コラム・エッセイ
信を失う人
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子政権党の国会議員が飲酒年齢に達しない女子学生に飲酒させたと非難の的になり、糾弾と、議員辞職を迫る声がメディア上ばかりでなく政権党内部からも高まっている。
真実なら言い訳の効かない事態だが、この議員、しばらくは雲隠れ状態で、明確な釈明もない。伝えられるところによると相手が本当に18歳だったのか、自ら調査に乗り出されているらしい。飲酒に問題のない(とは言えない)20歳以上であったなら、鬼の首を取ったと逆襲に転じて我が身の潔白を表明し、名誉回復を図ろうということだろうが、見苦しいことだ。
報道された通りであったなら、所属政党や政権幹部からは「議員の進退はご本人が決すること」と、既に離党している議員へのそれ以上の処分を避け、議員本人は「配慮を欠いた行動に誤解を受けたことは反省するが、残された任期を全うして、議員の使命を果たしたい」とお決まりのせりふを吐くだろう。
議員辞職でなく、辞めさえしなければ支給される議員歳費と文書交通費を受け取る身分を死守しようとするのが、例外の少ない(行動に疑いを持たれただけで辞職の道を選んだ例もあるようだ。)お定まりのコースとなっている。
仮にこの議員の渾身の調査が実を結び、相手が飲酒年齢に達していたことが証明されたとして、この結末をどうすべきか?
この議員、居座らせてはならない。「私も一人の人間。一緒にお酒を飲みたくなることはある。違法でもないのにどこが悪いのか、なぜ議員辞職しなければならないのか」と、声高に主張することだろう。
しかしこの議員は辞めなければならない。辞めさせなければならない。選ばれた議員だから、議員にとどめてはならないのだ。
国会議員に限らず選挙で選ばれる議員は、選良として最大限の身分保障・保護を受けている。その選良は「してはならないことをする」人がなってはいけない。この人たちは「しなくてはならないことを私に代わってしてくれる人」と信任されて議員の地位を得た。「してはならないことをする人」に「しなくてはならないこと」を任せられない。
たとえしなかったとしても、してはならないことをしたと思われるようなことをすることは、選んだ主権者の「信を失う」ことだ。「信なくんば立たぬ」の通り、政を司る役目を託された人(議員)は、信を失った途端に議員であってはならない人であり、こんな人には間違っても国政を託せないのだ。
不承不承ながらも非を認め辞職する道を選ぶこともあるかもしれないが、違法であるかどうかの詮索よりも、否応なしの身分剥奪が急務だと思う。
この人が恐れなければならないことは、自分の行為の違法性ではなく、主権者の信を失うことのはずである。
(カナダ友好協会代表)
