コラム・エッセイ
春宵閑話
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子新型コロナウィルス感染症に怯え、手洗いマスク、3度のワクチンに我が身の安全を祈り託す、3度目の春を迎えた。
停滞する経済活動に何とか命を呼び戻そうとするように、人流抑制、三密回避への規制の呼びかけも次第にトーンが低くなった。街の人通りも次第に増えてきたのが実感でき、すれ違う人の表情もかなり穏やかになった気がする。
出会う人のほとんどは、老いも若きもきちんとマスクを着けているのはいかにも日本らしく、納得できる決め事は不平を抑えて守るという日本社会の美徳は、まだまだ健全に生きていると感じられる。
そんな中で、三寒四温の言い習わしそのままに、時に寒さも交えながら夏到来かと思うほどの暖気に包まれ、日本各地で満開に桜咲き誇る、時、まさにゴールデンウィーク真っ只中のこの時期、誰しも心軽やかにならぬはずがない。
有り難くない誕生日プレゼントとなった患い脳梗塞を患い、1カ月余の入院生活の後、命拾いの日常生活を取り戻した我がつれ合いも心弾む思いは同じらしく、気温に合わせて重ねるシャツを選びながら、時折、観る者をひやっとさせるような足取りを交えながらバス停に向けて歩く日が続いている。
自宅で一人暮らしをしている時は、自転車に乗ってあちこち訪ねるのが日課になっていたが、今はさすがにそれは許されず、バスで繁華街に行き、地下道を散策するのが楽しみになっているようだ。
地下街を出て海を望める少し小高い土手地に腰を下ろし、次第に日が長くなって行く季節の移りを感じながら海の見える西空に目をやると、10円玉ほどにも見える見事なだいだい色の夕陽がくっきりと夕空を彩っている。つい1週間ぐらい前だともう黄昏れ時と言える時刻だったが、直視してもまぶしくないほどの穏やかさで、余りにもくっきりと真円を描く夕陽をしばし眺め続けたという。
「あれだけ鮮やかな赤色に見えるのは、恐らく黄砂のせいなのだろうな。花粉症を重くさせ、ろくなことにならない黄砂だが、時には良い働きもする」
その時ふと「春宵一刻値千金」という古詩の1節が浮かんできたそうだ。「げに一刻も千金の眺めを何に譬うべき」と唱歌「花」にも歌われた春宵の光景が、鮮やかな夕陽のことだとは同意できないが、ご本人にとっては病癒えて日常を取り戻したこの季節のうららかな夕べのひとときに、余りにも美しい自然の光景にそう感じたのだから、それは認めてうなづくべきなのだろう。
原誌の作者、蘇東坡が賞賛した春宵がどこのどのような景色だったのか想像も出来ないが、いつか時空を超えてタイムトラベルをする機会に恵まれたら、是非お願いして「値千金」の春宵の場を訪れたいものだと思う。
(カナダ友好協会代表)
