コラム・エッセイ
言い訳の果て
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子人工雪を敷き詰めて始まった冬季オリンピック。競技以外の話題が何かと目立った大会だったが、中でもフィギュアスケートでのドーピング疑惑は画面に映る選手の美しい演技の残像を黒く塗りつぶすほどの後味の悪さを残した。
国家ぐるみのドーピング疑惑で参加国家の資格を失い、ドーピングとは無縁と認定された選手だけが個人資格で参加しているはずなのに、検出された禁止薬物を「あれは同じ成分を含む薬を常用している祖父とコップを共用したために、偶然選手の体内に入ったのだ」とし、だから意図的な摂取ではないし、関係者が飲ませたのでもないという説明だった。
こんな言い訳を、した側以外の誰が信じるだろう。ああ、やっぱり。懲りない国だなと思われても仕方がない。だが、言い訳をした側にとってはこれで一件落着で、どこから入ったか、誰が入れたかという疑問にちゃんとつじつまの合う説明をつけたのだから、それを否定する事実が示されない限り私たちの潔白は証明された、という言い分だろう。
何やら、新規ウィルス完全排除を誇る近隣大国が、それでも起った新規感染拡大に「感染源となったウィルスはカナダから送られた手紙の封筒に付着してやって来たのだ」と驚くべき説を持ち出したのと似通っている。
おそらくドーピング疑惑の国でも、ウィルス封筒説の国でも、こうした荒唐無稽の言い訳が日常的に飛び交い、時にはそれが通用しているのだろう。
そしてドーピング言い訳の記憶もまだ新しいうちに、同じ国が言い放った、突然ではあるが予測されていた、隣国の侵略に際して用意していたメガトン級の言い訳。
「これは侵略ではない。隣国の中で圧政に耐えかねて自主独立を宣言した地域を、我が国は独立国と承認した。その独立国と交わした友好条約に従い、我が国は隣国と戦う承認国を救うために共に戦うのだ」
したくはないけれど、友好国を約束に従って危機から救う正義の戦いだと、他国は納得しなくても自分には納得できる言い訳を長い時間をかけて用意していたようだ。この言い訳はなぜ必要か。
チンギスハンの昔なら「あそこを攻め取って我が領土に」に言い訳は要らなかっただろう。しかし近年はいかなる大国の指導者も国民大衆の支持がなしに権力は行使も維持も出来ない。
支持を得るためには納得し受け入れられる大義名分が必要だが、大義名分と思ったものが自国にしか通用しない言い訳だったとしたら、自国民にも受け入れられなくなったとき、その結末は哀れなものになるだろう。
今からでも遅くない。自分にしか通用しない言い訳が自国民からも否定される前に自省し、退席の道を探るべきだ。(カナダ友好協会代表)
