コラム・エッセイ
友遠方より来たる
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子突然の入院生活で行動の自由を失い、リハビリ指導の理学療法士さんに、危険物を運ぶように付き添われて毎日通うリハビリ室への往き帰りだけが、自分の脚が自分を支えていることを実感しながら、自由に移動できる空間になっているという、つれ合い殿の近況。
そんな日常の中でのささやかな楽しみは、決まった時間に運ばれてくる、工夫の凝らされた食事を戴くことと、知り合いや友人たち、小さな生徒さんたちから届く、突然の入院を案じるお見舞いのメールや電話への受け答えだと言う。
そんな中、毎日のように様子を尋ねる電話をくれていたのが、60数年来の友人Iさん。今は静岡県に住み、自宅の裏の小さな畠で野菜を育て収穫を楽しむIさんは、若い頃から全国の山々を踏破することを生きがいにしてきた山男で、我がつれ合いも定年退職後十年ばかりは、もう一人の親友と共にIさんをガイド役に、毎年ゴールデンウィークの時期には上高地や残雪に覆われた北国の温泉地巡りを楽しんでいた。
そのIさんも若い頃の無理が元なのか心臓を傷め、血流改善のため今では冠動脈に血管拡張のために5本のステントを挿入されている身。命の危険との関わりについては、我がつれ合いの症状と甲乙つけがたい。
そんなIさんの励ましや、周囲の様々な方々からの心遣いや看護師さん達の優しく行き届いた看護、毎日のリハビリ指導のおかげで体調はみるみるうちに改善し、お世話になった皆さんへの挨拶を終え、病院の玄関を後にし、予想外にしっかりした足取りで歩みを進める我がつれ合いの姿に回復を確信し乗り込んだ車中でIさんの来訪予定を聞き、すぐさま頭に浮かんできたのは遙か昔日、国語の教科書で学んだ論語「学而篇」の1節。
「学びて時にこれを習う。亦悦ばしからずや」というよく知られた言葉に続く「友あり遠方より来たる。亦楽しからずや」という箇所。もしかしたら毎日安否を尋ねてくれるご本人の方が危険の近くにいるかもしれないにもかかわらず、ほぼ1000キロもの遠路を旧友の様子を確かめにわざわざやって来る。これがうれしく楽しくないはずはない。
師から学んだことの意義を納得できる体験をすることを悦びとする、学而篇で最も重要と思える箇所に並べて、自分と気持ちを共有できる友人が遠路をいとわず尋ねて来てくれて互いに語り合うことの出来ることのうれしさ楽しさをこれほど簡潔適切に表現した言葉はないだろう。
翌日予告通りに待ち合わせの駅の改札口に姿を現したIさんと感動の握手を交わし、少しもつれる足の運びを気遣ってくれるIさんと互いに肩を抱き合いながらホテルのレストランで夕食の席に着いた。血圧低下を実現してくれた病院の減塩食とは全く違った品々を味わいながら時を忘れて語り合う二人を横から眺め、遠方より来たる友を迎えることの楽しさを学而篇に記されている通りに体験しているつれ合い殿の心中がそのままに伝わってくるのを感じた。
遠方より来たる友と味わったこの楽しさが、この友たちに100年の人生を贈る力になって欲しいと願う。
(カナダ友好協会代表)
