け入れられない限りは選抜があるのは避けられないし、目標に向かって努力を重ねることは人生の多くの場面で求められることだから、入試制度は悪だとは思わない。
こうして大変な試練を経て入学し、新しい環境に慣れて自分の時間を持つようになると、そのうちある疑問に直面する。「一体、なぜこんなことをしなければいけないの?」
英語や国語、政治経済はまあわかるけれど、数学、化学、物理、古典文学など、私の将来に何の必要があるの。それなのにテストがあって赤点取ったら進級できないなんてわけがわからないというのだ。
そんな生徒達に普段はものわかりがいいニコニコおじさんを演じている我がつれ合いは、決して同調しない。
「あんた達(実際には『お前ら』)なぜ高校に入った?『どうかここで勉強させて下さい』と試験まで受けて入学したんだろう?そこで、これだけはやっておかないと、ここで学び力をつけましたという証明は出来ませんよと言われたことをやらないでどうするんだ。文句を言わずに、やれ!」と一喝。
そして、「テストは先生が生徒を苦しめるためにやるのではない。出題者が『これがわからないから教えて下さい』と問うことに『それはこういうことですよ』と相手にわかるように答えることだ」人に教えるためには自分がよくわかっていなければならない。そのためにするのがテスト勉強だと諭す。
「だいたい、皆んな、テストがなければ勉強しないだろう。まあ、それが普通だが、お前達がちゃんと勉強するようにと一生懸命問題を作ってくれる先生に感謝しなければ」と一歩も譲らず、納得しない生徒達とバトルを交わす。
そんなひとときが適当なストレス解消策となり、やがて気を取り直して課題プリントに向かう生徒達の質問に答えるステージへと移っていく。つれ合い殿の言い分はまさに正論なのだが、生徒達の疑問は在学中には恐らく解消されないだろう。
でもこの子らがやがて卒業し、社会に出た後でこんなやり取りを懐かしく思い出してくれることがあったら、私にも本当にうれしいことだ。
(カナダ友好協会代表)
